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ハナミズキの下で、もう一度私に出会う

2024年6月末、シナリオライターやモデルとして活動する汐音葉月さんと京都府立植物園のハナミズキを写した1枚だ。

前回のnoteで紹介したように、私は5年前から着物姿の汐音さんと季節の花々を撮っている。この日、約1年ぶりに汐音さんを撮影した。私の妊娠・出産を経て、家族以外の人と会うのも久しぶり。つい数か月前に ”ママ” になったばかりなのに、一時的にその役割を離れると、以前の自分がどのように振舞っていたか、どう会話していたのか思い出せない。一つひとつの動作や言葉がぎこちなくなる。そんな私を見て、汐音さんがいつもの穏やかな口調でゆっくり話してくれた。その声に少しずつ心がほぐされていくのを感じた。

京都府立植物園ではバラやアジサイ、ユリが咲き誇り、撮影だけでなく植物鑑賞としても楽しめた。2時間かけて園内を巡り、そろそろ帰ろうかと出口に向かっていた時、ふとハナミズキの木が目に入る。人の背丈をはるかに超える大きな木に、白い可憐な花のような葉がみっちり生い茂っていた。(後から調べると、白い葉に囲まれた中央の黄色い部分が花だと知って驚いた。)

ファインダーをのぞいた瞬間に ”見つけた”

梅雨明けを目前に控えたその日は、どんより曇り空。雨が降るのではと心配していたが、ハナミズキを見つけた瞬間に雲が切れて、太陽が顔を出した。ハナミズキの白い葉が光を受けてまぶしいほどに輝く。その直後に風が吹いて、枝葉がそよいだ。私は汐音さんと顔を見合わせ、急いで木に駆け寄る。

汐音さんに白い葉が最も生い茂る位置に立ってもらい、F値とシャッタースピードを調整しながらファインダーをのぞいた。

目に飛び込んできたのは、圧倒的な美しさだった。一瞬、思わず見惚れそうになる。白い葉に囲まれた汐音さんの漆黒の髪を、風がそっと揺らす。聞こえるのは、葉がさやさやと擦れ合う音とカメラのシャッター音だけ。

この瞬間、私は何かを “見つけた” 。汐音さんに目線や顔の向きを変えてもらいながら、みぞおちから熱いものが湧き上がるのを感じる。感動でもなく、興奮でもなく、もっと深く、心の底から突き抜けるような熱い何か。一体、これは何なのか。そして、なぜカメラを構えている時に、 ”見つけた” のか。その答えは分からないまま、私はシャッターを押し続けた。無我夢中だった。

数分もしないうちに風は止み、太陽の光も薄らいでいった。まるで魔法が解けたかのように、ハナミズキは静かにたたずんでいる。余韻に浸りながら、私たちは植物園を後にした。

写真を撮ることは、自分の感性を発見すること

帰りに地下鉄に揺られながら、私はなぜカメラを構えて "見つけた" と思ったのか。その疑問を反芻する。

写真を撮ることは、自分の感性を発見することなのかもしれない。
季節の花々を撮るたびに、自分の中に新しい感覚が芽生える気がしていた。今回はそれがより鮮明だった。

カメラの角度を変えたり、汐音さんに目線を動かしてもらったり。微調整を重ねるうちに、他人の目から解放され、自分が「本当に良いと思うもの」が浮かび上がる。今日、ハナミズキと汐音さんを撮りながら感じた熱は、まさに自分の感性を再発見した喜びだった。

妊娠・出産を経て、社会との関わりが一気に断たれた。子どものペースに振り回されるうちに、自分を省みる時間がなくなっていく。そして、いつの間にか「私は何を良いと思っていたんだろう?」と見失ってしまっているのかもしれない。

妊娠中に読んだ、平野敬一郎氏の『私とは何か――「個人」から「分人」へ』には、以下のように綴られている。

一人の人間の中には、複数の分人が存在している。両親との分人、恋人との分人、親友との分人、職場での分人、……あなたという人間は、これらの分人の集合体である。

平野敬一郎, 『私とは何か――「個人」から「分人」へ』, 2012, 68p

出産しても、新しく “ママ” という分人が加わるだけで、これまで構成していた分人たちは残る。私はそう信じていた。

しかし、平野氏が示唆しているように、環境が変われば分人を構成する比率も変化する。私の場合は、想像以上に ”ママ” という分人が圧倒的な比重を持ち、出産前に自分を構成していた分人たちがどこかへ追いやられてしまった。それが、私のバランスを崩す要因だったのだと思う。

最近ではやりたいことすら、子育てと両立できるかで判断してしまう。そこには子どもの可愛さや成長の喜びだけでは埋められない、喉を締め付けられるような息苦しさがあった。

そんなことをつらつら考えているうちに、地下鉄は四条駅について阪急に乗り換える。まだ、ハナミズキの葉擦れの音が耳に残っている気がした。

30代になり、もう自分は落ち着いたはずだと思っていた。それなのに、まだ自分を探しているようで少し気恥ずかしい。しかし、カメラを構えていると、他人の目を気にすることなく、自分の ”良い” と思う感性にとことん向き合うことができる。その瞬間、私は “私自身” を見つけるのだろう。

それさえ忘れないでいれば、不思議と「大丈夫」と思える気がした。私はそっとカメラを抱えて、娘と夫の待つ家へ帰った。


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コミティア151で汐音さんの短歌写真集を委託販売します

汐音葉月さんを5年間にわたって撮影した写真と、彼女の短歌を組み合わせた短歌写真集『花と着物と、短歌を纏う』をつくりました!

2025年2月16日(日)開催のコミティア151、たいやき好事家・蒐集家 みなみんさんのスペースにて『花と着物と、短歌を纏う』を委託販売します。今回紹介したハナミズキと汐音さんの写真も掲載しています。

みなみんさんの離島のたい焼きをまとめたZINEやたい焼きのグッズも、ぜひ手に取ってみてくださいね。

表紙イメージ

日程: 2025年2月16日(日)11:00~16:00
場所: 東京ビッグサイト東1・2・3ホール
サークル名: 天然養殖
スペース: 東1 O60b
※当日私と汐音さんはブースにいません



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