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あなたが「美しい」を感じるもの

私やあなたを表す記号はいろいろある。年齢/性別/民族/既婚or未婚/子供がいるorいないetc.
でもそれよりも本質的に自分がどんな人なのかが表れるのは、「どんなものが好きなのか、どんなことが美しいと思うのか」ではないだろうか。

「美しいと感じるもの」って、ただの表面に表れるビジュアルのことだけじゃない。
例えば、“しんと静かな空間“ だったり、“陽だまり“だったり、“意思を感じる言葉“だったり、“バレリーナの指先“だったり、人それぞれに美しいと思うのものはさまざま。そして、そんな心の中に溜めているそれぞれの「美しいと感じるもの」が、その人を形作っているのだと私は思っている。
その人なりの「美しい」が心の中に溜まって、外見にも表れる。そんなイメージ。

この記事は、私(あすか)が「美しいと感じるもの」を紹介しながら、読んでくださるあなたが「美しいと感じるもの」へのイメージも深めていただけたらいいと思って書いてみます。

Part.1 憧れの女性像を考える

向田邦子の手袋

向田邦子(1929-1981)

向田邦子は、日本のTVの草創期から活躍した脚本家。
(脚本家になる前は、出版社に勤めていたらしいから、私にとっては大先輩ということでもある)

彼女の細かい経歴はWikipediaを見ていただくとして、私がなぜこの女性に美しさを感じるのかについて書かせてください。

向田邦子は私の祖母と同じくらいの世代だけど、祖母の世代のだいたいの女性が主婦として生きた時代に、違う人生を自ら選択した人なのだ。
脚本家として活躍したのはもちろん、小説家、エッセイストとしても素晴らしい作品を残しているのだけど、そのエッセイの一つに、彼女の人生の選択について書かれたすごくすごく美しい「手袋をさがす」という文章がある。

「手袋をさがす」(『夜中の薔薇』所収)
彼女は22歳の冬、欲しい手袋が見つからなかったので、手袋なしで過ごす。それはその時代の服装としてはとても非常識なことだったようだ。周囲の人にもさんざん「そんな頑固にならず、手袋をはめなさい」と言われ、ある日とうとう目をかけてくれた男性上司にこう言われる。

「君のいまやっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないねえ」  
私はハッとしました。
「男ならいい。だが女はいけない。そんなことでは女の幸せを取り逃がすよ」  
そして、少し笑いかけながら、ハッキリとこうつけ加えました。
「今のうちに直さないと、一生後悔するんじゃないのかな」

—『新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)』向田邦子著

(ここで上司が言ったのはつまり、こだわりが強くて可愛げのない頑固な女の子は結婚できないだろう、という意味だ。今の時代からしたらセクハラもいいところだけど、この時代では極めて当たり前のことを彼は言っていて、しかも親切心で向田邦子に向き合ってくれている)

彼女は上司に素直にハイと言うことはできなくて、その日、自分について必死に考えたのです。どんなに考えてもやっぱり妥協することはできない。自分は「ないものねだりの高のぞみ」をやめられない。それで世間並みの幸せを逃しても、それで良い、と。(ファッション誌で見たアメリカ製の水着がどうしても欲しくて、お給料3ヶ月分をはたいて買ったエピソードも載っている。この水着も本当に素敵なので、ぜひ「向田邦子 水着」で画像検索してみてください)


その後の彼女の人生は、Wikipediaにも書いてある通り。出版社に転職し、さらにその後、脚本家としてラジオ、TVと活躍し、独身のまま最後は飛行機事故で亡くなった。

向田邦子で画像検索するとわかるけれど、洋裁も得意だった彼女はとてもおしゃれだ。今も表参道交差点のところにあるマンションに住んでいたらしく、その時代の人並みの幸せよりも自分の好きなものを選んだ人生だった。

今、時代がだいぶ変わったおかげで、私たちは別に結婚と仕事のどちらかしか選べないなんてことはない。でも、日々、自分の本心を偽って妥協の選択をしていると思うことはある。そんな時に向田邦子の手袋の話を私はいつも思い出します。


Tシャツとジーンズが似合うジェーン・バーキン

ジェーン・バーキン(1946-2023)

私がジェーン・バーキンのことを知ったのは大学に入った頃。60年代末頃の彼女のビジュアルを見て、一目で夢中になってしまった。ストレートのロングヘアと前髪。青い大きな目。

ジェーン・バーキンはパリジェンヌとして語られるけれど、英語の名前が物語る通りイギリス出身の女性だ。彼女をパリジェンヌとして知らしめたのが、2番目の夫であるフランス人の音楽家でプロデューサーであるセルジュ・ゲンズブールで、私はセルジュとジェーンの2人の物語ごとジェーン・バーキンのことが好きだった。
セルジュがプロデュースしたジェーンのアルバムがとにかく好きで聴きまくった。

私が1969年に思いを馳せていたのが2000年頃で、その時は2人のロマンスにただただ浸っていたけれど、2023年現在40代の私は、実は彼女もまた、(小室哲哉と華原朋美と同じく)王子様とシンデレラの物語の登場人物だったことに気づいてしまった。
セルジュの破天荒さを若い頃の私はカッコ良く感じていたけれど、破天荒(=シニカルで破滅的で暴力的なところもある)な男と暮らしていたジェーン、そして3人の違う男性との間にそれぞれ娘をもうけたジェーンは、どこかで前時代的な女性の弱さを持つ人だったのかもしれない、と大人になった今の私は思う。

(そして向田邦子の手袋の話と矛盾するようだけど、自分の中にもやはり時々「男性に頼りたい、甘えたい」という気持ちが頭をもたげるのも本音だ)


そんなジェーン・バーキンにそれでも惹かれるのは、彼女の気取らない雰囲気なのだと思う。
雑誌で見かける彼女の写真は、撮影用でも日常のワンシーンでもほとんど変わらずTシャツとジーンズ。
ヘアスタイルも、洗って乾かしたそのままのようなナチュラルさで、マスカラで強調された目元の印象がより引き立つ。

エルメスのバーキンは、彼女の名前を取り、彼女のために作られたバッグだ。
かごバッグに無造作に荷物を投げ込んでいるようなジェーンが、哺乳瓶まで入れられるように作られたもの。(バーキンはジェーンのためのマザーズバッグだった!)

https://www.hermes.com/jp/ja/story/297706-birkin/

今やセレブの象徴ともなったエルメスのバーキンだけど、イメージソースであるジェーンの使い方は相変わらずのラフさ。
バーキンにステッカーを貼って、荷物を詰め込みまくっているらしい。

https://mi-mollet.com/articles/-/30409?layout=b

今まで大切すぎてあまり人に話したことのないエピソードが私にはある。

私がジェーンに憧れまくっていたのは大学時代。その頃、ジェーンは久しぶりのアルバムを出している。それを引っ提げて久しぶりに来日公演をBunkamuraオーチャードホールでするということで、学生にはけっこう高かったけど当然チケットを取って、1人で聴きにいったのだった。

その日なぜか、私は彼女の古いCDアルバムを持って出かけた。公演の前にBunkamuraの裏口の脇をたまたま通って「あ、ここがアーティストの出入りする裏口だ」と思った記憶がある。
そしてコンサートで舞台の上にいる本物のジェーンを観て、夢見心地になったのも何となく覚えている。

それでふと「もしかしたら、出待ちしたら会えたりするのかも(でも、そんなラッキーあるわけないけどね)」とふわふわ夢みたいなことを考えて、公演前に通った通用口のほうに行ってみたのだった。

奇跡が起こった。
ちょうどその時、本当に本物の、さっきまで舞台の上にいたジェーンが通用口から、私や私と同じような考えで来ていた数名のファンの前にわざわざ出てきてくれたのだ。

私は驚きと感激で号泣してしまって細部まできちんと記憶できていないのだけど、彼女は雑誌で見るままの目尻の下がった優しい笑顔でサインをくれて、中には着ていた服に書いてもらった人もいた。そして、「私の頬にキスしていいよ」と言って、自分の頬を私たち日本のファンに差し出した。
私は恐れ多くてキスはできなかったけど、ジェーンにハグをしてもらった。

最後、何度も「Au revoir! 」と言って女神のようなジェーンは通用口の中に戻って行った。たぶん5分くらいだったのだろうけど、あまりにも夢のような話で、自分でも信じられない。サインの入ったCDだけが今も手元にある。

あの瞬間、ただただ感じたのは、Tシャツとジーンズの気取らないジェーンは、慈愛の人だということ。
それがあの飾らない姿に現れているのだということ。



Part.2 わがままとも言われるこだわりを貫くこと


あなたが感じる美が、あなたを作る

向田邦子とジェーン・バーキン。世代も国も全然違うけれど、私が美しさを感じるふたりの女性について書いてみました。
ふたりとも、内面にある美しさへの意識が外見にそのまま表れているように思います。
向田邦子なら、自分の頑固なまでのこだわりの強さや妥協のなさが、手袋や水着1枚にも表れているように。
ジェーン・バーキンには、その気取らない温かさがTシャツとジーンズに表れているように。

私もこのふたりの美しさの一部を自分の内面にも取り込みたいと思っています。そしていつか、それが私の外側にも表れてくれたら、と願います。

きっと今この文章を読んでくださっているあなたにも、それぞれ美しさを感じる人や物の物語があるでしょう。あなたが感じた美しさが、あなたの内面を作り、そして外側にも表れているのだと思います。


美しいものを美しいと思う自分を大事に

向田邦子がしていたことは、自分が感じる美を貫くことだったのだろうと思う。
周囲の人からは、面倒な人と思われていたとしても、折れなかった。

たとえば私が美しいと信じるものがあるとして、それは服やメイクなどだけじゃなくて、話し方だったり、仕事のやり方だったり、いろんな場合が考えられるけど、もし誰かが「その服やメイクは、話し方は、仕事のやり方はイケてないよね」と言ったらどうするだろう。または、「あなたのこだわりは周りの迷惑だよ。わがままだね」と言われたら。

私は意外と人目を気にする。誰に何を言われても動じない人に憧れながらも、自分は全然そういう強さを持てていないのが本当のところなのです。

だからきっと、その誰かが自分よりパワーのある人だと私が思っている場合(立場が上とか、影響力が上とか、センスがいいとか)、きっと自分が信じる美しいものを隠してしまうと思う。
「私はこういうことが好きで、良いと思う」と発言したり、身に纏ったりできなくなってしまうような気がする。

隠れキリシタンみたいにその後も美しいと信じるものをこっそり信仰するか、または自分が好きだった事実さえなかったことのように他者に迎合するか。
どっちのパターンもあり得ると思う。私はきっと隠れキリシタンタイプのような気がする。

それは世の中をうまく生き抜くための一つの知恵ではもちろんあるけれど、実は自分をちょっとずつ裏切る行為だ。
自分が美しいと思うものをちゃんと心から信じること。美しいものを美しいと思う自分を大事にすること。
それは、自信につながることだと私は思う。

だから、私もちゃんと自分が美しいと思うことをきちんと貫こうと思います。
そして読んでくださったあなたが美しいと思うことやものも教えてください!

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