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タイトルだけ見て連れ帰った本。今回は大当たりだった

本のタイトルを見て、グッとくるものがあって、中身を見ずに家に連れて帰ることがある。

家に招いて目次を開いて、「あ、外した」っていうときもあれば、「うわ、これは当たりだ」っていうときもある。


今回は大当たり。

わたしの身体はままならない』 もうこのタイトル、胸がバクバクした。

家に帰るまでの間、「ままならない」という言葉を頭のなかで転がしながら歩く。私のリュックのなかには宝物(になるかもしれないもの)が入っている。

机の上を綺麗にして、リュックから取り出す。生き物を扱うみたいに丁寧に。我が家によくおいでませ。

家にお越しになったばかりなのに、もう家に馴染んでいる。これは当たりの予感がするぞ。


目次を開いて、「うわーーーやられた」と思った。

共著だ。著者が複数いる本だ。 大好き。

伊藤亜紗さんだ、坂爪真吾さんだ... 大好き。


「性と生のあわいで」から、「路上生活から見えること」まで。ぐるっと回って、すとんと落ちた感覚。

一冊の本として、一つの作品として、この仕上がり。畏怖の念を感じる。


私たちは誰でも、この社会のなかで、多数派(マジョリティ)に入る要素と、少数派(マイノリティ)に入る要素を両方持っている

例えば私は、目が見えるという点でマジョリティだし、日本社会においては日本国籍を持っているという点でマジョリティだ。同時に、セクシュアリティという点でマイノリティなようだし、左利きという点でマイノリティかもしれない。パンが好きという点でマジョリティかもしれないし、パクチーが好きという点でマイノリティかもしれない。

色んな要素があって、そのなかには「生きづらさ」に直結する要素や、マイノリティだろうとマジョリティだろうとそんなことは気にせずに生きていける要素もある。

いくつかの要素は、それを持っていることや、持っていないことが「障害」と呼ばれる。多数派の意識不足や制度設計の不備などから、社会の側がそれを「害」としてしまう。その要素を抱える人の生きづらさにつながってしまう。


この本のなかで、誰しも、マジョリティな自分と、マイノリティな自分をゆらゆらと行ったり来たりするだろう。「自分らしさ」なんてそんなもの探さなくても、私たちはみんな違う。一人一人、この世界をどのように捉えているかは違う。

でもきっと、大丈夫。私たちは仲良くできるはず。皆、一緒に、生きていくことがきっとできるはず。そんな祈りにも似た、本気の思いを、自分のなかにしっかりと確認する。

よし。






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