他人の目と承認欲求
ごきげんよう皆様いかがお過ごしですか。
今日は嫌~な思考回路になっているので考えていることを吐き出します。
読むと暗い気持ちになるかもしれないのでご注意ください。
比較的平穏な生活を出来ているはずなのに、急に黒いモヤモヤに襲われる時がある。
そいつは私が考えないようにしていることをズバスバ投げかけてくる。
「いつまで子供部屋おばさんしてるの?」
「みんなは素敵な家庭を築いているのに恥ずかしくないの?」
「せっかく大学卒業したのにこんな生活してていいの?」
自分で自分に問いかけて、傷つき、瀕死になってる。真上に投げた矢が自分に向かって降りかかってくる。
直接言われたことはないけれど、きっと周りのみんなもそう思っているんだろうな。親も、兄弟も、友人も、近所の人も、会社の人も。
匿名のネットでは私のような子供部屋おばさんは嘲笑の対象だ。大して稼がず、少子化抑制に貢献せず、親に寄生している厄介な存在。
頭では分かっている。人生は人それぞれだし、子供を産むだけが人生じゃないし、自分の生きたいように生きれば良い。周りの目なんか気にするな。
今の生活は私が望んだ「平穏な生活」だ。仕事のストレスから解放され、不眠から解放され、贅沢な暮らしは出来ないけれど、なんとか生きてる。
でもさ、やっぱり今の自分は、自分が認める「ちゃんとした人間」になれていない。胸を張って「頑張って生きてます」って言えないんだよね。
じゃあ自分が認める「ちゃんとした人間」て何なんだ。
正社員で、バリバリ仕事して、すてきな人と結婚して、子供を産んで・・・
あれ?これって自分が認めるというより、周り(主に親)から求められている「ちゃんとした私」だ。
私は親から認められたいってことなんだ。親だけじゃないな、世間もだ。
「すごいね」「頑張ってるね」って褒められたいんだ。
こういった承認欲求の話が出てくると、マズローの欲求階層が頭に浮かぶ。なんか学校で習ったよね。
今の私は生理的な欲求(食事、排泄、睡眠など、生命を維持するために必要な欲求)や安全の欲求(誰にも脅かされることなく、安全に安心して生活をしていきたいという欲求)は満たされている。満たされたことによってより高次な、所属と愛の欲求(集団に属したい、仲間から愛情を得たいという欲求)や承認欲求(他者から独立した個人として認められ、尊敬されたいという欲求)が出てきたんだ。
なんだ。私の思考は割と理にかなっているんだな。
じゃあこの承認欲求をどう消化していくかを、また今度じっくり考えよう。ここまで考えて疲れてしまった。