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俳優は演出家・監督の『操り人形』なのか?

俳優修行をしていた時期によくこんなことを言われたことがあります。

タイトルの通り、

「俳優は演出家や監督の操り人形になるな」


演出家や監督が指示してくれないと何も出来ない俳優は失格だ、みたいなことを言いたかったのだと思います。

ここどうすればいいですか?

みたいな質問しようものなら次は起用してもらえないと思った方がいいとまで注意されました。

確かに、それらの立場と何人か接してみて求められている能力に・・・、

「演者側からも提案が飛んでくるような人が望ましい」

みたいな発言をする人はいます。基本はこちらの要求に応えてほしいんだけど、もしもこっちの方が良くないですか?とアイディアがあるならそれを提案してくるような一面も見せてほしいそうです。

いくら演出家・監督を言ってもやはり『演技の専門家』は俳優です。俳優側が持ち込んできたプランにも期待する人もいます。自分では思いつかないようなアイディアを持ってきてくれることもありますしね。

演劇の製作現場というのはいわば多くのクリエーターの集まりです。他にも音響や照明、美術と芸術要素には欠かせない専門スタッフも関わっています。それらの人達で意見を出し合って作品を作り上げていく・・・それが演劇の作り方だと思うようになりました。

が、では実際に訓練する場から外へ出た時の実態を目の当たりにした時にその理想には早くも疑問に持つようにもなりました。

↑この記事でも書きましたが、俳優の仕事の一つに映像作品の撮影というものがあると思いますがそこではここまで訓練してきたことが大いに生かされたとは言い難かったです。

そもそも撮影当日までそんな間もなく話が急だし、直前まで具体的に何をしてほしいのかも分からないので役作りの時間なんてない、出来ない。

監督が「ここから前へ歩いて、あの人が台詞を言ったら驚いたリアクションをしてくれ」と言われたら「はい、分かりました」と従うしかないです。

それでも大企業のCM撮影だと予算もそれなりに注ぎ込まれて、待遇はまともなんだからこれでお金が貰えるならある意味いい商売とさえ思いました。

高度な演技が求められる舞台でも実はそんな感じです。
なぜなら本番まで時間があまりないという事情があるからです。

学校や養成所であれば訓練する場なので出来るまで何度もトライする余裕もありましたが、仕事としての舞台はそんな悠長なことは言ってられません。

この日はこの俳優さんが別の仕事で稽古には出られないので、このシーンはできませんという事態も起こります。

そうなってくると必然的に演出家にとって重要なシーンと見ている所に時間は割かれて、あとは動きとこんな感じに演じてほしいと指示したら流される場合もあります。

その重要なシーンでも演出家のこだわりが強く何度も止めては細かく指示をしてくるなら俳優はそれに従わないで、別の演技プランを提案するなんて真似はそうそう出来ない空気がありました。

まぁ、これもここでは俳優の育成を目的とする場で演技できるけど、仕事に変わればそこは俳優を育てる場ではなくなる、という違いも教えられてきたのでこれがそういう事なんだなと納得した部分もあります。

だから出来ないのであればそのまま放置されてる事だってありますよ。育成の場ではないのですし重ねて時間もないので。それでもお客さんが観ても恥ずかしくないようにするためにはどうすればいいのか?そんな思考になります。最悪、シーンや台詞を削られることもあります。

やっぱり最後は演出家・監督の指示が絶対であまり自由なんてないんだなと痛感したわけでありますが、その中でも俳優個人が個性を出せる余地はあると思っています。

例えば「このタイミングで驚いてください」という指示にしても「驚く」って様々なバリエーションがありますよね?

人によってイメージするものが違って個性が出てくる所です。
そこで面白い驚き方をすれば監督から「君、素晴らしいね」と褒められる事だってあります。

いくら細かく指示してくると言っても「あの映画のあのシーンであの俳優さんがしたみたいに泣いてください」とそこまで具体例を出して指示されることはないので、ここで「怒る」「泣く」と指定されたからと言ってもそこから自分がこれだと思った演技をするような隙間はあるのではないでしょうか?

むしろその解釈に光るものがあれば指示した側も感銘を受けるすらありえて、気に入ってくれるかもしれません。

「こういう風に演じてくれと言えば、君はそんな感じで演じるのか!」みたいに感心させる事が出来るのがプロの俳優ではないでしょうか。

繰り返し、仕事の場では俳優の育成、成長なんていうのは頭にはありません。この中で成長するかしないかは自分の意識次第とも言えるのでしょう。

ここで求められるのは「一つの完成された演技」を見せる事です。例え細く動きなど指定が入った場合でも、それを加味した上で自分にしか出来ない演技を披露するのがプロでしょう。

「とりあえずこんな感じでやってみて、あとはダメ出しを貰って良くしていこう」なんていう精神が通用するのは学校や養成所、ワークショップ内です。仕事の場では自分の演技にダメ出しをくれる保証はありません。

それで外見だけ指示通りに演じているので精一杯な様子では次はないかもしれません。

そんな演技にこだわっている場で仕事をするのを望むのであれば、学校や養成所で年間通して演技を勉強した経験は生きるかもしれませんね。

と、仕事場としての演劇も経験してみて仕事である以上は学校や養成所ほど自由に俳優に寄り添ってくれる場ではなくかなり制約も多いなと印象を受けましたが、その中でも自身の個性、やりたい事を出せる余地はあると思えるかで『操り人形」に止まるのか、否かの分かれ目かなと思いました。

しかしいずれにせよ俳優、演者という立場は発起人ではなく、誰かが何かを企画して初めて呼ばれる側なので企画内容を蔑ろにするような行為は許されないのでその前提で、自分の個性を出すことが求められるのではないでしょうかね。


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