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ブームの宮本常一?(『宮本常一 旅する民俗学者』を手にして)

「共創ワークショップ」という勉強会を、2020年6月から本格的に開始しました。6月は最初なので、キックオフミーティングでわたしが「共創」についての基本的な考え方を示しました。

実質最初の会の7月は、「宮本常一と歩く学問」というタイトルでネタ出しをさせていただきます。ということで、とりあえず、14年前にホームページに書いた記事をシェアさせていただきます。

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2006年3月30日 作成

ブームの宮本常一?(『宮本常一 旅する民俗学者』を手にして)

久しぶりに日本に帰国したときのこと(3月8日~13日)、わずか1週間弱(6日間)の滞在であったが、仕事や自宅への里帰りを別にした楽しみの一つが書店めぐりである。やはり地方だと大きな本屋が限られるので、今回は東京で会議があったのちの土曜日に東京の八重洲ブックセンターを、田舎の愛知県では名古屋に行って三省堂を覗いてみた。

ところで、マニラには日本の本を売る本屋がない。2万人とか5万人の日本人がマニラに住むといわれているのに、まったく本屋がないというのは、本当に不思議な話だ。その理由としてもしかしたら、東京からマニラまで3時間半から4時間半で着いてしまうという、その近さのゆえかもしれない。

ともあれ、わたしは本の背を読むというか、本は直接手にとってぱらぱら読んでから実際に購入するかを検討する。とてもタイトルだけでは実際に購入しようとは思えない。結構、わたしがほしいような専門書は、万とまではいわないが数千円(の後半)する本が多い。その分、本当に自分の求めるものなのか実物にあたって吟味しなくてはならない。また、大きな本屋の本棚をみるだけで、いろいろ世の中の動きというか学界の動向を知ることもできるのも楽しみである。

さて今回、日本で購入した本の中で掘り出し物だと思ったのは、名古屋で買った佐野眞一責任編集 『宮本常一 旅する民俗学者』 河出書房新社 2005である。「KAWADE道の手帖」というムックの1冊である。宮本学ブームの立役者の一人である編集者の佐野氏によると、今年2006年は宮本の生誕100年にあたるそうである。東京でも名古屋の本屋でも、確かに民俗学のコーナーに「宮本常一」コーナーがあって、関連本も著作集も続々出版されているようである。その中でも、この本は表紙の写真がよかった。また、単行本・著作集未収録コレクションや、彼を知る人のエッセイ、評論、ブックガイドなど非常に盛り沢山の内容で、宮本ワールドへの導入として最適の本ではないかと思う。

碩学へのアプローチの仕方として、その周辺から入る、つまり関連本や解説本から入る方法と、直接その著作に取り組むという二つの方法があると思う。学生時代は、ついつい時間の制限もあり、また単純に手抜きから安直に解説本を読んでレポートをまとめたりすることもあったのだが、やはり今思うと、これはと思う著者については一冊一冊こつこつ読み重ねていくほうがよいと思う。わたしにとっての、そのような対象は、すでにGiant Stepsで触れているが、宮本常一、前嶋信次、家島彦一、鶴見良行、鎌田慧らである。何とか死ぬまでに読みたいと思うのが、前嶋先生の『アラビアンナイト』であったり、家島先生のイブンバッツータの『大旅行記』であったり、宮本先生の『著作集』(現在、46巻プラス別巻2)であったりする。蛇足だが、これは音楽でも同じで、わたしは気に入ったアーティストのアルバムは、結果としてほとんど全部そろえてしまう。たとえば、ビートルズであったり、サザンオールスターズ、槙原敬之、スピッツ、ミスターチルドレンであったりする。これはまた別の話であるが。

さて、著作集が沢山ある著者を攻略する?にあたっては、やはりその著作の書かれた時代背景をきちんと押さえておく必要がある。というのは、やはり人は変らないようで考えが変っていることもあるので、その著作の書かれた順序と、彼をとりまく世の中の空気というものも押さえておかないと、とんでもない勘違いというか浅い読み方になってしまうことがある。たぶんそれを避けるためにも関連本というものの意味があるのであろう。また、彼を取り巻く周囲の人の肉声というのも、非常に興味深い。別のところでも紹介したが、たとえば鶴見良行については、アジア太平洋資料センター編『鶴見良行の国境の越え方』 アジア太平洋資料センター 1999は、非常に面白かった。

ということで、この宮本関連本も楽しんで読んでいる。まだ読んでいる途中であるが、気になる一節があったので、以下に紹介したい。

「前略・・・。

町づくりという未体系化なままの運動のようなもの、それに参加している人間には宮本常一の弟子と言わずとも、深く影響された者が非常に多い。・・・中略・・・。その誰もが急がず、早急な結論を出そうとしない。プランを立てる、つまり計画するという近代的な方法とは別な、先ず人々に聞いてみよう、現実を見続けてみようという、一見何の成果も得られるような姿勢をとりたがる。しかし、その歯がゆいような姿勢が急激な変化、進歩という名の闇雲な変化の速力にブレーキをかける役割を果す事がある。

民俗学は哲学と同じに、現代では何かを作る側に荷担する役割、機能を果すことはほとんど皆無に等しい。・・・ 後略。」 (太字は柴田)

石山修武 「座りながら立ち尽し 巨大な減速装置」 上掲書15ページ。

このような文章をみると思わず、ニンマリとしてしまう。わたしも開発コンサルタントの端くれとして、特に地域開発を志している。確かにタスクとしては巨大なインフラ整備だけではなく(それも扱っているのだが)、もっと草の根と目される生計向上などのプロジェクトなど具体的な施策を立案し、かつ実施しなければならない。

ただし草の根といわれるプロジェクトも結局、資本主義のパラダイムに則った近代化のためのものであることには留意しなくてはならない。断言はできないが、市民社会とかNGOの活動が開発援助の世界でODAに対するオルタネーティブとしていろいろな場でうんぬんされているが、所詮、‘資本主義社会’である現在世界を無視したプロジェクトはありえないし、あったとしてもそれは空想でしかないと思う。

フィリピンにきて、より現場に近づいて思うのは、本当にこの資本主義化、近代的なスキームの導入が本当にフィリピンの田舎の人たちに適合しているのかという根本的な疑問や気づきが、歩けば歩くほどでてくる。

とはいえ、わたしは学者でも批評家でもでもない。実務家(であるコンサルタント)として、わたしに何ができるのか。

日本の民俗学から世界に足を踏み出した『開発民俗学』の歩みとその問いかけは、まさに始まったばかりである。

蛇足ながら:

この本のサブタイトルに「旅する民俗学者」とあるが、「旅する」というところが形容矛盾ではないかと思った。民俗学をやるような‘泥臭い’人間が、‘旅’をしなくてどうするねん!と思わず突っ込みたくなったことも率直にふれておく。

(この項、了)


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