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「さようなら」は突然に

久しぶりに息子が、娘との喧嘩以外での涙を見せたある晩。
小学校で仲良しだったお友達が、シンガポールに引っ越すことになった。
イギリス人のお父さんと韓国人のお母さんを持つ元気な男の子は、息子の英語がまだたどたどしかったころに、初めてプレイデートに誘ってくれた子だ。
その韓国人のお母さんが私と同じようにカナダの大学を出ていたり、同じアジア人同士ということなどもあってお互い話しやすく、都合が合えば平日の放課後によくプレイデートを企画する仲になっていた。

そんなお友達が新たな地に出発する前日、夜遅くまでプレイデートをして賑やかに過ごした。そしてそのお友達を送りにいき、戻ってくるなり息子の目から涙でいっぱいになった。
「オレ、Aくんともう会えないの、すごい寂しい」
そういうなり、一気に我慢ができなくなり息子はわんわんと泣き始めた。

寂しいよー
大好きだったよー

6歳の息子が別れの悲しみに浸る傍ら、たくさんの別れを経験する中で、別れの悲しさを感じる感性をどこかに置いてきてしまった私は、息子のこの純粋さが眩しくてたまらなかった。
人との別れが悲しいという感情はどこまでもまっすぐで、透明で、今にも壊れてしまいそうなはかなさがある。

ニュージーランドという場所に来てから、息子と娘はそれなりに色々な人との別れを経験しているように思う。
英語圏で移民がたくさん集まる国だから、ここにずっと腰を据えていこうというよりも、ある一定期間はここにいるけれど、時期が来たら他の場所に移り住んでいく、場合によっては母国に戻っていくという人もある一定数いるのではないだろうか。

最近、息子が通う小学校の校長先生からE メールが届いた。
そこには校長先生が、まるでChatGPTに添削させたのかと思うようなトーンで担任の先生の退職について綴られていた。
メールにはこんなふうに書かれていた。

あなたのお子さんのクラスの担任の先生は、旅に出ることを決めたそうだ。
学年の途中どころか、学期の途中で辞めることになり、みんなも戸惑うかもしれないが、なんとか代理の先生は私たちが頑張って手配した。
慌ただしくて大変な時期で申し訳ないが、ご理解のほどよろしくお願いします。

生徒の親御さんの感情に寄り添って書かれたメッセージのようで、突然の代理の先生採用を強いられてんやわんやで大変だった校長先生の苦労が手に取るように分かるメッセージ。
校長先生からのメールが届いた直後に、クラスの保護者が入っているWhat’s upグループ(LINEグループのようなもの)で、クラスの親御さん代表の方から早速連絡が入った。
「先生がやめてしまうのはとても悲しいね・・・お別れに金券をプレゼントしたいから、参加したい方は、私の銀行口座にお好きな金額を振り込んでね!」
とのこと。そして、その直後に次から次へと、お母さんたちの、私もお金を入れるね!というメッセージで溢れていった。

そんな突然のアナウンスにびっくりした日。息子は学校から帰ってきても、先生がやめるということについて自分からは言い出さない。
不思議に思って私が
「先生がやめることになったの、知っている?」と聞くと、息子はきょとんとした表情で
「え?イギリスに2週間旅行に行くだけだよ。」という。
彼の英語力では先生が言っていることが分からなかったのか。受け入れ難い現実を湾曲して理解しようとしていたのか、私には分からない。
いや、旅行じゃなくて、もう戻ってこないんだよ。何度か私が説明しても、息子はよく分からない、という困った表情をする。結局、その日はそのやりとりはそのくらいにして、一旦、また彼の心の準備ができるのを待つことにした。

学校の先生も、学期の途中で、自分の道を進むために退職していく。
これがどこかの民間企業だったら当たり前のことだけど、先生という立場であるということを考えると、私には新鮮にうつる。
しかし、これはニュージーランドで初めてのことではない。
息子の担任の先生の退職が知らされる数週間前には、娘の保育園の先生の一人が退職した。その日も突然、保育園の親御さん向けの一斉送信メールにて、園長先生から連絡が入った。
「K先生が、母国の中国に戻って、お母さんのお仕事を手伝うそうです。最終日はあと2週間後。今後は、代理の先生がお手伝いに来てくれます」
そのメールの中に、お別れ会はいつ開かれます、というアナウンスがない。何か園長先生も思うところがあったのだろうか、と勘繰ってしまった。
いつも保育園に行くと、おだやかにおはよう、と挨拶をしてくれるK先生。
娘の方は、そのアナウンスをされたあと、時折思い出しては、
「K先生は、チャイナにいっちゃうんだよね」
と私たちに確認するようになった。
「チャイナだよね?日本語だとちゅうごく。ちゅうごくに行くんだよね?」
彼女はその後、何度も何度も同じやり取りを繰り返した。そうして確認するたびに、新しい現実を受け入れようといているように見える気もするし、ただ単純に「チャイナ」といういきなり現実に入ってきた単語が新鮮に感じているだけのようにも見えた。

さようならが突然やってくるということ。
この現実の中で、息子と娘が何を感じているのだろうか。
時間の流れというのをまだ感覚として持っていなさそうな娘にいたっては、少し混乱しているように見える。
大好きなK先生が中国に帰ってしまった後から、娘は色々と不思議なことを言い出すようになった。
長期休みをとって、母国のクロアチアに数週間、戻ったクラスメイトがいた時のこと。
「あの子は、もう保育園を辞めちゃったの。もうバイバイなの」
と勝手に、長期休みではなく、退園ということにして彼女の中で納得してしまっていた。
また、最近入ったばかりの中国から来た別の先生に対しても
「M先生も、チャイナに戻っちゃうから。もうやめちゃうんだって。チャイナに行くの。」
勝手に色々な人が、彼女の周りでいなくなることになってしまっている。

最近、息子と娘が、1年ちょっと前に、ニュージーランドでお別れをした仲良しだったお友達の写真アルバムをじーっと眺めていた。
その様子は「あの時楽しかったなー」と無邪気に思い出すのとも違う。
写真の中にうつっているお友達と笑顔の自分が、もうどこかはるかかなたに消えていってしまいそうなのを、必死に掴み取ろうと、暗闇に向かって手をぎゅーっと伸ばしているようにも見えた。

友達の名前がぱっと出てこない。
お友達がどこに行ってしまったのかもよく分からない。

さようなら。
さようなら。

楽しかった時間にさようなら。
一緒に笑っていた自分にさようなら。

複雑な、なんとも言えない表情でアルバムのページをめくっていく息子と娘。
私にできることといったら、誰かとのさようならに、何か意味や目的を見出すことをしないことくらいだろうか。

息子が大好きな担任の先生の最終勤務日まで、あと10日になった。

【ニュージーランドで子育てすると・・・】ニュージーランドで子育てということについて、こっちに来るまでなんとなくのイメージしかありませんでした。自然が豊かなのかなーのびのびしているのかなー
そういうふうに想像していて、来てみたら・・・
まさにその通り!笑
冬は天気が悪いのでなかなか大自然を思い切り楽しめないところは少し悲しいのですが、久しぶりに晴れた週末に家族で滝をみに行きました!
そしてその近くにある人気のワイナリーにも足を運んだり。
子どもも大人もゆるーく楽しめるニュージーランドの子育て、楽しいです❤️
https://youtu.be/GkM8kTOKHUo


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