多くの人が陥りがちな認知バイアス(偏見)
認知バイアスとは、ある特定の人物や集団、または、ある特定の意見や価値観に対して、公正でない偏った認識の仕方をしてしまう心理現象のことです。
バイアスとは、偏見のことです。
論理的に物事を考えるためにはバイアスに気をつけねばなりません。
今回の記事では、人は心理状態によってどのような偏った認識をしてしまうかを解説したいと思います。
ハロー効果、ホーン効果
まったく同じ意見でも、誰が発言したか、という点で受け手の印象が変わることがあります。
それ自体はおかしいことではありませんし、間違ったことでもありません。
例えば会議において、まったく同じ発言でも発言者の印象(その人のことが好きか嫌いかなど)によって、賛成したくなったり反対したくなったりすることがあると思います。
このように、ある対象の良い印象、あるいは悪い印象によって、対象の発言や行為、あるいは対象そのものに対しての評価が歪められるバイアスのことを「ハローアンドホーン効果」といいます。
ハロ(halo)とは暈(かさ)のことであり、天使の頭にある輪っかです。ホーン(horn)とは角のことであり、悪魔の角です。
天使の輪が浮かんだ神秘的な存在の発言や行為は、その発言や行為の是非を問うことなく人々は「善いもの」と受け取ります。
同様に、角が生えた悪魔の発言や行為は、その発言や行為の是非を問うことなく人々は「悪いもの」と受け取ります。
特に、対象の良い印象によって、対象の発言や行為の評価が良い方向に歪む場合は「ハロー効果」と呼び、対象の悪い印象によって、対象の発言や行為の評価が悪い方向に歪む場合は「ホーン効果」と呼びます。
ハロー効果
例えば、容姿があなたの好みだったり、清潔感があったり、身なりがきちんとしていたり、社会的な地位が高かったりする人の行為や発言は、肯定的に捉えてしまいます。
好きな芸能人やインフルエンサーの発言は、その発言自体の良し悪しの判断抜きに、良い発言のように思えてくるのです。
あるいは、あなたが好きなお菓子のメーカーがあるとして、そのメーカーの新商品が他の似たような商品と質的には差異がなかったとしても、その商品が魅力的に感じたりします。
このとき、バイアスを認識できていない人は魅力的に感じる理由を探します。
例えば、パッケージのデザインが素晴らしいとか、甘さが控えめですっきりしている気がするとか、最もで合理的な理由を無意識レベルで作り上げます。
これが認知におけるバイアスで、多くは無意識レベルで発生しているのだと思います。
あなたが好意的な印象を持っている企業の商品は、その商品の良し悪しの判断が良い方向に傾きやすいのです。
そのメーカーがお菓子以外にもスポーツウェアを販売していたとしましょう。
そのスポーツウェアが他の製品と品質に差異がなかったとしても、やはりあなたはそのスポーツウェアが他の製品より良いものに感じやすい傾向があります。
ある分野において好意的な印象がある対象は、別の分野においても同様に好意的な印象を持たれやすいのです。
ホーン効果
反対に、容姿があなたの好みでなかったり、清潔感がなかったり、みすぼらしい格好だったり、社会的な地位が低い人の行為や発言は、否定的に捉えてしまいます。
例えば、あなたと反りが合わなくて悪い印象を持っている人がいるとします。
その人が会議で何かアイディアを出したとして、そのアイディアの良し悪しの判断抜きに、あなたにはそれに反対したくなる傾向があります。
そのとき、やはり無意識レベルで反対する理由を作り上げます。コストがかかりすぎるとか、人手が足りないとか、最もらしい合理的な理由です。
しかし、ホーン効果が働いているときの反対理由はそのアイディア自体を吟味しているようで吟味していません。
ある2つ比較対象に、それぞれハロー効果とホーン効果が働いているとき、両者に対する評価の差はより顕著なものとなります。
ハロー効果、ホーン効果の問題点
ハロー効果が社会において最悪の問題となるケースは、多くの人々に良い印象を持たれている人が社会において危険となる思想を持っているときだと思います。
人々は発言の是非の判断抜きに正しいと感じていますので悪い方向へ扇動され得ます。
また、ハロー効果が働いているとき、良い評価をしている最もらしい理由を無意識レベルで作り上げ、それを大義と免罪符として掲げ扇動される仲間を増やします。
ハロー効果が働く対象は集団であることもあり、また、自分がその集団に所属している場合もあります。
そのとき、その集団の主張や行為は是非の判断抜きで肯定されますので、そういった集団は狂信的な状態に陥りやすいです。
ホーン効果が問題となるケースは、例えば周りの人々から悪い印象を持たれている人が正しい行為や発言を行ったときです。
ホーン効果が働いているとき是非の判断抜きに否定されやすい傾向にあるので、逆説的だが正しいことはまず認められないでしょう。
それがもし社会にとって功利になるような逆説であれば損をするのは周囲の人々です。
権威論証
例えば、「風邪薬をたくさん飲むのはやめて、できる限り自然治癒力に任せたほうがいい」と言われたとき、医者の言葉なら耳を傾け、医者でない人の言葉なら耳を傾けない、という人のほうが多い傾向にあると思います。
実際、医療に関する意見は専門的な知識を持っている医者、つまり、ある分野において権威がある人の言葉のほうが、多くの場合は正しいでしょう。
ですので、真偽を明確にする手段や手間を考えると医者の言葉なら耳を傾ける、そうでなければ耳を傾けない、というのはある意味、合理的な判断といえます。
このように、ある特定の分野において、すでに良い印象を持っている対象が、その分野で何か発言や行為をした場合に、良い評価を得られやすいことがあります。
こういったものをハロー効果とは呼ぶことは少ないかも知れません。なぜならこれは認知バイアスでなく蓋然性に基づいたある種の合理的な判断だからです。
しかし、この医者が医療に関係のない別の分野、例えばファッションに関して何か発言したとき、その発言の是非を問うことなく良い評価をするのであれば、それはハロー効果といえます。
しかしながら、医者が発言する医療に関することがすべて正しいというわけではありません。
ちなみに「医者が言うのなら正しい」と感じるのも認知バイアスには違いません。広い意味でのハロー効果の定義に含める人もいるかもしれません。
このように、ある特定の分野において、すでに権威を持っている人が、その分野に関する何かの発言したとき、是非の判断抜きに正しいと評価するような認知バイアスを利用した詭弁のことを「権威論証」といいます。
具体的には以下のような主張が権威論証にあたります。
問題点は「Aが(ある分野に関して)言うことはすべて正しい」と断言的な判断をしていることです。
先生だって間違ったことを教えることもあるし、科学者だって間違った仮説を提唱することもあるし、数学者だって計算を間違えることがあります。
発言や行為の是非の判断をしないのであれば、「科学者なのだから正しい蓋然性が高い」という具合に蓋然的な判断をすべきところを、全称肯定することが誤謬であり認知におけるバイアスなのです。
確証バイアス(チェリーピッキング)
確証バイアスとは、正しいと信じたいある意見に対して、その意見を支持する情報ばかりに目を向けてしまう心理現象のことです。
その意見を否定するような情報があったとしても、それにはあまり目を向けようとしません。
自分が主張したいことを支持するような情報ばかりを抜き出し、自分の主張したいことを否定するような情報を無視するような論法を「チェリーピッキング」と呼びます。
例えば、子供がビデオゲームばかりするのを止めさせたいとき、ビデオゲームがいかに脳に悪影響かを論じる仮説を親は提示するでしょう。
しかしビデオゲームをすることが知能の発達に良い影響を与えるという仮説もあります。ですが、そのような仮説はビデオゲームを止めさせたい親に取っては不都合です。
なので、親は不都合な情報は提示せずビデオゲームは悪であるという、ビデオゲームを止めさせるのに都合が良い情報ばかりを抜き出して提示するのです。
このように、ある目的のために意図的に情報の取捨選択を意図的に行っている場合はチェリーピッキングは詭弁となり、確証バイアスが働いている場合は誤謬となります。
確証バイアスの例としては、例えば自分がお金持ちでないことをコンプレックスに思っている人がいるとします。
その人はお金持ちに対して嫉妬しているので、お金持ちが不幸になったというニュースばかりを無意識的に探してしまいます。その人はお金持ちには不幸であってもらいたいのです。
そのような情報ばかりに触れたその人は思うでしょう。「やっぱり、お金持ちは不幸なんだ。自分は今のままでいい。」
実際には幸福なお金持ちもいるでしょうが、その人に取ってそのような情報は目に入れたくない情報です。
人の心理として自分が信じたいものは、それを支持する根拠を積極的に探しますが、それを否定する根拠は存在して欲しくないのです。
帰属バイアス
帰属バイアスとは、物事が起こった理由を外的要因よりも自分や他人の行動やパーソナリティに関連付けてしまう傾向が高いという心理現象です。
例えば、駅でスマホを覗き込みながら歩いているサラリーマンとすれ違ったときに彼に舌打ちをされたとして、帰属バイアスが働いている場合は自分に対して舌打ちされたと認識してしまいます。
そして、舌打ちしてきた人間を自分に対して攻撃的で粗暴な人間と認識してしまいます。
外的要因に理由を求めれば、彼はスマホを見て何か不快なニュースやメッセージを見て舌打ちしたのかも知れませんし、何かにぶつかりそうになり舌打ちしただけかも知れませんし、彼は行きたくない会社に行かなくてはならない状況に対して舌打ちしただけかも知れません。
ちょっとしたことで舌打ちする悪癖があって敵意や悪意はないのかも知れません。
しかし、帰属バイアスが働いているときは物事が起こった理由を相手のパーソナリティに関連付けてしまうため「あいつはなんて攻撃的で粗暴な人間なんだろう」と悪い印象を相手に抱いてしまいます。
物事が起こった理由が他人または自分の外的要因なのか、それともパーソナリティなのか、それが定かではない状況で一方的な判断をすべきではありません。
被害妄想的な帰属バイアス
あるいは、先の例で他人ではでなく自分自身のパーソナリティに対して理由を求めてしまうかも知れません。
その場合は帰属バイアスは以下のような被害妄想を生み出します。
物事が起こった理由を自分のパーソナリティに関連付ける帰属バイアスが最大限に強化された場合は、他人の好意すら敵意と認識するようになり得ます。
これは劣等コンプレックスが強い人に起こりがちなバイアスです。
自己防衛的な帰属バイアス
優越コンプレックスが形成されているようなナルシスティックな人の場合は、悪い物事が起こった理由を外的要因、あるいは他人のパーソナリティに帰属させ、良い物事が起こった理由は自分自身のパーソナリティに帰属させる傾向があると思います。
例えば友人と一緒に釣りをしていて、友人に釣りのアドバイスをしたとしましょう。
自己防衛的な帰属バイアスは、友人が大漁だったら自分のアドバイスのおかげ、友人がボウズ(注1)だったら友人は釣りの才能がない、といった具合に自分の優越コンプレックスが保てるように物事の理由を帰属させます。
また、自分が大漁だったら自分は釣りの才能がある、自分がボウズだったら釣りのポイントが悪い、友人が騒がしいから魚が逃げてしまった、といった具合に、成功のときは自分のパーソナリティに成功の理由を帰属させ、失敗のときは外的要因か、他人のパーソナリティに失敗の理由を帰属させます。
生存バイアス
生存者バイアスとは、ある条件を通過した物事だけを観測対象とし、条件を通過できなかった物事を無視、あるいは軽視することで起こる認知バイアスです。
先の被害妄想的な帰属バイアスの中に以下のような理由がありました。
舌打ちされた経験が多いように錯覚しているようですが、舌打ちされる傾向が高いかどうかは、舌打ちされた経験と、舌打ちされなかった経験の和を母数にして考える必要があります。
舌打ちされなかった経験は意識されていないので見逃されているのです。
生存バイアスの具体例をもっと見てみましょう。
この例では、「救出される」という条件を通過した人たちが主な観察対象となっており、救出された人たちがどこで溺れていたか、という点に注目しています。
条件を通過できなかった行方不明者は主な観察対象になっていないため、行方不明者はどこで溺れていたか、という点が軽視されているのです。
以下の例も生存バイアスです。
なぜなら「試験に対して高いモチベーションを持っている、かつ試験に挑むための十分な時間や環境が用意されていること」を条件にしているからです。
彼は失恋して試験の勉強が捗らなかったのかも知れませんし、他に打ち込むことがあって勉強を怠ったのかも知れません。
試験で低い点数を取ったことは事実ですが、そこから頭が悪いという結論を導くだけの十分な判断材料がないのです。
抽選のバイアス
「抽選のバイアス」とは、何かが起こる確率が個々の対象によって大きく異なるとき、その違いを無視して対象を平準化し、同じ確率を対象全体に当てはめてしまうことです。
他にどう呼ぶかはわかりませんが、私はこれを「抽選のバイアス」と名付けています。
例えば、東大に受かる確率は明確なデータはないものの約1%と言われているそうです。
そこで、Aさんという人がいて東大を目指しているとします。
Aさんが東大に受かる確率は1%というのは正しいでしょうか?
いえ、正解は不明です。1%ではありません。
人柄もよく高いモチベーションがあり極めて高い学力がある人が東大に受かる確率は100%に近く、素行不良で学力が極めて低く分数すらも分からない人が東大に受かる確率は0%に近いのです。
Aさんのバックグラウンドが分からない以上、Aさんが東大に受かる確率は不明とするしかありません。
抽選をして、1%の確率で当選するわけではないのです。
100人東大を目指す人がいて、その中にだいたい1人ぐらいは受かる人がいるという話は、誰もが1%の確率で東大に受かるというわけではありません。
学力もモチベーションも個々の対象によって異なり、東大に受かる確率も個々の対象によってそれぞれ異なるのです。
同じように、日本人が一生のうちに癌になる割合はだいたい2人に1人と言われているそうですが、あなたが50%の確率で癌になるというわけではありません。
30歳で癌になる運命の人の場合は一生のうちに癌になる確率は100%ですし、癌にならずに一生を終える人は0%です。
我々は同じ遺伝子で同じ量の発がん性物質を接種しているわけではありませんし、環境も体格も体のつくりや精神の働きや、抱えるストレスの量も様々です。
一生のうちに癌になる確率は個々によって大きく異なるのに、その違いを無視して対象を平準化し、同じ確率を対象全体に当てはめても意味がありません。
したがって、あなたが一生のうちに癌になる確率は不明です。
抽選をして、50%の確率で癌になるかどうかが決まるわけではないのです。
エコーチェンバー現象
エコーチェンバー現象とは自分の発言や行為が他人から肯定されることによって、それが正しいことであるかのように認識してしまう心理現象のことです。
同調圧力がかかった排他的な閉じたグループでは同じ価値観を持った人たちに囲まれるため、エコーチェンバー現象が起きやすい環境であるといえます。
他人に対して意見を言えない迎合気質な人はエコーチェンバー現象の要因となります。
そのような人たちに自分の発言や行為の正当性を聞くと「あなたは正しい。あなたは悪くない」といった肯定的な返答が期待されます。
そのときの返答に合理性はまったく必要ありません。「そんなこと言うなんて相手は酷い!」や「かわいそう!」といった感情論で十分です。
なぜなら合理的な正しさよりも、自分の発言や行為が他人から正当化された、という事実が重要だからです。
つまり、合理的な見解かどうかはともかく、多数の人から正しいと認められたことは正しい、という考えが根っこあるのです。
合理性の欠けた肯定意見がいくつあったとしても、自分の発言や行為の正当性は、それを理由に認められることはありません。
100人に聞いて100人全員がカラスは白いと肯定したとしても、カラスは黒いのです。
早まった一般化
早まった一般化とは、数が少ない事例から一般的な法則を導き出してしまうことです。
早まった一般化は以下のような推論の仕方をします。
男性のAさんはタバコを吸う
男性のBさんはタバコを吸う
男性のCさんはタバコを吸う
すべての(または、ほとんどの)男性はタバコを吸う
仮に男性の約半分がタバコを吸うとすると以下のような概念の関係になります。
男性の外延であるAさん、Bさん、Cさんは大きな円にしましたが実際はもっと小さいです。
男性という概念には無数の外延があるため、3つの外延の事例を確認しただけでは少なすぎるのです。
この推論は3人の男性がタバコを吸うという少なすぎる事例を一般化し、すべての(または、ほとんどの)男性がタバコを吸うと判断しているため誤謬となります。
もし意図的にやっている場合は詭弁となります。
ちなみに事例の数の大きさが小さいことが直接の問題ではありません。
例えば極端な話、この世界に5人しか男性がいないとして4人の男性の事例を調べれば全称命題にはできないとしても、一般的な法則を導くことはできるでしょう。
母数に対して、事例の数が少ないことが問題なのです。
個々の事例から一般的な法則を導くという帰納的なアプローチを行う場合は、母数がどれぐらいあり、どのぐらいの事例を調べないといけないか、ということを意識する必要があります。
視野が大きくない人は自分の周りの少ない事例を一般化しやすいです。これも一種の認知バイアスと呼べると思います。
一般法則の全称化
一般法則とは、多くの対象に適用できることであり、すべての対象に適用はできません。
ほとんどの人に当てはまることは、すべての人に当てはまることではありません。
したがって、一般法則において、通常は対象は不周延として扱うべきですが、対象を周延させていると大前提が真偽不明の未知論証となり誤謬となります。
私はこの誤謬のことを「一般法則の全称化」と呼んでいます。
以下の例は、一般法則が全称化されているときの三段論法です。
大前提の「女性」が周延されているとし、花子さんを特称不可の全称命題として扱うと式は AAA-2 となり、本来ならば妥当な結論を導くことができます。
その場合、概念の関係は以下のようになります。
もちろん、おしゃべりが好きじゃない女性もいます。
すべての女性がおしゃべりが好きという訳ではなく、大前提はあくまで一般法則なので「女性」は不周延として扱うべきです。
なので正しくは IAA-2 となり、概念の関係は以下のようになります。
そして、これは妥当な結論を導くことができる式ではありません。
「女性」の外延である「花子さん」を、「女性」という概念のどこへ置けばいいか不明だからです。
早まった一般化によって一般化された誤った一般法則が全称化されるとかなり偏った認知になります。
ちなみに、浮気をしない男性のことが無視されているので生存バイアスも働いています。早まった一般化は観測対象を限局化しているという性質上、生存バイアスを通して一般法則を導いてしまうバイアスといえると思います。
そして誤った一般法則を全称化してしまうと、このような強い認知の歪みが生じてしまうので更に注意が必要です。
因果の逆転
因果の逆転とは、因果関係を逆に考えてしまうことです。
例えば、職場の人間関係が上手くいかないストレスが原因で、お酒に逃げてアルコール依存症になった人がいたとしましょう。
もし事情を知らない人が彼を見たら、「彼はアルコール依存症になったから、職場の人間関係が上手くいかなくなったのだ」と考えるかも知れません。
その結果、「お酒を飲む行為は人を破滅の道へ向かわせるので、お酒は法律で禁止すべき」と、極論してしまうことだってあるでしょう。
しかし時系列的には彼の場合、職場の人間関係が上手くいかないという原因があって、お酒でストレスを発散していたらアルコール依存症になってしまったという結果があるのです。
したがって彼からお酒を取り上げたとしても、人間関係が上手くいかないという原因がなくならない限り改善はしません。
原因がなくならない状態でお酒でストレスを発散できなくなれば、彼は代わりにギャンブルや性行為に依存してしまうかもしれません。
それはアルコールよりは幾分マシな依存の対象かも知れませんが、根本的に改善すべきは職場の人間関係なのです。そして、それは彼の問題かも知れませんし、職場の人の問題かも知れませんし、その両方かも知れません。
因果律を無視しない限り、結果が原因に先立つことはありません。
何が原因で何が結果か、ということは注意深く考える必要があります。
安易に因果関係を結ぶことは偏見を生み、本来責められるべきでない対象を責めることになります。
早まった因果の結びつけ
ある結果に対して、その結果を起こす原因が何であるかは慎重に考える必要があります。
例えば、肺の病気になった人がいたとしましょう。彼は喫煙者で毎日1箱はタバコを吸っていました。
彼の周りの人は思いました。やはりタバコは身体に良くない、と。
確かにそうかも知れません。タバコが身体に悪いことは多くの研究で分かっていることです。
しかし、タバコを吸わない人でも肺の病気にかかっていることも事実です。
また、タバコを吸う人でも肺の病気にならずに健康に過ごしている人がいることもまた事実です。
つまり「肺の病気になる」という結果の原因は、「タバコを吸うこと」以外にも可能性として考えられるということです。
彼は、生まれつき肺が弱い体質だったのかも知れませんし、汚れた空気を吸う必要がある環境にいたのかも知れませんし、肺が何らかの菌に感染したことが原因なのかも知れません。
仮にすべてのタバコを吸う人が肺の病気にかかり、かつ、すべてのタバコを吸わない人が肺の病気にならないのであれば、肺の病気の原因はタバコであることは確からしい推論(注1)だと思います。
ですが、ある結果に対して他にも考えられる原因がある状態で特定の原因を断定してしまうことは誤謬であり、「早まった因果の結びつけ」と私は呼んでいます。
原因の単一化
また、ひとつの結果に対して複数の原因があることが考えられます。
結果がひとつであれば原因もひとつであるというバイアスにも注意しなくてはなりません。
彼が肺の病気になった原因は、生まれつき肺が弱いにも関わらずタバコを吸い、汚れた空気の都市に住んでいたことかも知れないのです。
ほとんどの人の脳は複雑なことを考えることを嫌うような構造になっているのかも知れません。
結果がひとつであれば原因もひとつであるほうがシンプルですし、実際に結果に対して原因がひとつであることもあるでしょう。
しかし、物事の原因というのは色々な要因や条件が複雑に絡み合っていることが往々にしてあります。
タバコを吸うことは良い・悪いと白黒思考をしてしまうのもそのような理由であると思います。
しかしタバコを吸うことで得られるメリットもあります。
気分がリラックスできてストレスを発散できる、待ち時間などで間が持つ、喫煙者同士が同じ行動をすることでシンパシーを感じ仲良くなれる、などです。
物事というのは様々な面で見ると、良い・悪いの二元論では語れない部分があります。
例えば知性について考えてみても、知性というのは多元的で良い・悪いの二元論では語れません。
行動とパーソナリティの誤った結びつけ
ニュースで惨たらしい事件の報道を見ると、以下のように周りの人たちからの犯人の評判は必ずしも悪いものではないときがあります。
明るく優しく誰からも愛されるような人柄でした。
真面目で礼儀正しく顔を合わせれば挨拶をしてくれました。
協力的で地域のボランティアにも参加していました。
そして周りの人たちは口々に「あの人があんな事件を起こすなんて信じられない」と寝耳に水といった様子で言います。
それを聞いたニュース番組のコメンテーターは「普通の人が豹変してこのような罪を犯すなんて恐ろしいですね」と言います。
惨たらしい事件を起こすような犯人の人柄は、社会性がなく不親切で不真面目で暗い性格である、という先入観があります。
犯人がそれとマッチしない評判だったので意外性を感じ驚いているのです。
私はこのことを「行動とパーソナリティの誤った結びつけ」と呼んでいます。
このバイアスは「早まった因果の結びつけ」「原因の単一化」によって発生します。
「人に親切に接する」という結果に「良い人だから」という単一化した原因を結びつけているのです。
しかし、人に親切に接するという行為の動機は、必ずしも良いものであるとは限りません。
人に対して親切であるという結果の原因は、以下のように良い面でないことも考えられます。
人から嫌われて仲間はずれにされたくないから親切にする。
親切な人だと思われたほうが得だから親切にする。
取り入って何かを要求したいから親切にする。
人には親切にしなさいと親から教えられたから親切にする。
誰かの役に立たないと自分が無価値な人間に思えてくるので親切にする。
犯人は豹変したのではなく、元々「良い人」ではなかったのです。
犯人の行動が良い人と結び付けられるような行動だったので、周りの人たちが行動とパーソナリティを誤って結び付けてしまったのです。
行動とパーソナリティの誤った結びつけの具体例をもっと見てみましょう。
・ボランティアに参加する人は優しい。
・校則を破る人間は不良だ。
・中卒は頭が悪い。
・真面目な人は信用できる。
・いい歳こいて独身なのは人間性に問題があるからだ。
・気前が良いのは思いやりがあるからだ。
終わりに
バイアスの怖いところは、自分にバイアスがあることに気づくのが難しい点です。
人からバイアスを指摘されたとしても、道理として納得し、すぐに認識が改まることは期待できないかも知れません。
しかし、こういった人々の認識において存在するバイアスが、様々な差別や社会の混迷の原因のひとつであることは疑いようがありません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?