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マヤスビ(台湾)2020


ツォウ族 Tsou

 現在の台湾において有数の観光地であり、お茶の産地とされる阿里山(ありさん)。ここはツォウ族の住む高山森林地帯だ。ツォウ族は独特の父系社会をもっている。集落に行くと分かるが中心に広場があり、片隅にグバ(庫巴、kuba)と呼ばれる高床式の大きな木の家がある。ここが男子会所つまりここで各氏族の長老達が会議をする場所なのである。父系社会のためこのグバには女性は入れない。ツォウ族以外も入れないという聖なる領域なのだ。これは現在もしっかりと守られている。もちろん現在は台湾政府の元で政治が行われているから長老会議で村の運営というのはおそらくほとんどなく今となっては祭りごとに関することにしか使用されないのではないだろうか。このグバは屋根を藁(わら)で葺(ふ)かれており、見た目でいえば日本の藁葺き屋根の大きな家を高床式にしたといえば雰囲気的に近いだろう。居住空間である二階部分には窓はあるが戸に相当するような閉じるものはなさそうだ。これは年間通して暑い気候ならではの風通しをよくする構造なのかもしれない。
 現在は祭りを行うのは達邦社と特富野社の2集落。昔は交互の集落で行われていたそうだが、現在は独自でおこなっているという。今回は達邦社という集落での撮影となった。

 彼らは普段は洋服だが、祭りとなると鳥の羽や貝などで身なりを飾る。そうするとなんとなく原住民感(台湾においては原住民という表現は差別表現ではなく、少数民族を指す一般表現。なお先住民族は台湾では現在は絶滅したというニュアンスがあるらしい)が出てくる。日本では古来あまり貝や羽で飾り立てる風習があまりないので、こういった飾りを見るだけで風習や美意識が違い過ぎて、全く世界の違う人々という認識だ。しかし東南アジアや南アジアの民族には彼らと同じように貝や羽で飾り立てた盛装というのが色々ある。そういった人々からするとこの目に見えぬ民族の違いの壁というのは思ったほど高くはないのではないかという気がする。例えばブータンの民族衣装はゴ(男性用)、キラ(女性用)といい、どことなく日本の着物に通じる雰囲気がある。顔立ちも日本人に似ているというのもあって、ブータン人は食生活や文化は全く違うが、ゴを着ているブータン人の方がはるかに盛装のツォウ族より近寄りやすい。一方インド、ミャンマーにまたがって住むナガ族という民族がいて彼らは祭りとなるとツォウ族同様に貝や鳥の羽で飾り立てて雄たけびをあげる。多分彼らの方がツォウ族に対して我々日本人が感じる民族間の壁を感じないのではないだろうか。


マヤスビ  Mayasvi

 マヤスビは戦祭の現地語だ。戦祭というと戦勝祈願や戦勝祝いというイメージがあるが、これは空にいる戦神の降臨を祝うという性格のようである。

大雑把ではあるがマヤスビの流れを書いてみたいと思う。実際にはここで書いたものより複雑なようだが、観光客に見える範囲での流れだ。なお祭りの会場となる部分にはツォウ族以外の人は入っていけないので、観覧席から祭りを眺めることになる。

 

 

祭り前

 達邦社集落はもちろんほとんどがツォウ族だ。山深い阿里山の集落で祭りの朝を迎えると清々しい空気とともにどこか楽しそうな会話が耳に入ってくる。ここ達邦社集落は標高1000mほど。南国台湾でもこれぐらいの標高ともなると朝夕には少しヒンヤリとした空気になり過ごしやすい。グバ周辺を歩き回るとそれぞれの家庭で民族衣装の晴れ姿で準備に励む姿が見られる。飾り付けのアクセサリーや、会場周辺の土産物の準備とか楽しそうな雰囲気だ。昔はもっとピリピリした緊張感のある祭りだったかもしれないが、戦そのものが無くなった現在はきっと戦神のためというよりも村人の楽しみといった性格ではないだろうか。


戦祭の流れ

① 先ずはグバの屋根に何かの苗を植えている。この意味合いが全く分からないのだが、屋根には似たような幼木がいくつも見えるので、例年このように植えてそれが育っているのだろうか。この後に登場する神木の苗木かもしれない。
② グバの中には暖炉のようなものがあるようで、そこから木に火をつけ、それを聖火として中庭中央に運ぶ。そこで燃えさかる火はのちの踊りの中心となる。



③ 豚が運ばれてくる。神木の前で豚の悲痛な叫び声があがり生贄とされる。この瞬間はツォウ族の人垣に隠れてしまい全く見えない。ツォウ族の男達は刀などの武器を携えているのだが、順番に生贄のところに行って刀に血を付けていく。こういう光景を見ていると非常に好戦的な民族という印象をうける。昔は台湾には多くの民族が割拠していたのでおそらく戦が絶えず、このようにして民族の団結そして戦への決死の意気込みを図っていたのではないだろうか。


④ 中庭にある神木の葉を切り落とす。一応調べると3枝のみ残すとされているようだが見ている感じでは全ての葉を切り落とす勢いのようにみえる。これは天にいる戦神がこの木を梯子として降り易くするために枝を落としているだという。ほとんど丸裸となった神木。ちょっとかわいそうな気もするし、ここまで葉がないと生きていけるのかと心配にはなるが、毎年こうやっているからきっと平気ですぐに葉がまた復活し、一年後にはまた切り落とされるのだろう。神木という割には大事にされているのかビミョーな存在で、命を縮めかねないので、神木からするときっと、これじゃ神木じゃなくて生贄だよ! という声が聞こえそうである。この後にお供え物を捧げて迎神曲を歌い、戦神の降臨を迎え入れる。


⑤ 次にはメインとなるツォウ族の歌だ。この歌は送神曲といい、天へと帰って行く戦神を見送るためのものだ。つまり戦神が降臨していた時間というのはわずかな間ということになるようだ。戦士たる男達が輪になって歌うと、今度は女性陣が参加してくる。この時の歌は戦歌というらしい。男達と同じように聖火を中庭に運び入れると戦士達と同じように聖火を中心に歌うのだ。ツォウ族を有名にしているのはこの時の送神曲や戦歌だ。この合唱は戦とは場違いな美しい歌で戦に向かうために気合や雄たけび的要素は全くない神聖なものを感じる。これは言葉での説明は難しいので動画を見てもらった方が早いだろう。


 祭事の合間に時々戦士が奇声をあげながら走って何かをクバに運び込むが、これは各氏族からの米酒、糯米糕、豚肉などのお供え物だという。祝杯を挙げた後、お供え物を一緒に食べて、戦に必要な力を授けてもらえるよう戦神に祈願するためのものだ。

 

 

正典後

 ここまでが正典でこの後は観光客も交えての踊りとなる。夕方から深夜にかけ同じように踊りが行われるが、夜の部は儀式というか酒を飲みながらで皆で楽しく歌い踊り明けるという感じだ。人によっては儀式というよりも、こちらの飲みながら皆と踊るという方に楽しみを見出している人もいるだろう。正典以降はツォウ族以外の誰でも踊りに加わるのが可能となる。私も夜にちょっと参加させてもらった。参加すると自動的にツォウ族の酒を勧められるが濁り酒みたいな感じだったと記憶している。

 これは会場では目にすることはできないのだが、頭目宅に今度成人を迎える若者が訪れ、酒を飲むことによって成人とみなされるらしい。

 台湾は九州と同程度の面積なのだが、その狭い空間になんとなぜか17民族と別れてしまっている。なおツォウ族はおよそ7000人と世界的に見て民族としてはかなり少数だ。民族間は別々の文化、言語であったため昔は意思疎通が困難だったようだが日本統治時代に日本語が全体に教育されたため異民族間は日本語を共通言語として使ってきたいきさつがある。したがって日本統治時代を経験した長老の方は今でも日本語を話すことができるのだ。現地では日本人には友好的な雰囲気で、たとえ日本統治時代に圧政もあっただろうが長老たちは私が日本人とわかると親しげに日本語で話しかけてくる。統治時代のことを考えるとこちらとしては申し訳ない気分もあるのだが、基本的には日本統治を経験した年長者も含め親日国なのである。

 ツォウ族だけではないが台湾の少数民族は普段はもちろん民族衣装を着ていない。しかしながら台湾には原住民族委員会が存在し、そしてテレビでも原住民チャンネルというのもある。列車やバスの車内放送でも原住民語も使われているので原住民のアイデンティティはそれなりに保たれていると思われる。世界には少数民族を弾圧する国も存在するのでそういった意味では国として民族間の壁は少ないという印象だ。大学入試でも原住民には加点があり、従業員100人以上の企業では一定比率以上の原住民を雇用などの対策が取られている。台湾のプロ野球選手では原住民も普通にいるし、歌手もいる。そういったことから台湾では原住民といっても差別的な扱いはあるにしろ世界的に見れば比較的少ないのではないだろうか。

阿里山の空に美しい歌声は、きっと今後も響き渡る。


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ホムペ
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