母は母であって、孫の母にはなれない訳
母は、孫にはお弁当は作れないと言った。
何が驚きだったかって、母は私へは18才を過ぎてもお弁当を作ってくれていた。
いや、大学を卒業した22才から改めて入り直した看護学校での3年間、毎日お弁当を作ってくれていた。その母が、幼稚園児の小さい小さいお弁当を、孫のためには作れないと、そう言った。
母は料理が苦手だ。
ずーっとそう言いながらも、私たち子ども3人を育てたのは母の手料理だから、母が何度「料理が苦手」だと言っても母の料理は美味しかった。
父は舌が肥えていて、というのも父の母である私の祖母は料理が上手だった。祖父と喫茶店をやっていたくらいだから祖父も上手だった。祖父が作る卵サンドは、よくあるゆで卵をつぶしてマヨネーズと混ぜたものを挟んでいるものではなくて、塩と砂糖を混ぜて焼いた卵焼きのようなものを挟んだもので、知らない人が見たら「これが卵サンド?」と思うような、あの少し変わった卵サンドが本当に美味しかった。その祖父も祖母ももう亡くなってしまっていてあのサンドイッチをもう食べられないのは寂しい。
そのくらい美味しい料理が当たり前に出る環境で育った父は、母の料理を美味しいと言ったことがない。いつもどこか難癖つけて、まぁまぁだな、なんて言いながら食べる。私には全く理解できなかった。だって母の料理は美味しかったから。
でも夫と出会い、実家へ行き、義母の手料理を見て愕然とした。そう、食べる前から思い知らされた。料理が上手な人が作るものはこんなに違うのか、と。盛り付けがめちゃくちゃ美味しそう。どれも華やかで鮮やかでとにかく美味しそう。料理一つ一つが豪華なわけではない。高級な食材を使っているわけでもない。少しの工夫とバランスの良いお皿のチョイスが一つ一つの料理を華やげ、食卓全体をとても盛り上げている。思わず写真を撮った。もちろん許可は得たが、夫や夫の家族は不思議そうな顔をしていた。「普通の食事」をわざわざ写真に撮るのか、って。わざわざ撮るくらい私には非日常で、わざわざ写真なんて撮らないくらい義実家ではこれが日常。
味は、言うまでもない。
たしかに1回目、2回目の義実家でのご飯は少し豪華だったかもしれない。でも結婚して、子どもも生まれて、何回も何回も義実家に帰った。毎回豪華だった。なんなら義実家に帰ればあの美味しいご飯が食べられる、と楽しみになるくらい義実家への帰省はわくわくした。ある夏休みに少し長く帰ったお昼時、甘えて作ってもらった「手抜きの冷やし中華」さえ、十分豪華だった。
話は私の実家へ戻る。我が家は早々に子ども3人とも実家を出た。その後、父は早期退職し、長年やると決めていたらしい投資をする生活を初め、ずっと家にいる生活になった。それに耐えられなくなった母は派遣だがフルタイムで週5日、外へ仕事へ行くようになった。そして父と母は相談した上で、料理全般は全て父が賄うことととなった。
そう、母は苦手な料理から解放されたのだ。
初めは信じられなかったが、母は本当に全く料理をしなくなった。父が毎日買い物へ行き献立を考え料理を作る。その様子はなぜか疑問も違和感もなくすぐに受け入れることができたが、反対に「料理をしない母」というのは私にはなかなか受け入れられなかった。
ある時、息子である私の弟が帰省する時、父が母に言ったそうだ。「息子が帰ってくるのだから、たまには手料理を作るのはどうだ」って。母はこう言い返したそうだ。「あなたが作ってもそれは手料理でしょう」って。
父は単身赴任経験もあり、倹約家なので料理もそこそこできる。母とは違うバリエーションの料理を実家で食べれるのはなんとなく新鮮だった。しかし私の中には恋しくなる気持ちもあった。料理をする母の姿、ではなく母の料理が食べたい。弟は帰省して父の料理だけを食べても何も言っていなかったが、私は「母の味」を欲していた。
実家を出て、結婚をして、あの母が作ってくれた料理はどうやったら再現できるのか、と何度か作り方を聞いたこともある。その通りにやってみるが、どうもなんか違う。やっぱり母の味は母にしか出せないのだな、なんて毎回思う。そのうち自分で再現するのは諦めて、いつしか私には私のレパートリーが増えていって、母が作ってくれた料理のことを考える時間すら減っていった。でも心のどこかに、あの母の料理を食べたいという思いは消えずにあるみたいだった。
冒頭の話に戻る。
私には5才になる長男と、2才の次男、そしてお腹には来年生まれる三男がいる。毎回出産のたびに母を頼り、母はどこへでもかけつけ、床上げ(産後1ヶ月くらい)まで家事や育児を手伝ってくれていた。今回も私から言うより先に、「で、私はいつ派遣の仕事やめれば出産間に合う?」とぶっきらぼうだが愛のある申し出があった。
前回までと違うのは、諸事情により今回初めて里帰り出産、というか妊娠7ヶ月くらいからしばらく実家に居候させてもらい、そのまま出産し、産後も数ヶ月実家にいるということだ。そのため長男は実家から幼稚園に通い、年明け、そして学年末までその幼稚園に在籍することにしている。そうやって、実家から通えるところとして決めた幼稚園は、週明けの1日だけ給食であとの日は全部お弁当持参が基本となっている。しかし昨今の共働き増加や家庭からの要望もあり、希望者は事前に申し込めば1食400円で給食を頼むこともできる。
ここまではっきりとは書かなかったが、私も料理は苦手である。優しい夫はなんでも美味しいよと言って食べるし、子どもたちもなんでもよく食べる。が、まぁそれでも苦手なものは苦手だ。母になり、母の気持ちがよくわかる。
そんな私に週に4日のお弁当作り、幼稚園を決める時ここが1番ネックだった。それでも給食という選択肢があるなら大丈夫か、と思って決めた。通い始めるまでは毎週どれだけ給食を頼もうかなんて何度も何度も考えたが、節約中の我が家。私は友達とランチに行くのさえためらう時もあるのに、幼稚園児の給食が1食400円。まぁやってみてから決めるか、と週4日で作り始めると意外と作れるもんだった。幼稚園児のお弁当箱は小さい。ご飯、ミニトマト、ミートボール、前日のおかずの残り、ブロッコリー。これくらいであっという間に埋まってしまう。なんならもう一品入れようかと思ってたけど、今日はもうこれでいっかという日もあるくらい小さい。料理が苦手な私でも、ご飯を炊くのを忘れなければ寝ぼけても作れるくらい小さい。小さくてすぐ作れる。結局まだ1回も給食を頼んだことはない。
そのお弁当作りを、産後の1ヶ月だけは母に頼もうと思っていた。もう3回目の妊娠。産後はどうなるか、だいたい予測はつく。頼れることは頼って寝れる時に寝ないと、とんでもないことになる。いや、頼れるだけ頼って寝れるだけ寝ても毎回大変、とにかく大変。体も心もボロボロで終わりのない育児を続けていくのが目に見えている。しかも今回は初めて実家で過ごす。どうなることやら、と不安も大きい。
母とは何度も出産や産後の話になる。そして具体的な話もどんどん進んでいく。そんな中、お弁当の話になった。そして母は言った。「私はお弁当は作れないから、何食べるのかもわからないし、給食頼んでね、お願いね」と。
最初、私はわからなかった。こんなにも協力的な母が、あの小さなお弁当は作れないからと言うのはなんでだろう、と。しかしお願いしている手前それ以上無理は言えず、その場では「あ、うん、小さいからすぐ作れるんだけど、そうだね、給食にした方がいいね」と答えた。
それからしばらく考えた。
考えて、考えて、実家での母の様子を考えて、それでやっとわかった。
母は私の母だから、孫の面倒を見てくれているんだ、って。
それまで私はこんなことに気付いていなかったなんて、愚かだなとすら思った。
娘である私のことを1番に考えてくれているから、いつでも頼っていいよって言ってくれているんだ、って。
それは決して孫が可愛いからとか孫のことが大好きだからってわけではなくて、私の母として、子どもを思う気持ちが1番にあるから、その子どもである孫も可愛く思えているんだろうなって。
母はいつまでも母なんだな。母が子を思う気持ちってずっとずーっと続いてるんだな、って。私は母にこんなにも思われ、いつまでも大切にされているんだな、って。
いろいろ考えながらちょっと泣いた。
孫にはお弁当は作れないと言った母の言葉は、裏を返せば私への愛が溢れる言葉だった。
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