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眠れない夜に旅の話 石垣島PART1

ふと今夜思い出したのは、今年の三月に行った旅行のこと。
わたしはこの三月に、石垣島および八重山諸島に一週間、中国の厦門および福鼎および上海に一週間、滞在していた。

石垣島に行こうと決めて

そのころのわたしは、どこかへ逃げ出したい、どこか遠くへ行きたいと強く思っていた。全てが嫌に成り果てていた時期でもあり、何もかも失ったように思えた時期でもあった。実際、いろんなものを失っていた。家族も恋人も住む場所もお金も。

石垣には友人がいた。
「こっちきたら? わたしは仕事で家にいないし観光には付き合えないけど、家にいていいよ。ここからなら離島も行けるし」
今しかない、と思った。自分の家と呼べる場所がなくリュックとキャリーケースがそのときのわたしの全ての荷物で、それらを引きずって東京にいるよりは、そのまま南の島へ行ってしまった方が楽かもしれないと。
東京は知ってる場所が多すぎて、思い出や記憶に足が絡みとられる。なにより、わたしは寒さが苦手で、暑い場所が好きだった。三月の東京は、わたしには寒すぎた。


三月の揺れやすい天気の中、曇りの川平湾

石垣島は島の中でも道路を挟んで天気が急変したりする。
突然の雨、突然の晴れ、かと思ったら豪雨。
青い空に透き通るようなエメラルドの海を思い描いて石垣空港へ降り立った日は、それはもう天気が悪かった。傘なんて持ってきているわけがないので(そもそもわたしの荷物の中には東京にいた時から傘がなかった)フードをかぶって、キャリーケースをガタガタ言わせながら白保を歩いた。
スマホの電波はすでに悪い。お腹も空いていた。動きの悪いGoogleマップを片手になんとか立ち寄った店には「本日休み」の札がかかっていた。
あとで友人に聞いたところ、この辺りは「定休日」ではなく、お店の人の都合に合わせて急に休みになるという。

ぜんぶ諦めて海が見たくなった。
これから一週間、きっとたくさん海を見ることができるだろうと思うことだけが、なんとなくわたしの気分を軽くさせた。なにより、暖かかったことが嬉しかった。あったけえ! と叫びたかった。半袖でいいんだ、ということが、もしかしたら海を見るより嬉しかったかもしれない。

それからしばらくして、友人が迎えにきてくれた。
その友人と会うのは一年ぶりだった。大学時代と変わらない口ぶりで、だけど大学時代のときよりずっと大人びて見えた。彼女はここで、彼女の生き方に合う、まっすぐで尊い仕事を見つけて過ごしている。その責任感が、大人びた彼女の背負っているものなのだと思う。

「どうせだからベタに川平湾でも行こう」とどちらともなく言って、
彼女の車で川平湾に向かった。雨だった。そしてわたしは、東京にいたときには知らなかった彼女の一面を見る。
「ごめん。鳥の声がした、ちょっと待ってて」
車を端に寄せて、おもむろに取り出した双眼鏡を片手に森の中へ消えていこうとするのだ。待て待て。慌てて追いかけるわたしに「ハブに気をつけて〜」と朗らかに声をかける彼女の背中はすでに遠い。
わたしは自分の装いがかなり場違いなことにその時気づいた。サンダルだったし、ワンピースだった。追いかけるのを諦めるしかなかった。

「東京を出て石垣に住むようになってから着る服も変わったよ」
車に戻ってきてから友人はそう言った。
「なんだか楽になった。東京って疲れるんだよ、やっぱ。仕事行くにも満員電車に乗るのは避けられないし、遊ぶ場所も多いし、オシャレでいないといけない気がするし。東京じゃ、シロハラクイナいないし」
「シロハラクイナ?」
「道によくいる、お腹が白い鳥。でも車が近づいたりするとすぐに逃げるからなかなか写真に収めるの難しいんだよね。遭遇率は高いよ」

なるほど。同じ景色を見ているつもりでも、見つける鳥の数、虫の数、植物の数がわたしと彼女とではまったく違っていた。

友人の言う「東京風の格好」をしてしまったわたし

曇りの川平湾でしばらく過ごしたあと、友人はもう一箇所連れて行ってくれた。
「ここで降りて」
と言われて降りた先には鬱蒼とした森しかなく、「え?本当に、ここに入るの?」としか思えない入り口に彼女は進んでいく。
滑らないように恐る恐るその後を追いかけると。

すごくわかりづらい入り口になっている荒川の滝

滝だ。
滝がある。
すげえ。と思った。
岩場を歩いて、水の中に足を浸した。冷たくて気持ちが良くて、両足を浸した。
雨が降ってきて湿った匂いがしたけれど、周りの木々が雨水から守ってくれていた。静かだった。静かな中に、ごうごうと滝の落ちる音がした。
東京にいたら今ごろまだ、駅の端っこで泣いてたかもしれないのに、石垣に来てしまったら、ワンピースをたくしあげて冷たい水に足を浸して、滝に向かってすげえと叫んでいる。

帰りの車の中で、友人が言った。
「雨上がりだといつもと違う生態系が見られるから、雨がすき」

ずっと晴れてるときと、雨が降ったあとでは、違うのか。
てらりと濡れた八重山ヤシの群生地の横を車はゆっくり通り過ぎていく。

悲しみにくれたあとで見える景色は、元気なときには見えないものなのだろうか。
そんな問いが浮かんで、もしもそうなら、少しでもその変化を慈しんで眺めることができる自分でありたいと思った。

また更新します。

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