最短距離は目指さない、ショートカットはしない
慣れというのは怖いもので、仕事や業務がある程度できるようになると、そつなく物事を進められるようになる。もちろんそれは必要な技術や能力を身につけた証拠でもあるから、自信をもってよい。
ただ時に、慣れに「待った!」をかける必要がある。
雨の降る忙しい日の出来事
今でも鮮明に覚えている、会社員時代の思い出がある。その日は朝からずっと曇り空で、道路やバスもいつもより混んでいた。
私は午前に1つ、午後に2つの取材のアポが入っていた。最後の取材は15時から。翌週中に仕上げる予定の記事を取材するために、とある居酒屋に赴いた。
その日は会社に戻ってからもいくつか急ぎで確認しなくてはいけない原稿を抱えていたため、「30分くらい話を聞いたら、会社にすぐ戻ろう」と考えていた。
取材のテーマは、鉄板焼きの「ちりとり鍋」だ。関西各地の名物や名産を取り上げるコラムで紹介するために、古くからこの鍋を提供している居酒屋さんで話を聞かせてもらった。
焼肉店やキムチ屋が並ぶ大阪市生野区のコリアンタウンは、「ちりとり鍋」の発祥の地といわれている。掃除道具のちりとりの形に似た薄い鉄板を使うのが名前の由来で、肉やネギなどを焼き上げる一品だ。
仕事終わりにも手軽に食べられる料理として、最近は家族連れや若い女性客からも人気らしい。
それっぽい記事にはなるけれど…
料理の歴史や成り立ち、特徴や作り方などを聞くこと30分。「これだけの情報があれば、あとはだいたい書けそうかな」と判断し、取材のお礼を伝えてノートや文房具を鞄にしまい始めた。すると取材に答えてくれていたおばさんが私にこう言った。
「材料をまとめてビニールにいれるから、持って帰りな。店で食べる時間がないなら、家で食べればいいよ。とにかくおいしいから」
その時は「お気遣いいただきありがとうございます!」程度にしか思わなかったのだが、会社に急ぎ足で戻りながら「あーーー取材で一番大切なことができていなかったな」と猛反省することになる。
取材や記事執筆の基本は、自分が相手から直接聞いたこと、見たもの、そして調べたもののなかから、読者にとって有益であり、伝えるべきだと判断したものをまとめることだ。ただ、書くこと自体に慣れてくると、起承転結をつけたり、必要な情報を盛り込んだりしたそれっぽい記事は短い時間で執筆できるようになる。
でもそうすると、当たり前だがどうしてもそれっぽい記事しかできない。今回の私のように、ちりとり鍋の特徴や歴史は書けるけれど、ただそれだけの記事になる。そんな記事では、見聞きしたものの良さや伝えるべきポイントなんて、ほんの一部しか伝わらないし、間違って伝わってしまうケースだってある。
ショートカットはやめよう
会社で仕事を終えた後、帰宅した私は実際にちりとり鍋を作って食べてみた。
ネギや肉のガツンとした旨味に野菜の水分が加わって、想像以上にまろやかな味だ。これは小さいお子さんや女性が好きなこともうなずける。肉の下味に加えて、味噌やしょうゆの甘辛い味付けが白米をもりもり食べる気にさせてくれる。タマネギや青ネギがたっぷりだとなお美味しい。
簡単に記事をまとめようと思えば、便利なインターネットを駆使すればあっという間に終わるだろう。でも自分で直接足を運んで、人から話を聞いて、作ったり食べたり見たりして発見できた魅力や気づきにこそ、伝えるべき価値がある。その教訓は、これからも決して忘れたくない。
ちなみに、その頃の記事は今でも時折読み返しています。文字数はとても短いけれど、取材させてもらったおばさんから大切なことを学びました。