忙しいは心を亡くす。
忙は「心+音符亡」で、あれこれと追われて、心がまともに存在しない状態、つまり、落ち着かない気持ちになること。
少し前に書いた記事で「子供の頃は自分の人生が他人事の様に感じてた」と書きました。
今回は子供の頃を少し思い出してきたので、その辺りを語っていきます。
自分が子供の頃は、特に勉強や習い事が忙しかったという記憶があります。勉強は、公文式+親の特訓。習い事は、水泳、習字、ピアノ、柔道(すぐに辞めましたが)をやっていました。
そんな訳で、一週間がとても忙しく、自分の事を振り返る余裕はほとんどなかった様に思えます。
公文式は友達と一緒に行きたかったので自分が希望した覚えがあるのですが、それ以外は「将来役に立つからと」説得されてやった記憶があります。
自分としては、習い事をたくさんやった割には「成果」があまり得られなかった印象があります。何もしなかったよりはマシだったかもしれないと言ったところでしょうか。この辺は親に無駄な出費をさせてしまったという罪悪感があります。
自分が子供の頃に受けていた評価は「ボヤッとしている」「集中力がない」「精神的に幼い」「すぐ泣く(今思えばパニックだったかと)」「周りが見えていない」「不器用」など、明らかに発達障害と思われるものでした。
しかし、仮に当時の状況で自分が「発達障害」と知っても、自分も両親も周囲も絶対に受容はできなかったと断言できます。
なぜなら、自分が子供の頃は、「精神障害者」への負のレッテルが今では比べ物ならないほど強かったからです。そして、違和感がありながらも自分は「健常者」で普通であるという思いも当然持っていました。
そして自分の家は両親が教職関係だったのもあり「自分の子どもの学力が低いのは絶対に許せない」という文脈も存在していました。
親としては自分が明らかに周囲と比べてスペックが低いことを感じとり、何とか普通になり将来を生きてほしいと必死だった面もあった様に感じます。
あの頃の自分にとっての勉強や習い事は「課されたトレーニングメニューをひたすらこなす。」様なものでした。
そのような状況でしたので、「忙しくて心ここにあらず」というのも自我形成が遅れるの一つの要因であったように思います。
やはり、本人の興味関心に寄り添い「自分の人生を生きている」感触を掴む体験は重要であると、経験や支援を通して思うところです。
「心ここにあらず」でいた時代は、正直言って記憶がほとんど埋没しているような感触です。言われれば思い出すのでしょうが、空虚な時代に何となく作った関係性(そもそも作れていたのかすら疑問)は脆く儚いので、地元に住んでいながら地元の友人?と連絡を取ることが全くない人生を送っています(笑)