選べないもの

 仕事が始まってまだ2週間ほどだが、すでに3日休んでいる。仕事に支障はきたしていないと思いつつも、心象は悪いだろうなと思いながら、今日も休んで一日中寝ていた。
 部屋は荒れに荒れ、ぐちゃぐちゃの室内、こたつの上。自炊はせず、カップ麺や、隣にある吉野家に甘えて食事を済ませている。
 最近まで半年以上無職だったことが響いているのか、疲労感が取れない。しかし以前の仕事で無理をしすぎて結局辞めてしまった繰り返しを防ぐためにも、今は休養を取りつつ、長く働けたらいいなと自分に言い聞かせている。言い訳だが、もう自分はそういう人間なのだと認めるしかない。

 職場が近くなったことによるハイな気持ち、入社してすぐ締日の怒涛の忙しさが加わったことによって、頑張っていないつもりでも無理をしていたようで、反動が来ている。うつの波が来ている。警告音が鳴り響いている。
 まともに働けていないという後ろめたさと、休みに伴って収入が減るという不安はつきまとい、休んでいても気が休まらない。どうにもならないわけである。すでに申請してまる二か月経過した障害年金の結果もまだ出ていない。今までの症状の経過からして、認可される可能性が高いのだが、目処がつかないというのはこんなにも人を不安定にさせる。
 もういっそ死んでしまったほうがましだな、と思えるのは鬱ならではの自動思考であると自覚しつつも流されている。死んだら色々と周りに迷惑がかかる、ということは平常時は自覚できているが、心が揺らいでいると容易く流される。

 もう生活保護も申請したほうがいいのかな…と考えつつ、あっさり死んでしまいたいという短絡さが隣り合わせで、苦しまずに死ねるのはやはりヘリウムガスか、と通販サイトで睨みつけて、購入するかをためらっている。
 ためらうのは死にたくないという意味だから生に執着しているんだろう、と思われるかもしれないが、そうではない。ヘリウムガスボンベはとてもかさばる、車で実行するとしていったいどこで為せばいいのか、死に場所が見つからないからどうしたものかと逡巡しているだけだ。

 明日は病院、病院で信頼できる医師と会話できる、と自分をいなしているが、死ぬのを止めるには入院が最果てで、先日入院して一生ここでは入院しないと決心したので、入院は治療のうちに入らない。
 どうしたものか。考えたところで「眠る」以外の選択肢は今はない。そうやって、その場しのぎの対応をしていくしか、浮かべない。わかっている。今までどれだけこの状態に陥ったか。死なないでよかったと振り返れたか。だから、今、死ぬという選択をしないことが何より大切なこともわかっている。

 堂々巡りを繰り返してしまうのも自動思考のひとつだから、本当にもう寝たほうがいい。今日生き残ること。明日のことは明日考えること。先延ばしにすることは大切だ。今の感情で判断しないこと。死んだらそこで思考も終わってしまうから。

 人と話さないと腐ってくるのがわかる。この思考が、くだらない、生きていくほうが楽しい、と思えるのはやはり人と話して気を紛らわすのが一番いい。酒に逃げるのもひとつだが、飲んでもあまり気が晴れないことは先日わかった。そのうえ脱抑制になって、無数の自傷をしてしまう。肌色を全部見えなくするくらい、ひたすらに、薬のシートの角で引っかき続ける。すぐに赤く腫れてくるが、血はほとんど出ないから、傷跡は1週間ほどで消える。その瞬間を生きるためには、必要な行為だと割り切っている。少なくともカッターで切りつけるよりはまし、とどうしようもない比較をして理由を後付けする。

 したいことのすべては叶わない、同時に並行することは不可能なことがある。そのジレンマに頭が弾けそうになる。優先順位をつけるのが苦手で、今は何を選ぶべきときなのか、冷静なときでも(仕事以外では)苦痛だ。どれを選べばいいかわからない。自分の現状に照らし合わせて、選び出すことができない。どれも今すぐ欲しいと思って、そんなことはできなくて、ならば何も選びたくない、と放棄する。自分が、何も選ばないと結論づけたのに、何もない、と嘆く。
こんなことをあと何万回繰り返すのだろう。そう思うともう死んでしまいたくて仕方なくなるのだ。
滑稽だ。

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