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君の名前で僕を呼んで

2017年公開 オススメ度 9.9/10点中

イタリア他合作

アンドレ•アシマン原作の小説を映画化したもの。いわゆるロマンス小説。普段ならほとんど手をつけないジャンルだが映画の予告編を観た瞬間にこれは絶対に観なくてはと全身の毛が逆立ったのを覚えている。しかし人間というは悲しいくらいに忙しい生き物で、生きる事に精一杯ですっかり忘れていた。そこへ来てコロナ禍。気が付けば公開から四年以上経過していた。

Netflixで見つけた時は胸が高鳴った。ああ、あの観たかった作品だ。たっぷり時間を用意して心に余裕がある時を選んで視聴した。その後二回ほど再視聴した。

先に感想を述べてしまうがあらゆる点からみて素晴らしい映画だった。個人的には近年観た中ではかなり上位に位置付けられるかもしれない。とにかく全てが優しく美しい映画だった。観た者の心を潤し豊かにしてくれる。その世界へ引き込まれるというより優しく手を差し伸べて誘ってくれる。決して無理矢理ではない、しかし抗うことが容易ではない甘美な誘い。私の様な枯れ始めた中年男の感性を呼び覚ましもう一度この身に震える感動を体験させてくれる。そんな作品であった。この映画に出会えた幸運を素直に喜んでいる。

舞台は1980年代の北イタリア。大学教授をしている父親と魅力的で優しい母と口うるさいが面倒見の良い家政婦と別荘で毎年の夏を過ごす主人公エリオ。17歳の彼は聡明で美しく、才能豊かでありながら平凡で年相応な面も持ち合わせる少年であった。そんなエリオ達家族の家には夏の間だけ学生が父親の仕事を手伝うという名目で居候する慣例がある。そして、エリオが17歳の夏にアメリカからやってきた青年オリヴァー。彼はエリオと同じくらい聡明で美しく快活で自信家で、また大人として成熟したどこか妖艶なまでの魅力をもった完璧な青年であった。

最初こそエリオはオリヴァーに向けられる周りからの羨望の眼差しを疎ましく思い、どこか嫉妬めいた気持ちを抱きながら彼を遠ざけるような言動を繰り返していた。それらを意にも介さないオリヴァーが余計に腹立たしかったのだが、やがてそれが彼への抑えようのない恋心だと気がつく。

ある日自転車で遠出をしたエリオはオリヴァーに自らの気持ちをぎこちなく打ち明けるのだった。

というあらすじなのだが、とにかく終始この作品に魅了されてしまう。それというのもこの作品がいわゆる同性愛者の少年と青年の恋物語としてではなく、お互い掛け替えの無い魂の伴侶を見つけた一人の人間として描かれているからだろうと考える。単に同性愛の物語と一括りにしない事で多くの人に届き易い作品となっている。

子供と大人の狭間でもがくエリオ、大人として成熟しつつもエリオに出会ったことで自分の中にある少年を呼び起こされ戸惑い抗うオリヴァー。彼らの葛藤が健気で美しく、とても愛おしい。

また作品の魅力のひとつとして彼らを取り巻く世界の優しさもある。オリヴァーに対するエリオの気持ちに気付いていてそれを受け止め優しく肯定してあげるエリオの母親。オリヴァーが去ったあと嘆き悲しむエリオに対し言葉を慎重に選びながら自らの経験を踏まえ支えてあげる父親。そしてオリヴァーへの当てつけに肉体関係を持ってしまったエリオのガールフレンド。そのあと、彼の心には自分の居場所はなくオリヴァーだけがいるという事実を突きつけられても変わらずに彼を愛し続け許す言葉を投げかけた。

日本の配給会社のやる気も感じる。まず邦題がしっかりと原作の直訳であること。変にダサい邦題がつけられなくて本当に良かった。そして何より吹き替え声優の素晴らしさ。私は個人的に声優の津田健次郎氏のファンなのだが、青年オリヴァーの葛藤を表現し切った彼の実力に改めて脱帽せざるを得なかった。エリオ役の入野自由氏も幼さの残る蕾の様な声の演技が素晴らしくハマっていた。

各シーンのどこを切り取っても画面が美しく、真夏の深緑が胸焼けしそうなくらい漂ってくる。まさにイタリアでの撮影がどれほどのこだわりを持って進められたのかが作品の随所で理解出来るほどである。完璧な作品である。

当初は二人の脚本家が監督として制作に携わる予定だったが紆余曲折あって監督は一人に任せる事にしたそうだ。きっと自分が携わっていたら撮影が終わらなかったと思うと降りた脚本家は述べている。ここまでこだわりが詰まった作品ですら誰かの妥協があったというから驚きである。いや、むしろ想像を絶する妥協や研磨を経てこれだけの作品が出来たのかもしれない。映画に限った話ではないが最後に作品として整理して成立させることがいかに困難を極めるのか。この作品を観て更に思うところである。

最後に一番好きなシーンの紹介をもってこのエッセイを結びたい。

終盤。二人の時間を過ごしたのち汽車に乗って行ってしまったオリヴァーを見送ったエリオ。落胆している彼を見兼ねた父が優しく話しかける。このシーンは一見すると父の台詞が多いため退屈に映る危険性もあったが、そこは脚本のなせる技なのか原作の素晴らしさなのか。胸に刺さり続ける数々の言葉によって観る者の心を揺り動かす。

このシーンは自分も過去にそういった経験をした、という父の告白から始まる。そしてエリオとオリヴァーの二人がいかに素晴らしい出逢いであったかを説く。最後には「その痛みを葬ってはいけない。お前が感じた喜びを痛みと共に葬ってはいけない」と導を残す。

同じ子を持つ父親として同じ状況に行き当たった場合、果たして私に同じことが言えるだろうか。

若い頃に感じ得た喜びと痛みは文字通り宝物の様に掛け替えのないものであるとこの作品は教えてくれる。






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