命日反応とか
朝からなんだか消えてなくなりたい気持ち。特に理由はないがたまに訪れる。
それを振り払うように、早朝から勢いでいぶりがっこ1キロとワンピースを購入。最近買い物が多い。痛み止め(イブ、ロキソニン)はともかく、急にかばんが欲しくなって買いに行ったり(ハッシュパピーの)、リゲッタカヌーの靴(とても歩きやすい)を買ったり。
勢いで行動している感じは否めない。
しかし靴やかばん、ワンピースは秋冬に向けての日用品なわけで、無駄な買い物でもないと思う。
強いていえばいぶりがっこはいらないが、買ってみて大変美味だったので仕方あるまい。高いけど。
毎日は漫然と過ぎていき、12月からの在宅バイトが決まったことが唯一ましなところ。しかし2月の国試は変わらずあるので、勉強もいよいよ始めなければならないのにこの有様。どうしてくれようか。
最後の生理はそんなに苦しむことなく終わりそうだ。13歳から始まって25年、主に出産でよく頑張ってくれた子宮。とはいえ1年半ぐらいの話。
そりゃもっと生理痛がきつい人はいるだろうけど、つらさを比べることほどあほらしいことはないので、私は私の決断をしたつもり。
いくら腹腔鏡とはいえお腹を切るわけで、術後にどれだけ、いつまで痛みがあるか残るか引きずるかはわからない。だからできるだけ11月には予定を入れたくない。車検にまつわってバタバタしている。
それらに加えて何より、家族たちの命日が近づいている。2日連続なので命日デイズと呼んでいる。年々何とも思わなくなっていくのはわかるのだけど、やはり近づくと弱る。
命日そのものというより、亡くなった日やそのしばらくの間にやらねばいけなかったことや、様々なつらさのこと。過敏になり、苦しかったこと。
命日が近づくにつれて実家や家族を連想させる夢が多くなり、げんなりしながら目を覚ます。もう実家もないし、彼らはいないのに。記憶にはきちんとこびりついていてそれが蘇るという事実はそら恐ろしい。
命日はなるべく悲壮感に打ちひしがれたくないので、毎年、楽しいことをするようにしている。例えばちょっと豪華な外食をするとか。靴やかばんを買ったことも含まれるだろう。これからも生きていこうと思えるために。
救いは息子と私の誕生日があることで、命日が終わったら誕生日たちが待っている。自分の誕生日を嬉しく思うことはもはやないのだが、息子が今年で10歳、よく今まで10年頑張ったなあと思うと遥かな気持ちになるよね。