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感謝のダンスをあなたに―せんせいとタカさんがいた日


 「自分自身のために踊るんだ。もし誰かが理解してくれたら良い。もし理解してくれないときは、関係ない。自分の興味があることをやるんだ。君が興味を失うまでやるんだ。」  (ルイス・ホースト)


1.大喜びするせんせい

神奈川にいた頃、かのじょと週1回ヨガに行っていました。

街中がざわついていても、ヨガを習うお寺の空間は別世界でした。

年末のことでした。

せんせいから、明日は少しお時間をください、よろしければ、ダンスをお見せしたいですと前日に連絡が来た。

せんせいは小さな頃からバレエをしていて、50歳近くになってヨガのインストラクターの資格を取ったひとです。

そうか、ダンスか・・。

ヨガ教室で、しかもお堂で・・・ダンスはちょっと違和感を感じる。それに、男子はあまりダンスに燃えない・・。

でも、まぁ、せんせいはとにかく踊りたいんだなっ、と理解した。

師匠がそうだと言うのなら、弟子に文句のあろうはずもないっ。


いつものようにヨガをじっくり教わった後、わたしたちはフロアの後ろに陣取ってせんせいの着替えを待ちました。

やがて、フリルの付いた衣装に着替えたせんせいが現れる。

せんせい、嬉しそう。とんとんと進み出て来て踊り始めた。

ヨガのときに流すいつもの曲でした。

それに合わせて、せんせいゆっくりと優雅に踊る。女子は50歳ほどになっても、柔らかな曲線を描けるのか。。。

何かを包むように、そして愛でるように手を構え、体を傾ける。

かとおもうと、小鹿のようにぴよんぴよんと跳ねて行く。

4分ほどの踊りを踊ったせんせいは、荒い息もせずにわたしたちの方を向いて、「今年はありがとうございました、みなさんのご多幸をお祈りいたします」と結んだ。

コンテンポラリー・ダンスでした。

せんせいは、この場のみなさんに合わせ、想いを表現いたしましたといった。


そういえば、かのじょとわたしが生徒となった頃、せんせいはわたしの誕生日に、プレゼントをさせてくださいとやはり踊ってくれたことがありました。

まだ、生徒が少なくて、場所も市のコミュセンの部屋を借りてました。

もっと早いテンポの踊りだったと思います。

せんせいは、想いがあると踊る。

こんなプレゼントは生涯もらったことがなかったので、わたしはすこし戸惑い、どうお礼をしたものかと壁で固まってた・・。

優雅に踊られました。

せんせい、表現するそこはヨガの空間でも、仏教空間でも、誰かの誕生日でも、たぶんなんでもいいのです。

踊りたいっ!せんせいは気持ちを体で現したいひとでしょう。


せんせいの旦那さんであるタカさんがわたしに言いました。

「どんなに疲れていても、彼女はヨガの研究を欠かしません。夜中まで何かやってます。

また、どんなに疲れていても、妻は夢中でバレエの練習をしているんです。

仲間と振り付けについて無尽蔵のパワーを傾ける、、みたいな。

あんな細い体のどこにそんなエネルギーがあるのかといつも驚きます」。


せんせいは、ヨガをどう教えるのかというのも常に探求していました。

ヨガは、インナーマッスルの在り方、筋肉の絞り方やねじり方、関節の使い方、呼吸のリズム・・・

細部には無限に留意すべき点があって、せんせいを見て生徒は分かる、というのじゃありませんでした。

だから、教えてもわたしたちが呑み込めないということが始終あって、

そういう場合、翌週にはもっとうまい教え方をせんせいは編み出して来た。

それでもわたしたちがピンと来ないと、またまた新たな教え方を次週に編み出して来る。。

せんせいは、毎回何かを新しくしてわたしたちに臨みました。

そして、すこしでも生徒たちが上達すると大喜びします。

「まぁ~、すごいです、すごいです」と少女のように。

なによりも探求好きな人。

わたしたちをいつも励ます人。


わたしたちには、たまたま巡り会ったせんせいでした。

せんせいは、とても普通に見える、どこにでもいそうな、でも偉大なひとかと思う。

(偉大というのは制限や制約が無い人ということではありません。スーパーではない。素に制限を受け入れ、そして出来ることに身を捧げるという意味ですが、その尽くす高みを言いたいです。せんせい、気高い。)

偉大な師に会えることはとても稀なことでしょう。

そして、その師に相応しい生徒はもっと稀なのです。

(みんなは、偉大な師に会えれば、それで後はOK、しあわせに成れると言うでしょうが)

ヨガの帰り、かのじょとわたしはいつも「じぶんたちにはもったいないせんせいだね」と話しました。

せんせい程に探求好きでないわが身が、ほんと申し訳ない・・。


もちろん、そんなせんせいと生涯ずっと続けられるとは思ってはいませんでしたが、

でも、そこからわずか半年後にじぶんたちが関西に行ってしまうなんて、わたしたち自身思いもよらなかったのです。



2.タカさんとせんせいと

せんせいにはもう大きくなった娘さんがいました。

ある時、せんせいは病院で働いて居て、そこでたまたま入院していたタカさんのお母さんと知り合いになりました。

段々親しくなり、お母さんはせんせいを”みそめ”た。

どもりの優しい息子がいつまでもお嫁さんをもらう気配が無いのを気にしていたお母さん。

お前にも人並に夫婦の経験をさせたい・・。

お母さんは、せんせいに「うちの息子のお嫁さんになって欲しい」というようなことを言ったようです。

やがて、ふたりは結婚しました。

せんせいは、お義母さんのことを「あんなに聡明な人だったのに・・」とある日、ぽろり言いました。


タカさんはヨガ教室に参加できる日が徐々に減って行きました。

認知症とウツがひどくなったお母さんを病院に連れて行ったり、徘徊しないように見張る日が増えたのです。

重くなることはあっても、決して回復しない病の母に、ときにひどい言葉を投げてしまうのだそうです。

早くに父が亡くなってから苦労して自分を育ててくれた母をタカさんはとてもありがたいとおもっていた。

でも、認知症となった母はただわがままを言い、ただ妄想に取りつかれる。夜中に何度も起こされる。

障害者施設で働いていた彼は、母の状態によっては出勤できない日が続く。

ときどき、激怒してしまう自分自身に彼はへこむといいます。

タカさんはどんどん痩せて行きました。

きっとせんせいとタカさんにとって辛く長い日々だったと思います。


でも、せんせいは、それはそれとして、自己を表現するということもけっして諦めてはいなかったのです。

もう十分成熟して結婚したふたりでした。お互いを尊重し合っていた。

わたし思いました。

認知症は、そう成りたくて成る人も多いんじゃないかと。(調べるとそう主張する先生も少なからずいました)

お母さんもやっと安心してボケれたのかもしれない。

息子がしあわせになった姿をみたということは、ようやく母親の役目を終わったということ。そこに体が気が付く。

息子たちが笑ってる。ああ、しあわせそうだぁ・・・

お母さんはずっとひとりで家庭を支えてきたのでした。


せんせいは、ダンスを披露した後でこう付け足しました。

「若い頃、発達障害者の施設の方たちにボランティアでダンスを教えていました。

その子たちも年を取ったのだけれど、今でも一緒に踊る機会があって、かれらから学ぶことが多いです。

かれらは、他人と比べずに、一生懸命にダンスをします。

比較しない素のその姿にわたしはいつも励まされます。

うまかろうがヘタであろうが、自分が体を通じて表現することに集中することにおいて抜きんでていると思います」。

これを聞いていた生徒のTさんがどのような活動なのかと詳しく聞きたがりました。

70歳近いTさんは、なんでも新しいことにチャレンジします。

最近は、劇団に入って年末の勧進帳のケイコに励んでいた。

都合が合えばなるべくヨガ教室にも参加しました。

いつも膝が、足がと言いながらヨガを諦めない。

ひとりで縦横に動き回る彼からは奥さんの匂いはしません。

特に障害者を支援することに熱心な人ですが、自身どこかになにか制約を持って生きて来たのかもしれません。


ヨガは何度もすれば多少はうまくなって喜ぶのですが、段々と人との比較が起こります。若い女子ならさっさと覚えますから。

「他人と比較しないでください」と、初回にわたしは念を押されていました。

そして、2年が経とうとしていました。



3.テキストに書き始めるときのときめきを

ある女流作家を評して、こう言ったひとがいます。

「彼女にとって書くこととは。

紙、その永遠の空白、可能性の純粋さ、自由が広がる空間を埋めること。紙が彼女に書くことを教える。

作家以外の人生なんて幾らでもある。

思わず、私は書くなんて大嫌いと言ってしまう彼女がそれでも何故書くのかは、意外にとてもシンプルなことなのかもしれない。」


そりゃ、せんせいだって体がしんどい日もあるし、うまく踊れなくて癇癪起こすことだってあって、きっと、もうダンスなんか辞めるって言って来たでしょう。

けれど、書くことがどうしても好きなわたしがやっぱりまた書き始めるように、せんせいも体がムズムズとしてきて要求されてしまう。

なによりも仲間たちに、生徒に励まされると、カチリと時計の針が回り、探求がまた始まってしまう。

せんせい、異常に探求好きでもありますから。


パソコン開いてテキストに書き始めるときに起こるわたしのわくわく感が、きっとフロアで動き始める瞬間のせんせいにもあるのだと思う。

このテキストに、このフロアに、「永遠の空白、可能性の純粋さ」を見るというような何か。

わたしが、「自由が広がる空間を埋め」てゆくという何か。

それはどんなに消し去ろうとしても消せない、この生き物に刷り込まれた呼吸のようなものでしょうか。



4.さようなら

ダンスはとてもはっきりした自己表現です。

こうして文字で書くことよりも、表現が直接的で混じりけが無いです。

せんせいが踊るのを見ながら思いました。

ああ、やっぱりわたしたち人間は、”あなた”に向かって自己を現わしたい、そしてそれを受け取って欲しい生き物なんだなと。

もちろん、せんせいは、その踊りを褒めて欲しかったわけではないのです。

自分があなた方と今年もヨガを一緒にやれたことをありがたいと思い、感謝を捧げたでしょう。

感謝のこころを差し出したかった。

さあ、どうぞと受け取ってくださいませ、と。

ありがたいとは、有り難いと書く。そう有ること自体が稀なることであるというのです。

わたしたちは有難いに触れた時、それを素直に表現したい。ああ、、ありがとうと。


生徒たちが帰ろうとしたとき、せんせい、恥ずかしそうに「みなさんと写真に写りたい」といいました。

小さな声でそう言った。

「じゃあ、集まりましょう、そうだ、マスクをとりましょう」と誰かが気を利かせて言った。

おばさんたちは、「まぁ、お化粧もしてきてないわ、あらぁ、恥ずかしいわぁ」とか言う。

そう言いながら、わたしたちはせんせいを囲み、タカさんが撮った。

インストラクターとなってから、せんせいは未だ数年でした。

生徒もいつも来るのは5、6人ほど。1人、2人のことも。。

でも、せんせい、ようやく軌道に乗った年だったのです。

せんせいの、それはあなたの探求のたまもの。


「ほんとに今日はお化粧してないんだから」とおばさんたちはまた言い、みんなは師走の街に戻って行きました。

せんせい、タカさん、いつまでもお元気で。

どうもありがとうございました。

たいへん遅くなりましたが、こころより御礼もうしあげます。


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