見出し画像

「お互いに歩み寄りましょう」という罠

前回の投稿からだいぶ間が空いてしまったが、短い記事を上げることにしたい。

しばしば、発達障害者と定型発達者は、あるいは一般に少数派と多数派は「お互いに歩み寄りましょう」と言われる。
私はこの言葉を額面通りに受け取ることはできないと思っている。

「お互いに歩み寄る」ことが真に成り立つのは、夫婦間のような本来対等であるべき間柄のみである。
従業員と職場、もしくは個人と社会のような、1対9、あるいは1対999以上の圧倒的な力の非対称性が存在する関係においては、両者に等しく歩み寄ることを求めては、「1」の側にとうてい耐えきれないほどの負担を強いることになる。
その非対称構造は少数派と多数派の間であればいつでも発生しうるものだ。

もちろん、職場であれ社会であれ、自分の属する集団をいたずらに敵視しては良い結果を招かないであろうし、歩み寄ろうとする態度を示すこと自体は必要であろう。
それでも「お互いに歩み寄る」というもっともらしい言葉が唱えられるとき、「お互いに」と称して実質的には片方にばかり何万歩も歩かせる意図があるのではないかと、私は警戒感を抱かずにはいられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?