もし、中高時代に「発達障害」に気づいていたら。
ここ近年の発達障害の文脈を調べていると、障害の告知を中学生時代あたりにすることが多いようです。
過去に聞いた講義でも、中学あたりで告知をしてほとんどの子がすんなり受け入れているようです。(自宅に発達障害の書籍が多くあるから、なんとなく察していたパターンもわりとあるとのことです。)
「もしも」という仮定の話にあまり意味はないのですが、自分の場合だったらどうだろなと考えてみました。
自分の場合は、小学校の高学年あたりから漠然と違和感があり、中学の時点ではその違和感が強くなり、高校時代には「普通」という枠から外れた存在であると薄々思っていましたが、認めたくないという思いも同時にありました。
しかし、中学時代に医師から理路整然と自分の障害を告知されたら、おそらく受け入れていただろうと思います。
「お前は、障害者だからお先真っ暗だ」みたいな言われ方でなければ、大丈夫だろうと思われます。
障害の告知に対して自分の家族はどうだったのだろうと思います。中学時代に障害受容している方は、小学校の頃から児童精神科に繋がっていると思われ、親御さんはすでに障害を認知しているので、心の準備はおおむねできていると推察します。
うちの場合は、精神疾患に対するスティグマが強かったと思われ、子どもの頃に自分が精神科に繋がること自体が屈辱に感じる可能性が高かったと思われます。「親の顔に泥を塗りやがって」と叱責される可能性も否定できません。
しかし、スティグマが強くとも医師の見立てに対しては、心の中では納得はいかないものの、障害がある事実に対してはそれに見合う対応を取るだろうと思います。
仮に自分が障害を中学時代に認知していたとなれば、間違いなく「作業療法士」などの対人援助職は目指すことはなかったでしょう。
自分がASDだと知っていれば、人と接する技術を要する職は真っ先に除外しただろうと思います。
そして高校時代の進路選択では、自分の知的水準や障害特性を鑑みながら、場合によっては大学に進学せず、障害者雇用を選ぶ可能性も大いにあったでしょう。
親も自分の障害を中学時点で知っていたら、健常者と同じ努力をさせることはなかったかもしれません。
おそらく障害者雇用だったら、仕事はほどほどにコミットしながら、のほほんと余暇を楽しむ生活をし、間違いなく無理に努力をするということはしないという確信があります。
初めから出世も狙わず、恋愛も期待せず、好きなゲームやアニメ、音楽をまったりと楽しむような趣味と娯楽に生きる人生になりそうです。
そんな訳でこじんまりと静かに人生を送り終わるような予感しかしません。
他に別な選択肢を考えると、過剰適応をしなくとも知的水準が一定のレベル以上であれば、大学に進学して就労に結びつく専門分野を学びつつ、障害特性による負の影響が少ない場所を選択したと思いますし、就労時にも障害特性を開示して就職活動をしただろうと思います。
そう考えると、作業療法士をしている自分に対して不思議な巡り合わせを感じますし、一つ歯車がズレたら選択肢にすら入らなかったので、人生の分からなさと奥深さ、面白さを感じます。
今回は、ダラダラと自分の障害と人生を語ってみました。
最後までお読みいただきありがとうございます。