自分棚卸し③ライフコーチになった私のストーリー | 留学・自立・交通事故
みなさん、こんばんは。
昨日に引き続き、人生の棚卸し③を書いていきます!
自分の棚卸しをするとどうなる?
✨自分が本当に望んでいることを整理できる
✨今の悩みについて、過去の出来事(いい事も、トラウマ等も含む)から原因を解明できる
✨モヤモヤしていた事・ずっと分からなかった事が分かったりする
✨今の問題について、自分に合った解決方法を立てる事ができる
自分の棚卸しって何?どうやってやるの?という方は、ぜひ自分棚卸し①を読んでみてね!
自分棚卸し①ライフコーチになった私のストーリー | おデブな小学生〜不登校中学生
自分棚卸し②ライフコーチになった私のストーリー | 不登校の不良から大検合格へ
初めて英語で笑いあった瞬間
大検に合格した私は、達成感でいっぱいだった!しばらくバイトを詰め込んで、友達と遊んだり、彼とデートをしたり。そんな平凡日常を送ってたよ。
でもね、私って飽き性だから、そんな平凡な日々が嫌になっちゃって。今度は何に挑戦しよう!?って考えるようになった。
そんな時、留学してみたいなって思うようになったの。お母さんも昔ワーホリに行ってたみたいで、よく留学のお話を聞かされてたから。
私って、ワクワクする事に対しては物凄く行動が早いから、説明会聞きに行ったり、いろいろリサーチしたりと、あっと言う間に準備が整ったんだ!
新たな世界観との出会い
その時の私の英語のレベルはね、本当に最悪だったんだよ(笑)会話中の1単語も聞き取れないくらい、何もわからなかったんだ(汗)大検の試験でも、英語だけ点数悪くて・・・。
でもね、人と話す事は好きだったの。あと何とかなるさ精神が強かったから、何にもわからない環境に足を突っ込むことができたのかも。
カナダの留学は、夏の3ヶ月間だけ行ったんだ!結論からいうと、私の英会話レベルはそこまで上達しなかったの。 でも私は、英語スキルより価値のあるものを手に入れたの。それは、新たな発見と経験。そして希望。
英語っていう言葉を話せるだけで、こんなに色んな世界の人と話して、笑いあうことができるんだ!という発見。そして、それが自分にもできるという喜びの経験。それが、自分には可能性がたっぷりあるんだ!という希望にも変わっていった。苦手な英語に負けずに、行動して本当に良かった!
私の個性を受け入れてくれる国へ
カナダから帰国してからは、しばらく大阪のアパレル店舗でショップ店員をしていたんだ。でもカナダの時に得た「英語を通して通じ合える喜び」が忘れられなくてさ。もう一回いきたい!今度は真剣に英語を学んで、欧米の大学にも行きたい!と思い始めたの。
私の中で、欧米は「自分が行くべき場所」みたいな感覚を抱き始めたの。日本の学校では、私の個性を押し殺されるような経験をした。汗だくになりながら静かに黙々と課題をしているクラスメートと同じように振る舞えなかった。でも、もしかしたら、他の国では、私のような人間を受け入れてくれるかもしれない。そんな期待があったの。
カナダの帰国から1年も経たないうちに、私はアメリカのカリフォルニア州、サンタバーバラという町に留学することになったんだ!この時は、1年語学学校に通って、アメリカの短大に入る、というプランを立てたんだ。
語学学校には色んな国から留学している生徒がいたよ。特に多かったのは、ブラジルとサウジアラビアからの留学生だったの。特にブラジル人留学生と仲良くなった私はパーティーに呼んでもらったりして、彼らの文化やコミュニケーションについても学んだんだ。色んな国から色んな人が集まると、日本で受け入れられなかった私という存在が、自分の中でどんどん薄れていったの。この時初めて、私が私のままでいても受け入れてくれる環境に出会ったんだ。
コンプレックスだったアクセントを振り切った
この時期に、私のスピーキングを大幅に改善させた出来事が2つあったんだ!
1つは、英語の先生が私たち留学生に送ってくれた言葉。
そして2つ目は、ロンドンへ旅行に行ったこと。
この2つの出来事については、こっちの記事で詳しく書いているから良かったら読んでね!
誰も助けてくれない。自立ということ
語学学校に1年間通ったあと、Santa BarbaraCity Collegeという短期大学に入学したよ。この時に入学手続きをしたんだけど、日本語の書類の英語版を入手したり、英語でのアプリケーション(願書のようなもの)を出したりと、全部自分でやらないといけなかったんだ。これがものすごく大変でさ。
分からないことが沢山あって。でも誰も助けてくれなくて。私は心の中で「普通、17歳の(しかも英語も半分くらいしか分かってない)女の子が大学の手続き全部一人でできるわけないってわかるくない?!」ってキレてたの(笑)
でも後から気付くんだけど、この考え方は他人軸だったんだよね。「誰かが助けてくれる。助けてくれなかったら、手を差し伸べてくれなかった人のせいにする。」この考えは甘かったんだ。
途中から、この場所では困っている顔をしてても誰も気づいてくれない。助けが欲しい時は、自分から助けを求めないとダメなんだ!って気づいたの。
「他者はあくまでも他者。自分のことは自分でやらないといけないんだ。助けが必要な時には待っていてもダメ。自分から発信しなくちゃいけないんだ!」ってことを痛感した。
この時に、自立するとはどういうことかを学んだんだ。
目が見えなくなった!命の有り難さに涙を流した交通事故
そうそう。短大に行っている間に、私の人生でとっても大きな出来事があったの。それは、交通事故にあったこと。
夜の空いている高速道路を一人で運転していた時のこと。前方には誰も走ってなくて、平和に音楽を聴きながら運転していた。すると、突然フロントガラスに1台の車が見え始めて、その車はどんどん視界で大きくなっていって・・。急ブレーキを踏んだけど、間に合わず、物凄い音を立ててぶつかったんだ。私は前に止まっていた車(前に渋滞が見えたから早めに止まってたらしい)に後ろから追突しちゃったってこと。
アメリカの高速道路はみんな70-75mphくらいで走っているから、時速120キロくらいの速さで急ブレーキを踏んだことになる。幸い前の車の人に怪我はなかったの!本当に良かった。
その時の私はというと。まずはあの大きいブレーキ音とぶつかった時のにめちゃくちゃびっくりしたの!で、そのあとは「え?嘘でしょ?嘘?!嘘?!嘘?!」って頭の中で思ったのを覚えてる。その後、なぜか急に視界がぼやけてきちゃったんだ。
本当にあの時のことは鮮明に覚えている。視界が黄色と赤にチカチカ光りだして、今まで見えていた物の形がだんだんぐにゃぐにゃになっていくの。「うわ・・・やば・・・」って感じだった。ぶつかった時にエアバッグで顔面を強打して、その衝撃で後頭部も強打したんだ。(あとはブレーキを踏んだ右足首も1年くらい痛かった。)後頭部って、視野を司る脳の部位がある場所なんだけど、そこを強く打ったから視界がおかしくなったんだと思う。
私の車の後ろを運転していた男性が、私を助けにきてくれたんだ。"Are you alright?!"っていって運転席のドアを開けてくれた。でもその時点で私の視界は、何も見えなくなっていて。私は "I can' see! I can't see anything!"って泣き叫んでいた。その男性が救急車を呼んでくれて、私をその人の車まで運んでくれたんだ。幸い、その車の中で寝転んでいる時に、視界は徐々に戻ってきたの。フロントガラスから何台かの停まっている車と、何人かの人が見えたと思う。
でね、その次の瞬間、尋常じゃない眠気が襲ってきたんだ。本当にめちゃくちゃ眠くて、その場で寝ちゃおうかと思った。でもその時、私の中で「絶対に寝るな!寝たらダメ!死ぬかもしれない!」っていう危険アラートが発信されたの。必死の思いで寝ないように頑張った。
しばらくすると、救急車がきて運ばたんだ。救急車の中ではぼーっとしてた。病院に着くと、検査とか治療をしてもらったよ。数時間後には、視力も回復して思考も鮮明だった。
その日、私は生まれて初めて心から思ったことがある。
「生きてて良かった」
そう思って、ほっとすると同時に涙がでてきた。
今日はここまで💖
最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨
皆さん、今日もHave a good night!
Asami♡
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