「こんな奴ら」付き合うと最高。
「こんな奴らと一緒にするな」これは精神・発達障害の障害受容でも序盤に通る関門だと思います。
自分は障害を告知され、それを素直に受け入れた方だと思いましたが、他の当事者との文脈の比較を通して、差別的な意識があったのは確かでした。
「自分は障害者だけど、他の当事者と比べてひどくない方だ。」と感じていました。
それは無意識にスペックの比較をしていたのでしょう。その時点では、障害受容をしたつもりになっており、真の障害受容ではなかったと今では思います。
Twitterに記載されている依存症の「否認の病」について説明すると、まず「否認」を語る前に「防衛機制」についての説明が必要です。
「防衛機制」とは、人間が心理的緊張や不安が過度に強化されるような葛藤に直面する状況に置かれた場合に、傷ついたり破局したりするのを防ぎ、無意識に緊張や不安を解消しようとする心の働きを指します。
「否認」はその一つです。他にも「退行」「合理化」「投影」などがありますが、ここでは割愛します。
「否認」とは、受け入れたくない欲求、体験、現実を認めず、実際には存在しようとしなかったように思い込んで振る舞うことです。
例えば病名を告知されても「自分に限ってそんなはずはない」と信じようとしないことが相当します。
過去記事で触れましたが、精神・発達障害などには「スティグマ」が存在します。それは社会的に個人に押し付けられたネガティブな烙印や負のレッテルです。
そしてその文脈には、スティグマを内面化したものである「セルフスティグマ」が存在します。自分自身に烙印やレッテルを貼って、自分自身の存在を恥ずかしく思い、自分で自分を貶めるような意識につながります。
この「セルフスティグマ」に向き合うのは、とても辛い過程の一つだと思います。当然「否認」という「防衛機制」が働き、自分が傷ついたり破局したりするのを防ぐことを無意識におこなうでしょう。
自分もASDという障害に対して、自身が傷ついたり破局するのを防ぐために無意識に「防衛機制」が働いたのは確かだと感じます。
セルフスティグマの克服にはどんなことができるのかと考えました。一つは多様な価値観を知り、自分の価値観を広げたり、逆に生きやすさを阻害するような価値観を消去することが必要に感じます。
他には、他の当事者を見て「こんな人生も面白いかも」というような、ポジティブな体験も欠かせないでしょう。
兎にも角にも、「自分がこだわっている“枠”」から勇気と好奇心を持って、飛び出してみることが大切かもしれません。
自分の場合は、他の当事者と話し合うきっかけがあり、各々の人生の体験談を聞く機会がありました。
実際に障害を抱えても楽しく生活できているのであれば、ずっと「障害」に対して悶々とする必要もないと感じます。
そんな訳で、高知さんがツイートしていた「こんな奴ら」付き合うと最高は、実際に他の当事者の話を聞き、自分を振り返る機会があると「価値観の変容」の契機につながり、生きやすくなるかもと言った話でした。
ここまでお読みいただきありがとうございます✨