学力差を肯定的に捉えた宿題のあり方
学校現場ではよく、「宿題だせないと将来困るよ」「信頼失うよ」「成績下がるよ」と一種の脅しのように宿題を出させる風潮があります。
そして、その宿題をやってきたどうかは成績の関心意欲態度の項目で評価され、成績の一部になって生徒の手元に返ってきます。
学び方が一種類しか選択できなかった時代はいいと思いますが、今はYoutubeなどでも様々な塾の講師や大学生などが問題を解説してくれています。
また、本屋に行けばたくさんの参考書が置いてあり、自分のレベルにあった参考書を選ぶことだってできます。
つまり、現代の学び方は自由で特定のテキストを課題として、また宿題として出すのはナンセンスです。
自ら主体的に学ぶことを目指しておきながら、結局は管理型の教育のまま。
現代は多種多様な学び方が存在するのにそれを選択できないのはおかしい。
もちろん、学力的に下の児童生徒を救うために決められたテキストを指定することはいいですが、学力の上の児童生徒を伸ばすことはできないのではないでしょうか。
学力差を肯定的に捉えてもいいのではないでしょうか。
本来なら自主的な学びに向かうことが目的なはず。
であれば、自分の学びたいものが載っていて自分のレベルにあったテキストを選び、それをやり切ることを徹底した方がいいのでは無いでしょうか。
家庭で選択性にすれば家庭での教育に関する話題にもなりますし、自分で選択したテキストをやり切れた達成感も味わうことができます。
少なくとも、宿題をどのようにやったのかどうかはテストなどでみれば定着が一目瞭然ですよね。
授業中のレポートなどを作成しても勉強したかどうかの差は歴然です。
また、宿題を出すことが目的になってしまい、答えをただ作業的に写すだけになっている児童生徒もいるのでは無いでしょうか。
多分、 ”量が多すぎて自分に合っていない” や ”レベルが高すぎてわからない” などといった理由で写している児童生徒も一定数いるのではないでしょうか。
だからこそ、来年度は宿題を自分の勤務校から廃止します。