アビヤーネ村 (イラン2004)
デジタル一眼の登場
今思うとかなり昔になる2004年。この時は確か大衆向けのデジタル一眼が世に出たばかりのはずだった。しかもこのころはまだAPSサイズが基本で35㎜フルサイズのセンサーが一般に登場するのはもう少し先の時代だった。マウントは当時まだ共通だったのでフィルムカメラとAPSのデジ一眼は同じレンズを使う、すると当然ながら両者の画角が違う。画角が違うというよりもデジイチの方が周りをトリミングされているといった方が感覚的には近かった。当時のデジタル一眼というのは実用的にもまだまだで、今だと信じられないかもしれないがスイッチをonにしても起動というか使えるようになるのに5秒くらいだったと思うけどある程度の時間が必要な代物だった。つまりいざ撮ろうとスイッチ入れて構えたところでもすぐにシャッターが切れなかったのだ。しかもシャッターボタンを押しても実際にシャッターが切れるのにわずかなズレも生じた。となると動きもの主体の人物メインの撮影では少し不利になってしまう。そんな代物なら今までのフィルムカメラの方が確実なんじゃないかというのもあって写真界では新しく登場したデジ一眼は発展途上とし動きものでない風景写真界からデジ一眼が広まっていったと記憶している。
しかしながらフィルムからのスキャンに膨大な時間を取られることに苦を感じていた人や多くのフィルムを持ち歩きたくない荷物最小主義の層やその場での確認が重要な商業撮影からはメリットの方がデメリットを上回るとし、だんだん浸透していった。海外での人物撮影をメインとしている自分はフィルムスキャンの労力に限界を感じていたので飛びついた。シャッター時間にタイムラグが生じるならどんどん撮りまくって数打ちゃ当たる作戦でやって行けばなんとかなるだろうという目論見だった。それでも実際に使ってみるとダイナミックレンジが狭く特にハイライトは飛びやすい印象があったので極力はデジタルだけど完全な移行はあきらめ、肝心な時は両方持ち出して使うことにした。そういったデジタルへの過渡期の海外撮影がちょうどこの年の2004年から始まった。
アビヤーネ村 Abyaneh village
位置的にはカーシャーン近郊でエスファハーン方面といったところだろうか、緑のない岩山を背にしてアビヤーネ村が建っている。村の家も土色っぽく見えるので遠目だと岩山に溶け込んでいるようにも見えなくもない。岩山の斜面に作られたせいもあるけど、遠くを見晴らすように作られた村はどことなく密集感もあって要塞のようにも見える。岩山を利用している限り基本的に水源はすぐそばになく下にあって、たいていはロバなどで汲んでくるパターンが多い。そして川を挟んで外側と分断されていることが多く、敵がやってきた場合の戦いを意識したつくりになっている。しかしながら城壁らしきものはなかったように記憶しているので、籠城戦には向いてなさそうだ。そして背後の岩山はそれほど巨大ではなく結構容易に乗り越えれそうに見える。すると早期の敵発見が目的で、城壁がなければ戦うか、もしくは岩山の向こう側に逃れるのを容易にしている構造だろうか。
村に入ってみた。家は赤い土壁が基本なので村全体がピンクっぽく感じる。この赤土は鉄分を含んでいるのでこのような色になっているらしい。通りを挟んだ右の家を見てほしい。仕上げの土壁が全体に塗られていないので内部構造が何となくみえている。斜面を切り崩しているので元々は平地でない。道路が坂になっているので、斜面に基礎の石垣を作っているように見えるけど、流石に斜面のままでの基礎は無謀なのでおそらく水平にしてから石垣を積み上げているのだろう。見た目はバラバラの石を積み上げたいわゆる野積のように見える。つまりピラミッドや日本の城の石垣のように計算してカットした岩を積んでいるわけではなさそうだ。その上にレンガを積み上げて壁としている。そして屋根は丸太を渡している。そして最後に土壁を全体に塗って平らにして左のような家になるのだろう。なお丸太は家のサイズにカットせずにそのまま家から飛び出している。このような突き出たままの丸太は土壁を利用する伝統的家屋だと他の国でも時々見られ、飛び出た丸太を足場として壁や屋根の修復をしやすくしている。見た目より実用を重視した結果だ。
アビヤーネの服装
アビヤーネは周りの一般のイラン文化とは言葉や風習が違うと言われる。イラン女性は黒のヒジャブで頭髪を覆うのが一般的だが、この村ではそのヒジャブがなんと白地に赤いバラ柄!! 実にかわいい感じのヒジャブなのだ。2004年に訪れたときはそういったご当地ヒジャブを被っているのはほとんどお年寄りの方だけになっていた。子供でも被っているのを見たけど確か数人程度のみだった記憶がある。他のデザインのヒジャブもあったけど、イランの代表的な黒のヒジャブを被った女性は色々写真を見返したが一人も写っていなかった。
男性のズボンも独特だ。伝統的なズボンは黒のダブダブの太いタイプ。実はこれは南ザクロス山脈に暮らすバフティヤーリー族とほとんど同じ。バフティヤーリー族はクルドと近縁とされるロル族から分かれた民族なのでこのアビヤーネの人々もひょっとしたら祖先はロル族だった可能性がある。
杏子
村を歩き回っていると杏子を干している家が見えた。実際には杏子だったかスモモだったのか今となるとちょっと定かではない。とりあえず違うかもしれないがここでは杏子ということにしておこう。ちょうどこの時期はどうやらその杏子の収穫の時期らしい。中を覗きたそうにしていると親切にも家の中に案内してくれた。テラスでは女性が手作業で杏子から皮と種をとり除いていた。これを籐みたいもので編んだ大きなトレイで天日干しにする。すでに皮むきが終了した杏子がテラスの端にいっぱい並べられていてイランの乾燥した空気と陽の下にさらされていた。砂漠の荒野のように乾燥したイランの大地では天気がいいときにはあっという間に乾ききってしまいそうだ。テラスには甘酸っぱい香りが充満していた。杏子の一部はつぶしてペースト状に伸ばして干している。いわゆる杏子シートだ。一切れもらって食べた。食感としては杏子のグミといった感じだ。聞くとこういったドライフルーツは主に冬に食べるものらしい。ということは普段のおやつ感覚よりかは食料の少ない冬場のための貯蔵用の食料といった感じだろうか。
家の中にはすでに乾燥させて出来上がった皮剥き杏子や杏子シートが収納部屋にやや無造作に置いてあって、こちらの部屋にも杏子の甘い匂いが漂っていた。杏子シートは家の梁の部分にもぶら下がっていた。こうやって見ているとシートタイプはちょっと手間がかかるはずだが、家のどこの部分でもこうやって陰干しができる。そしてシート状なので持ち運ぶ際にも容易でバラバラにならずにすむという利点があるようにも思える。すでに種も抜いてあるのでドライ杏子より食べやすい。すると長年の間に生まれたドライフルーツの進化系なのだろう。最近になって知ったことだが、ジョージアでもイチジクをこのようなシート状にして食べるという。湿度の高い日本だと時期や地域によっては腐ったりカビの心配もあるけれど、こういった乾燥地域ではそういう心配はあまりなく独自に発展した保存法なのだろう。日本でも一応伝統的ドライフルーツとして干し柿がある。しかし果肉の水分量としては他の果物より柿は少ない印象だ。日本だと水分をたっぷり含んだ果物の干し物は気候的にも長期保存が難しいためか乾燥した国々に比べ少ないのかもしれない。
家の内部を感心しながら写真を撮りまくっていると、こういうものに興味がある日本人が余程珍しかったのか帰り際になんとこの干し杏子を小さいビニール袋いっぱいとシートタイプを一枚渡されたのだ! なんという幸運な!
今でもこのアビヤーネのことを考えると、伝統的な赤土の家や赤いバラのヒジャブよりもどちらかといえばこの時の干し杏子の方が印象深い。今は流石に伝統のヒジャブも減って、ロバも少なくなっているだろう。伝統的な干し杏子シートも手間がかかるから減っているのかもしれない。今から20年近くも昔のアビヤーネの記憶はかなり薄れてきてはいるが、この時の杏子は当時の村人の親切心とともによき甘酸っぱいいい思い出として記憶に残っている。
超マニアックな海外の辺境で色々撮影しておりSNSで情報発信してます。
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ホムペ
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