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脳について考える

日本人は「過去の経歴」「現在何をやっているか」を尋ね、海外の方は「これから何をするか、したいと考えてるか」に関心があるという記事を目にした。

これぞ国民性の違い…とことん未来思考なんだなぁ。もちろん個人差も大きいだろうけれど。

過去は変えようもない事実であり、個人の歴史である。日本人は歴史や制度、文化や礼儀を重んじる思想が古くから根付いているからだろうか。

私は過去に執着するタイプである。というより、思い出したくなくても脳にべったり貼り付いて剥がれない記憶が多いのである。もっと軽やかに生きられないものか…

しかし嘆いても仕方ない。そういう人間なのだと開き直る事で結構ラクになってきたのもまた事実。

だからといって未来を考えていない訳でもない。慎重に計画を立てる事もあれば、大胆に行動する事もあり、我ながら一貫性はない。今できる事をやる、その積み重ねこそが未来をつくる、というのも理解し行動に移しているつもりだ。

自分の心が動くまま生きるという事はシンプルであり、解放感がある。過去の経験から何を感じ、どうしたいと思ったかを基に自分に正直に選択していく。

そういう事にやっと気付けた事で今後生きていくのが楽しみになってきた。今まで随分と物事を固く捉えていたし、自ら複雑にしていっていたようにも思える。万事クリアという訳ではないし、これからも数々の困難やつきまとう不安、反芻する過去はセットだろうけれど、怪我を負った分だけ自分なりの武器も得たと思う。

それは誰にも奪われる事がない自分の頭の中にインプットされた知識や経験。

迷った時はその引き出しを開けるし、足りなければ新しくその都度考え、それでも間に合わなければ信頼できる人に相談するだろう。そういう術を身に付けてきた。そこは揺るがない自信に繋がっている。

失敗を何よりも恐れていた私は病気になってレールを外れた気持ちになった。ひどく落ち込んだ事もあったし再起不能だと本気で思っていた時期もあった。

もう健康には戻れない、当たり前だと思っていたものは崩れた…そんな喪失感があった。白黒思考で完璧主義、うまくいっている内は特に問題なく感じていたが崩れると非常に弱かった。

落ちに落ちた先には今まで無視して背けてた自分の本音があった。そこでようやく自分が大切にしたかったものや、こういう状況に弱いだとか、こういう時こう感じて考えるんだなとか、思考の癖や価値観に気付く。それを足掛かりに少しずつ這い上がってきた。

諦めの悪さや負けず嫌いさは、時に自分を苦しめるが、私にとっては大事な機動力である。歳を重ね少しは緩やかな空気穴のようなものも確保した。昔は思考がパンパンになりパンクしていたから。現時点での自分の許容量を出来るだけ把握すること。異変には早めに気付き対処すること。臨機応変に動くこと。

そうやって試行錯誤を繰り返し生きてきた。これからもそうやって生きていく。

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月子
記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。