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カシュガイ族 (イラン2004)


旅立つ前に

 自分にとってデジタル移行期の2004年。この時はまだイランはイランイラク戦争後10数年、イランは直接関係ないけど湾岸戦争後という時期だったというのもあって情勢をよく知らない周りからはイラン行きを伝えると口を揃えたように、そんな危険なところに?という反応だった。しかし海外好きの中ではイランというのは外国人にとても親切で中東の3P遺跡の一つ、ペルセポリスが存在している。そして世界の半分といわれた美しいエスファハーンがあって、大手の旅行会社もイラン周遊の旅を普通に出している。イランに実際に行った人の中でも評価はかなり高い。つまりイランは興味ある人とない人の評価が極端に2極化している国の一つだった。中東のことは良く分からないけどあそこあたりはキナ臭くて全て危険だといういわば中東アレルギーの人が多かったのである。まぁ心情的に何となく分からなくもないが、すべての中東諸国に当てはめるのもちょっと無茶なことだと思う。最近だと2019年にもイランに行っているけど、2004年の時ほど危険な反応はなかった。どちらかといえばお隣のイラクの方が圧倒的に治安が悪くて危険なはずだけど。隣国であって国名がビミョーに似ているというのもあって同類とみなされているのだろう。

 それにしても当時、イランは意外かもしれないけどかなり治安が良かったので日本人から見たイランの印象という意味ではかなり損をしている。結構過小評価されているのでもう少し国としての印象をなんとか上げてもらいたいものだ。

 

 


カシュガイ族 Qashqai people

 イランに行くからには何かちょっと普通と違ったところを回ってみたい。当時も色々少数民族の撮影をしていたので、行けそうなエリアを探しているとシラーズからカシュガイ族に会いに行ったという記事を見つけた。イランは本来多民族だけど、当時の検索でひっかかる少数民族はほとんどこのカシュガイ族ぐらいだった。他にもいろんな少数民族が住んでいるにも関わらずどうしてカシュガイ族ぐらいしか検索しても出てこないのかというとギャッベというイランで有名な織物があって、それを作成しているのが遊牧民のカシュガイ族なのだ。当時でも世界の雑貨関係者や織物関係者の間で有名な美しいギャッベ、それを買い付けに行ったり輸入したりする人が色々記事を書いていたわけである。

 本来は遊牧民であるカシュガイ族だが、当時でも一部はちゃんとした家に定住しているグループもいた。そして家の周辺で放牧してギャッベを一族で作成しているのもいた。買い付けはそういう方が定住していることもあって郵便の確実性が高く、商売的にはいいだろうけど、撮影に行くなら断然砂漠地帯のテント生活の方の遊牧民だ。特に女性の色鮮やかな民族衣装はとても興味深く、事前に現地手配会社にそういう方向で準備をしてもらった。

 イランに入国しシラーズからお目当てのカシュガイ族に会いに行く当日、ドライバーはスーパーでどっさりチキンの生肉を購入した。つまり、カシュガイ族とチキンバーベキューをするというプランだ。聞くとカシュガイ族は普段ヤギやヒツジの肉ばかり食べているのでチキンを持っていくと喜ばれるらしい。

 シラーズから車で数時間だろうか、砂漠地帯の道路を走らせていると羊を遊牧している彼らが目に入ってきた。そばにはロバにまたがり家畜を操っている一団もいた。幼い子供でもロバには早く乗りこなせるようになるらしい。彼らからするとロバは生活に必需な自転車かオートバイみたいな感覚なのだろうか。周辺にはいくつものテントが見える。正直いってこんな荒地のステップ地帯の干からびた土地に人間が平気な顔をしてテントを張って生活しているのである。現代社会の物質生活にどっぷりとつかっていた自分としてはよくこんなところで本当に生きていけるんだな、と実に不思議だった記憶がある。それまで写真で色々と砂漠の民を見たことはあっても実際に目の前の遊牧生活を見ると本当にこの地でやっていけるのが不思議だった。日本人的発想かもしれないが、せめてテントは川のそばで張るべきなんじゃないのかという余計な世話的考えが脳を占めていた。

 

  

 女性の民族衣装は黒一色で覆われるようなイランらしいヒジャブとは全く異なり色鮮やかだった。羊やヤギの毛で糸を紡いでいるのに、どうやってこのような服を作るのかも不思議だった。布地をどこかで買ってきて自分たちで作っているのだろうか。

 家族が多そうなテントのところに行きテント内に上がり込んだ。テントとはいっても天井に羊毛らしき布があり壁となる横には透けるような薄い布があるだけで、どちらかといえば太陽の暑い日差しを除けるという目的のようにみえる。つまり我々の考える家としての密閉となるような壁となるものはない。つまり屋根だけに近く中が丸見えで横風が来たらまともに風を受けるような構造だ。こういうところでは砂嵐の心配はないのだろうか。砂嵐とまでいかなくても強風ぐらいはあるんじゃないのか?といくつもの??が湧いてきたが、実際には問題がないからこういう構造のテントで生活をしているのだろう。むしろ多少の風がテント内に入る方が過ごしやすいのだろうか。

 

  

 テント内にはいり、ドライバーとガイドは早速彼らにチキンを見せて焼き始めた。女性たちは湯を沸かし紅茶の準備を始めた。見ていると砂糖は大きな塊だった。これをペンチみたいなもので砕いて使う。おそらくだがこのペンチはさすがに砂糖のみに使うペンチというわけではないだろう。きっと針金など様々なものにも使用した上で砂糖にも使うということだと思うけど、こういうところでは衛生的な問題は些細な事として気にしない方がいいだろう。

  

  

 年配の女性が羊毛を紡いでいた。コマを放り投げるようにして糸を紡いでいく。少し触らせてもらったけど、これは全く無理だった。根本的に糸を均一にしていくのが全くできない。というかコマを投げるだけでほとんど糸を紡ぐことができなかった。多分これは相当技術が要りそうだ。

 

  

 テント内には子羊たちがいた。一部は柵の中に入れられていて、残りはまるでペットの子犬のように人間のそばにいた。理由は良く分からないが推測するに外はかなり日差しがきついのでせめて子羊だけは日陰に入れているのか、もしくは母親と一緒だとミルクを全て飲んでしまうので人間用のミルクを確保するためだろうか。

 写真の子羊を抱えた少女の右後ろに針金で作った柵があり中に子羊が入れられている。

 

  

 チキンバーベキューをカシュガイ族と楽しみながら彼らの姿をチェキで撮ってプレゼントした。当時はまだスマホというのが存在してなくて自分の写真というのが貴重だったのだ。これがかなり受けて写真をせがまれてあっという間にフィルムは底をついた。チェキはインスタントカメラ。今もまだあるだろうか。インスタントカメラで撮ると最初は真っ白の写真が出てくる。数分してくると写真に色がついてきてだんだん浮かび上がってくるのだ。遊牧民たちはうっすら自分の姿が見えてくると楽しそうな声が上げた。そしてゆっくりと濃くなる自分の姿に彼らは不思議そうに見ながらはしゃいでいた。

 下はチェキで撮ってもらい笑顔のカシュガイの女性。何となく顎ががっしりしているせいかスカーフがないとちょっと男性っぽく見えてしまう。

 

 

 最後の写真が今回お世話になったカシュガイの家族。下に敷いてあるのでカシュガイ族のギャッベと呼ばれる絨毯。写真で見る限り右端のおばあちゃんは時間の許す限り羊毛を紡いでいるのだろうか。

 

 

 しかしそんな遊牧民の生活にも最近は変化が起きているらしい。遊牧民であっても車は長距離の移動で便利なため、車を所有するグループが出てきているということだ。どうやら家畜や絨毯(ギャッベ)を売って現金収入を得て、そのお金で車やガソリン代を購入するという。しかし例えそのような変化があったとしても日本人から見れば、必要なものしかもたないミニマムな生活は現代社会の物質文化の中で生きている人々からすると人間の原点を感じさせるものであった。もちろん、彼らもだんだんと物質文化に少しずつ足を踏み入れていくのは確実であろうけど。

 
 
超マニアックな海外の辺境で色々撮影しておりSNSで情報発信してます。
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ホムペ
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