旧友と話したら、想い出の夏の美しさを思い出し、胸を焦がして眠れなくなった話
14歳のころの友人から、何年ぶりだろう、インスタでメッセージが届いた。
「あの時は美しかった。今も美しいはず」
そのとき友人はインスタのストーリーに「あの頃」という名のプレイリストをあげていた。わたしはそのプレイリストの中身を見て胸がぎゅっとし、スタンプを送った。二人で聴いた音楽が蘇る。
その返信が、上の言葉だった。
「あんなに苦しかったのに美しく見えるね。かけがえのない日々だね」
とわたしは返した。本当に久しぶりにメッセージを交わしたのだから、聞きたいことも話したいことも、もっとあったのに、何も聞かずに。今どこにいるのか、何をしているのか、元気でいるのか、何も知らずに。
返事が返ってくることはないかな、と思っていると通知音が鳴った。
「これから先もずっとかけがえないから必死に生きていたいよ」
わたしはその言葉を聞いて、ずっと閉ざしていた窓を開けて初めて風が通り抜けるような、そんな清々しさを知った。
あまりの想い出の美しさに哀しくなるから、わたしはつい、思い出すことをやめてしまうことがあるけれど、思い出してみようと思う。
小学生のころの夏休みのことを、毎年夏の気配を感じるたびに本当は思い出していた。
家の近くにサークルKサンクスがあり、よく自転車でそこへアイスを買いに行っていた。そうすると待ち合わせをしていなくても大抵、クラスメイトの誰かが雑誌コーナーで少年ジャンプを立ち読みしていて、気まぐれに話しかけることもあればそうでないこともあった。
わたしは握りしめた500円でアイスを買って、日陰のない坂道を自転車で下るのだ。錆びてギイギイいう自転車の車輪、首を伝う汗、絵の具を垂らしたみたいに抜けるような青い空の色。日焼け止めも塗らずに出歩いているせいで、焼けて黒くなった脚。キティのサンダル。
十二歳ころの夏だった。
小学校高学年になると、プールがあった。
水着を忘れたわたしと、体調がすぐれない男の子がプールサイドで水面を眺めている。
わたしたちは水筒に入っていた氷をこっそりプールの中に入れてあそんだ。
その男の子は初恋のひと。
中学生になると、家から電車で30分ほど揺られて、駅からも遠い学校に通うようになった。出会いと別れがあった。夏休みも少し寂しいものだった。
スクールバスを待つ間、友人のイヤホンを分け合って流行りのボカロを聴いた。「Tell your world」はこのときの思い出を封じ込めている。
十四歳の夏のことだ。
高校生の夏は、ひたすら部活動の夏だった。
文化祭に向けて練習が厳しくなっていく夏休みなかば。
授業のない、がらんとした教室を見るのが好きだった。
校庭からは野球部の声。音楽室からは吹奏楽部の音色。階段ダッシュをするバスケ部の足音。体育館からは和太鼓の音がした。
小走りで抜けていく渡り廊下に差し込む眩しい昼下がりのひかりは、夏休みが終わってしまったらもう見られないひかりだった。
十七歳の夏、部活の合宿でバスに乗った。
うとうととまどろんでいたら、別れた恋人の笑い声がした。
バスの前方に座っている彼の、通路を挟んだ友人と楽しそうに話す横顔を
わたしはちらとだけ見て、また眠った。
大学生の夏は、何をしていただろうか。
はっきりと思い出せるものがあまりない。
大学生は毎日が夏休みみたいだったから、きっとそれなりに楽しく、それなりに怠惰に過ごしていた。
大学院生、24歳の夏は、ただひたすらに美しかった。
好きだったひととよくアイスを食べた。コンビニで買ったパピコを半分に割って、冷房の効いた部屋でアニメを見ていた。
たまに歩いて鶏白湯のラーメンを食べに行った。
駅のベンチで帰りの電車を待つ、美しい想い出がいまもきらきらとひかっている。
夏はいつも、はっきりと短い。
はっきりと鮮やかに、まぶたに焼き付けられ、胸を焦がされ、いつまでも消えてくれないひかりを夏は持っている。
そのひかりは、鮮烈な痛みだと思う。秋になり、冬になったときに、夏ははるか遠くに感じられ、まばゆいばかりの日々が壊れたビデオテープのように頭に流れる。あれほど暑かったことも、汗を流したことも、気だるかったことも、うるさかったことも、すべてが美しく記録される。
過ぎ去ってしまった日々は戻らないのに。だからわたしは、思い出すことが苦手だ。哀しくて、寂しくなってしまうから。
大人になってしまったわたしは、どう足掻いても小学生のときに見た、くっきりと眩しい横断歩道の白線をもう一度見ることはできないし、誰もいない教室に響くチャイムの音にあのときと同じように胸を躍らせることもできない。
冷房の効いたオフィスの窓から見上げる都会の空には、入道雲がはっきりと聳え立つこともない。パピコを半分こにするほど心を誰かに預けることもない。
でも。
友人は言った。
「これから先もずっとかけがえないから」と。
十四歳の夏、わたしたちはいろんなものに苦しみながら大人になる日がいつかくるのだと明るく信じていた。
いつだって過去は美しく、未来は明るく、今だけがいちばん苦しい。
「今も美しいはず」
友人のメッセージが、わたしのスマホにひかる。
胸を焦がすような夏が、目の前にあるのかもしれない。
美しい、ただひたすらに美しい想い出の先にあるいまが、美しくないわけがない。
こころの中にあるひかりは、いつ取り出しても色褪せないのだからわたしたちはもっと安心して、時折それらを眺め、いまも生まれているであろうひかりのことを信じればよい。