地図アプリを見ずに多摩ニュータウンを歩いた日のこと
清原惟監督の映画『すべての夜を思いだす』(多摩ニュータウンが舞台)を観て、街と記憶と時間を実感したくて多摩ニュータウンに行くことにした。
作品のパンフレットに地図が付属していたので、その地図だけを頼りに。
土偶やら石器やらが展示されている場所で、土鈴の音を聞くシーンがとても印象的だった。
東京都埋蔵文化財センターというそれっぽい名前が地図に書いていたので、そこに向かう。
大体の方向は地図を見れば分かるのだけれど、歩いても歩いてもそれらしき施設には着かない。
気が付けば大きな道路に出ていた。
車はあんまり走っていない。
街よりも木が高くて、普段渋谷で働いている自分には新鮮だった。
人工的に植えられた不自然な木なのは渋谷と変わらないけど、多摩ニュータウンからは嫌さを感じない。
広いからだと思う。
この写真みたいな景色がずっと続いて、歩いていて気持ちよかったけど、それにしても着かない。
階段で歩道まで登る。
歩道は道路よりも、どこかにたどり着けそうな気がする。
しばらく歩いて辿り着いたのは団地でした。
さすがにちょっと、どうしようか。
一時間くらい歩いて、ようやく決意した。
人に道を聞こう。
とはいえこちらは小学生の頃からずっと前髪で目を隠して生きてきたような人間なので、難しい。
いや、なんかこういう自虐って良くないな。前髪を隠していたのはそれがかっこいいと思っていたからだし、自分のナルシストにはちゃんと責任を持ちたい。
とか考えていたら、自分より40年以上は長く生きていそうな男性が前から歩いてきた。
埋蔵文化財センターの場所を聞く。
やっぱり、めちゃくちゃ通り過ぎていた。
駅の方だと伝えられ、駅の方ってどっちですか?と尋ねると、途中まで男性の方が一緒に歩いてくれた。
「後はここの道をまっすぐ行くといい。」
感謝をしてお別れをした。
知らない人同士なのに、親切にされて嬉しかった。
我慢しないと涙が出そうだった。
優しくされると自分も優しい人間になれるような気がする。
埋蔵文化財センターに到着。
室内は暑くて暑くて、まず第一に上着を脱いだ。
順路に沿って歩くと早速土偶を見つけた。
何が目的で作られたのかは、謎らしい。
2000年も前にもちゃんと人がいたのって、途方もなさすぎる。
笹川真生さんが理芽さんに提供した『百年』という曲の中に"百年後のイヤホンが欲しい もう少し静かになるだろう"という歌詞があって、近くも遠くもない程よい距離の未来がいいものであるように願う抽象さが好きなんですけど、2000年て。
想像すらできない。
そして土鈴を鳴らす。
ずっと聴ける。(ずっとは聴かない)
暑くて大変だったので飲み物を買おうと外に出ると、大きい異物を見つけた。
中が暗すぎる。
家だ…
でも暗すぎる。
長くはいられず退散。
その後、映画にも出てきた温室のグリーンライブセンターという場所に向かう。
ここは駅からも近く、目印になる建物も周りにあるため見つけやすいだろう。
なんとなくの方向で歩いたけど、登った先には通り抜けできませんの文字。
トホホと降りていると、女学生が二人ではしゃいでいた。
趣味が悪いのは承知の上で聞き耳を立てると、意中の男子からLINEの返信が来たようだった。
どう返信するか会議している。
楽しそう。
家族が花見をしていた。
おばあさんと、夫婦らしき人たちと、数人の子供たち。
桜は一輪も咲いていなかった。
グリーンライブセンターの入り口に到着。
温室で冷たいコーヒーでも飲もうとしていたが、何やら工事中の様子。
入り口もしっかり塞がっていた。
ちょっと悲しいけど、まだまだ行きたい場所はある!
地図に"古着屋"と書かれている場所があった。
オシャレな古着屋さんらしくて、行ってみることに。
お腹も空いてきたので、向かっている途中にご飯屋さんがあれば入ろうとのんびり歩き始めたところ…
突然の雨。
小雨は髪の毛がクルンっとなって恥ずかしい意外は好き。
なので気にしない。
雨が降り始める時の匂いも好き。
ペトリコールって言うらしいね。
ずぶ濡れになりながらご飯屋さんを探す。
デイサービスカフェと書かれているお店があり、まあカフェでも可!みたいな気持ちで入ったらお爺さんとお婆さんがたくさんいた。
デイサービスってそういう場所なんだ!
謝って逃げるように去ろうとすると、職員らしきお兄さんが用を聞いてくれた。
「すみません、カフェと間違えて…」
「はぁ。」
「この辺でご飯食べられるところないですか?」
「ああ、少し遠いですがラーメンがありますよ。」
雨で身体も冷え切っていたのでラーメンは良い。
指してくれた方向を歩くとパン屋を発見。
嬉しくなってコッペパンやツナパンを買う。
食べようと思ったら隣にラーメン屋があった。
せっかくなのでラーメン屋に入る。
メニューは魚介系の出汁のものと、G系(二郎系もじり)のラーメン。
謎の二択に悩み魚介系を選ぶ。
家族連ればかりの中、ずぶ濡れ男が一人ラーメンを啜る。
ちょめめ〜。
あったかい〜〜。
食べ終わると雨が止んでいた。
お腹も膨らんで元気になったし、古着屋さんを目指す。
そしてまた迷う。
この街はとにかく人が少なくて道が広く、坂や公園がたくさんある。
舗装されている歩きやすい道。
どんぐりが落ちていて、これがお金ならいいのにとか、思う。
短絡的すぎる。
商店街の中に古着屋さんがあるらしいけど、手がかりが少ない。
公園が近くにあるらしい。後は団地。
もう一度、人に聞く。
「公園は多いからね。分からないけど、通りはそっちだよ。」
と教えてくれた。
その他にも、一本杉公園はそっちとか、通り雨の話とか。
会話はあるけど、余分なコミュニケーションがなくて心地いい。
僕が何者であるかはこの人にはどうでもよくて、でも蔑ろにはされていない感じ。
都会で働いていると自分の存在価値を見失う。
なので証明しようと更に働く。
受け入れているけど、夜は寂しい。
この街では、自分が街の一部のように思える。
もっと言うと生物の一部だったり、生活の一部だったり。
「詳しく分からなくてごめんね。」
「いえいえ、ありがとうございました。」
この人とももう、二度と会うことはないだろう。
そこから更に2時間くらい歩いて、ようやく辿り着いた。
古着屋さんの方とも少しお喋りをした。
映画を観て来たこと。清原監督もこの古着屋さんを訪れたこと。地図に書いていたこと。
そしてポーチを買った。
今では文庫本と日記とペンを入れて、常に持ち歩いている。程よく硬くて下敷きみたいに使えるのも嬉しい。
その後は大きい公園で、読書会を控えているシェイクスピアのマクベスを読んだ。
最後の方、マクベスの独白が異様なスピード感を持っていて面白かった。
行きたい場所は他にもいくつかあったけど、一日で全部回ってしまうともう二度と来ない気がして寂しい。
デートでも、本気で相手のことが好きなら2,3時間くらいでお別れしたらまた次会いたくなっていいみたいな話をよく聞くし、堪能し切れてはいない余韻を残して駅に向かう。
電車の中は暖かくてうとうとする。
ヘッドホンから流れる青葉市子がより眠気を誘う。
気持ちよかった。
次来た時は、自転車やバスに乗って大きくて受動的な移動をして、もっと流れに身を任せてみようと思う。
ほとんどが歩いただけの日で、劇的な出来事は何も起こっていないけど、心の中ではどうかな?
僕と街だけが知っている。
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