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#18「見えない部分までこだわることが、先人達からの教え」手仕事の伝統を繋ぐ芦屋釜の作り手

芦屋港から、遠賀川に架かる「なみかけ大橋」を渡ると角に見える“八木鋳金 やつきちゅうきん”には、芦屋釜復元の修業をした鋳物師いもじ(※)八木孝弘やつきたかひろさんの作品が並んでいます。なぜ芦屋町に来て歴史の深い釜の復興に取り組んでいるのか、どのような想いで16年の修業期間を過ごし独立したのか、芦屋港の活用について鋳物師ならではのアイディアをお聞きしました!
(※)金属を溶かして鋳型に流し込み、様々な形の製品を作る職人。

八木鋳金
〒807-0141 福岡県遠賀郡芦屋町山鹿1579-1
TEL:093-701-6170
営業時間:10:00~17:00(不定休)

Q なぜ鋳物師になったのですか?

大学では建築を学んでいたので、鋳物師になるとは考えもしませんでした。海をめがけて芦屋町を訪れた時に、偶然立ち寄った芦屋釜の里で工房をのぞくと、「なんや兄ちゃん興味あるんか?」と職人さんが声をかけてくれました。そして、熱心に製作の説明をしてくれたのが、師匠との出会いです。なんと、別れ際に芦屋釜の図録をプレゼントしてくれて驚きました。

その時師匠に釜師の募集があることを知らされ、数か月後に芦屋釜の里を再び訪れました。面接に行ってみると、20名位の応募者の中には有名な焼物の産地の経験者などもいたので、「負けた」と思いました。しかし、選ばれたのはなんと未経験の私でした。福岡市出身の私は、それまで芦屋町に縁もゆかりもなく、釜のことも全く知らないところからのスタートでした。

Q どうやって芦屋釜を作り出すのでしょうか?

構想から仕上げまで、約8工程を全て行います。全ての作業に集中力が必要ですが、鉄を流し込む込みは特に難しく、ここで失敗すると型作りまで戻ってしまうので緊張しますね。溶けた鉄は1500℃近くになり、とにかく熱いので最初は恐怖心が勝ります。しかし何度も何度もやって覚悟が定まると、火が人間をよけてくれるように感じてきて自分から火に立ち向っていくことができます。恐れずに一気に型に流し込むことがコツですね。

八木鋳金HP https://yatsukichukin.com/

釜の厚さは2mmとかなり薄く、部分的に穴が開いてしまうこともあるので、鋳型は3つ作ります。そのうち、鋳込みが成功するのはだいたい1つです。鉄は重いので使う人のために少しでも軽くしようというのが薄さの理由です。一方で、口が薄いと貧弱に見えるのでわざと厚みを持たせて、重厚感を出します。見た目は重く、手取りは軽くが芦屋釜の鉄則です。

鋳込みを失敗すると、鉄が全体に行き渡らず穴が開いたり、
割れてしまったりすることも。

Q 特に思い入れのある作品はどれですか?

1つ目は瓢鐶付撫肩釜ひさごかんつきなでがたがまです。

この作品は、生まれて初めて作った釜で非常に感慨深い作品です。芦屋釜の里で16年間の修業を終え、その期間中の足跡を辿る展覧会を開いていただいた会期中の出来事なのですが、当時お世話になっていたお茶の先生に「この釜が一番いい」と言われました。その後熟達してから作った、展覧会での入賞作品もあったので、「これですか?」と思わず聞き返すと、「他の作品は美しく見せようという気持ちが前面に出ているけど、この作品は純粋無垢な人間が、一生懸命ものづくりに向き合った姿が感じられる」と言われました。作り手である私の心が見抜かれて驚きました。その時に「見る人が見たら、わかるんだ!」と改めてものづくりの奥深さを感じました。

2つ目は、浜松図真形釜はままつずしんなりがまです。

この作品は初めて見た重要文化財の復元に挑んだ作品で、約3年の月日を費やして作りました。復元不可能とまでいわれた芦屋釜を復元するために、どうのように形作るか、来る日も来る日も考え何十回もひたすらに浜松図の鋳型を製作しました。復元作業なので、完全に自我を消し去って先人達の浜松図をなぞった結果、どうしても消せず滲み出る自分のクセがあり、それが自身の個性だと気づくきっかけとなった作品です。

Q 16年の修業を終えたと聞きましたが、どのような時間でしたか?

正直あっという間でしたね。始めから釜作りを経験させてもらいながら修業を重ね、今では復元だけでなく自分で構想した釜もつくっています。芦屋釜は約400年前に一度歴史が途絶えていて、開館当初は製作方法がわかりませんでした。しかし、芦屋町が職人だけでなく、釜の調査をする学芸員を雇用していたため、その両輪で復元に取り組み成功しました。修業が長く大変だと思われることもありますが、裏を返せば一生を懸けて一つの仕事を追求できる恵まれた為事しごとだと思います。

ただよう、タダヨウ(左から守破離の表現)

Q 釜はどのように構想するのですか?

釜の注文をいただいたら、亭主(お茶会を開く主催者)が持つお茶会の構想を聞いて釜の形を考えます。例えば、「還暦のお茶会を開いて、今まで本当にお世話になった方々を招きたい」といった注文を受けます。
茶道の世界では、亭主がお客様のために季節のお花・お料理やお菓子、道具などであらゆるおもてなしの心を表現しますが、それを決して言葉にはしません。お客様に聞かれて初めて亭主が答えるという奥ゆかしい日本の美を体現しています。茶道の道具の要として表現される釜を作れることに感謝し、おもてなしの心を表現する道具となることを目指しています。

年始のお茶会は「初釜」、お茶会を開くことを「釜を懸ける」といいます。

Q 芦屋釜以外の作品もあるんですね!

16年の修業中は、南北朝・室町時代に作られていた芦屋釜を復元することを志していました。独立してから芦屋釜はもちろん、価格帯の様々なすず製品も製作しています。例えば、結婚10年目の錫婚式すずこんしきを祝して、夫婦めおと酒器をお祝いの記念品として購入されたお客様もいました。

芦屋釜は茶道の道具なので、その世界でしか需要がありませんし、製作に4か月の時間を要します。一方で錫の酒器は、短期間で作ることができ、なるべく手に取りやすい価格にして、鋳物を身近に感じてほしいという願いで作っています。
干支の置物も毎年一つ作っていて、あと2年でやっと干支が一周します。全国各地に、12支全て集めることを目指している方もいて、本当にありがたいことです。

「これは細部まで模様を付けた巳(蛇)です。
12個の干支を全部揃えたら願いが叶いますよ!(笑)」

ギャラリーは案内板が暖簾のれんだけですが、どなたでも歓迎しています。中の設|《しつら》えには福岡県の伝統工芸品を集めており、棚に大川家具、酒器のコースターに博多織や小倉織、台として博多の曲げわっぱを使っていたりするので、そういったところも楽しみに来てもらいたいです。

様々な酒器が揃い、一つひとつに意味が込められている

Q 芦屋港の活用について、どう考えていますか?

芦屋港と芦屋釜の里を巡って、町で1日過ごせるような場所になるといいですね。芦屋釜の里は令和6年の11月にリニューアルして、来館者数が増えました。釜の展示や歴史を見て、庭や呈茶を楽しみながら半日ゆったり過ごしていただけるような仕様になっています。
そこで、芦屋港があと半日を過ごせるような場所となれば、町の魅力を存分に感じる観光を提供できるのではないかと思います。他地域から来た人がわざわざ車を止めて夕日を眺めるくらい自然の風景に恵まれているので、それを活かした港づくりを応援しています。

ものづくりもそうですが、観光の施設にしても「なぜ作ったのか」「そこにどういったストーリーがあるのか」をしっかり持つことが施設の魅力となります。海風が強く塩害もあるので、施設を作るのはハードルが高いかもしれませんが、長く愛される施設を作ってほしいですね。

芦屋釜の歴史と共に生きてきた八木さんの、作品に対する細やかな観察と手仕事が伺えました。16年という長い月日をかけて、ゆっくりしっかりと修業の糸を紡いできた八木さん。鋳物師の技術を伝えるために新たな風として錫製品を生み出し、過去と今、未来をつなぐ八木さんの作品は、見る者使う者を魅了しています。

(文―上田裕菜)

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