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社会に意見表明する私へ

「男性として生きていない人たち」も含め、自分とは異なる立場にある「いろんな人」が、一緒に生きているのが社会です。そういう社会の中で、自分が考えた「男性としての経験」を、考えたままに言い放つだけだとしたら、自分の言葉が自分以外の「いろんな人」に何をもたらすかを考えていないという意味で、「社会人」の振る舞いではない、と言いたいです。

『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房、2022) p.186

先日読んだ本のこの言葉がとても印象に残っています。残りすぎて、大事なことだからいいんだけどあまりに印象的すぎて、下書きに入れてある記事をアップする気になれずにいます。

それは、これまでの私が「いろんな人」に無自覚すぎたからかもしれない。

引用した文の「男性」部分はさまざまな単語に置き換えられます。
「目が見える人」だったり「自分の足で歩くのに不自由のない人」だったり、「働いている人」だったり「家族と良い繋がりがある人」だったり。

こういうこと書くと、「そんなこと言われたら言いたいことも言えない」という反発の声が必ず出てきます。コンプラが厳しくなってどうのこうのという類の。
それは、無自覚な発言に傷つけられたことのない人の言葉だと思います。無意識に数々の優位性を享受してきた人の言葉です。

誰かの痛みを無視しなければ成り立たない主張や会話をなくすこと。
それが、多様性を認めるということなんじゃないかなと、そんなことを考えています。

理想論でしょうか。

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