知らんおばちゃん
先日、インフルエンザの予防接種に行ってきました。
午後の病院は比較的空いていて、まだ小さな三男坊を連れていくにはとても都合が良かった。
幸い、抱っこマンは今日に限っては珍しく、大人しくベビーカーに収まってくれたので静かに待つことが出来そうだなぁ。顔は若干ムスッとはしているけども。
なんて思いながら受付を済ます。
受付には小・中学が一緒だった同級生がいて、三男坊を見て「大きくなったねえ」などと軽く談笑を挟んだ。
そんなわたしの視界の端に、えらくにこやかな知らんおばちゃんが立つ。
ただにこやかではなく、明らかにこっちを見ている。
顔だけじゃなく、身体をしっかりこちらに向けて微笑んでいる。
わたしの住む地域は田舎で、過疎化が進みゆくやがて無くなるであろう町で、わたしはこの町の生まれ。
田舎の情報網は想像を絶する。
こればっかりは田舎あるあるなのだが、知らんおばちゃんとはいえわたしのことを知っている可能性があった。
「(旧姓)さんのとこの娘さんやね!」なんて日常茶飯事である。素性が二親等先まで割れてることもある。
でも、アナタ何をされている方なの?とは聞けない。わたしは和田アキ子になれない。
向こうは知っててこっちは知らないのは、失礼な気がしてとても口に出せない。
なので、基本的にすべてに愛想良くしておきたい。
だって、このおばちゃんに何かのつながりがあるかもしれない。
波風立てずに生きていくのが、田舎の生き方である。
知らんおばちゃんの視線に耐えきれず、目を合わせてにこりと返した。
すると、
「キレイなお母さんやねえ!」
快活な声で褒められ、拍子抜けした。
前日、2ヶ月ぶりに染めたばかりのヘアカラー。眉毛と目元はばっちりメイク。鼻から下はマスク。
本日は、我ながら1番盛れた状態ではあった。
「(旧姓)さんところの娘さん?」もしくは「赤ちゃん何ヶ月?」で第一声のヤマを張っていたため動揺しつつ、向こうにとってもわたしが知らんおばちゃんであったことに安堵した。
「あ、あへ、あ、ありがとうございますぅ。」
知らんもん同士でも愛想良くはしておこう。
へらへら〜と恐縮しつつペコペコした。
知らんおばちゃんはにこやかな顔のまま三男坊を見た。
「うーん、キミは……、お父さん似かな?」
……。
…………。
いや失礼か???
わたしは今日ひとりで受診してて、連れは三男坊ひとりだけ。旦那は連れてきていない。
知らんおばちゃんは、知らんわたしの旦那の顔を知らん。
お母さんキレイ→三男見る→父親似かな?
これ遠回しに三男かわいくないって言ってない??
いやまてまだわたしが捻くれてる可能性ある。
男前っていうニュアンスかもしれない。
わたしが曲解してる可能性全然ある。
おばちゃんは続けた。
「お母さんみたいに美人になれたらいいね!」
いや失礼すぎんか????????
確かにムスッとしてる。
9ヶ月抱っこマンなりに泣かずにベビーカー耐えてて、つぶれた鏡餅みたいな顔してる。
でも息子は凛々しい太眉にぱっちり奥二重、黒目も大きくてまつ毛も多くて長い。鼻は低く平べったい顔族の民だが、これはわたしの遺伝子だ。わたしの祖母の前から伝わる代々激烈な遺伝だ。マスクしているから、このおばちゃんは知る由もないが。
まあワンチャン、わたしのハイパーかわいいかわいいプリティミラクルキュートな息子が、ブサイクだったとしよう。おばちゃんの好みじゃなかったとしよう。
それでも見ず知らずの他人の赤ちゃんに言うセリフじゃなくない???
赤ちゃんの容姿ってそういう形容したらダメじゃない???
わたしが絶句している内におばちゃんはどこかへ消えた。
バツが悪くて…とかではない、おばちゃん的には知らんお母さんを褒めちぎって良い行いをしたつもりで、スッキリと自分の用事に戻ったようだった。
わたしは褒められたことよりも、唐突に息子サゲされて、やり場のない憤りを抱えただけ。
予防接種の予約時間まで10分くらい余ったので、三男を連れて病院の外に出た。
リハビリ患者さんが外歩きするために作られた遊歩道の先に、ぽつりぽつりとベンチが置かれただけの広場がある。今日は、リハビリしている人はいなかった。
広場の端に立つと、坂の下に工事現場が見えた。
まだ何もない平地、ショベルカーが土を持ち上げては傾斜を作り、それを均していく。
大型トラックが出入りしている。
三男にも見えるようにベビーカーから抱き上げた。
黒いビー玉みたいな瞳が、現場から出ていく大型トラックの動きを追う。
「いや、どう見ても十分キレイな顔してるやろがい…」
三男の横顔は、それはもうわたしには超絶プリティイケメンにしか見えないもんで。
おばちゃんに言いそびれた言葉は、ショベルカーの駆動音が拾い上げただけだった。