【発達障害】「努力で克服しろよ」と言われやすい理由
先日、上記のようなツイートをしたところ、普段より多くの反響があったので、今回はこれをより深く掘り下げていきます。
「帰属理論」を知った時、自分の中で「だから、精神障害や発達障害は身体障害と違って、いとも簡単に“努力”や“やる気”、“根性”の問題に矮小化されるんだな」と、ものすごく納得感を感じました。
一見分かりづらい、見えないものは、内側で起こっている過程の理解が困難なため、多数派にとって「あの人は努力が足りない、怠けている。」という結論に容易に辿り着きやすいのでしょう。
見えない障害は、その状況を説明しないと理解してもらえない傾向があります。しかし、当事者はその状況を言語化する術が乏しかったり、本人も気づいてないことも往々にしてあるでしょう。
その状況を可視化したり説明をするには、何らかのサポートが必要ですし、社会的な文脈の変化を促す必要性もあるでしょう。
自分は「スティグマ」の根底には、その人に無意識の「優生思想」が内面化しており、そこには「人々が社会に流通する障害者をどこか否定的に捉えている」文脈の存在を感じます。
日本では、出生前診断に対する態度が優生思想に対するリトマス紙に近い位置付けとなっています。「内なる優生思想」という彼らの問題提示のあり方がそれを象徴しているでしょう。
一人の発達障害の当事者として、障害をまじめに考えていたら、なかなかに答えを出すのが難しい問題に突き当たったようです。
今回は、精神障害や発達障害の当事者の訴えが、なぜ「努力」の問題に矮小化されやすいのかを「帰納理論」という視点から捉えてみました。
発達障害者が苦しみを吐露すると、周囲から「努力で克服しろよ」と言われやすい傾向を感じるので、「帰納理論」は一つの納得がいく説明だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。何かの参考になれば幸いです。
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