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せんだいメディアテーク アンチ論,2024
本稿は、せんだいメディアテークファンによるせんだいメディアテーク・アンチ論である。
兼ねてより私は、仙台都心部に位置しているせんだいメディアテークが公共のミュージアムとして、バリアフリーな芸術・文化の複合施設として、仙台のノード(結節点)ではなくシンボル(表象・象徴)、むしろ権威のメディア化している事象に違和を感じていた。
しかし、長らくマクロ目線で論じる点が欠如していた。これまでただの主観に過ぎなかったのだ。
ところが、先日同施設で開催する第74回新現美術協会展を拝見したことが、せんだいメディアテークが掲げる3つのフィロソフィー(理念)に軸足を置きつつ、ノードではなくシンボルに見えてしまう事象について掘り下げていく契機となった。
前提、背景など
新現美術協会について
新現美術協会は1949年(昭和24年)、戦後まもなくして設立された。それから1975年手前までは丸光デパート(旧・さくら野百貨店のルーツ)のホールを中心に講演会や展覧会開催を続け、それ以降は宮城県美術館県民ギャラリーや仙台市民ギャラリーへ拠点を移す。なお余談となるが、丸光デパートは仙台空襲直後、バラック小屋からスタートした。1923年の関東大震災後、バラック小屋がそこかしこにあった復興期に「バラック装飾舎」が活躍したシーンとも似たような空気を感じる。
そして、2000年8月にせんだいメディアテークが開館し、現在に至るまでせんだいメディアテークのギャラリーにてほぼ例年展覧会を開催するようになる。2024年12月に開催された第74回新現美術協会展が本稿執筆時点で直近の展覧会だ。
第74回新現美術協会展
会期:2024年12月20日(金)から2024年12月25日(水)まで
10:00-19:00(最終日は16:00まで)
会場:せんだいメディアテーク 5fギャラリーabc
入場料:300円、大学生以下無料
主催:新現美術協会
概要:美術教育に携わっている会員や本県を活動拠点としながら国内外で活躍している会員による現代美術作品の展示
せんだいメディアテークとその理念について
せんだいメディアテークは仙台市の定禅寺通に位置する公共複合施設である。新市民ギャラリー・青葉区図書館・映像メディアセンター・視聴覚障害者のための情報提供施設の機能を併せ持つ芸術文化施設として1994年頃から方針が検討され始め、市民との対話や丁寧な施設設計のプロセスを経て2001年に開館した。
せんだいメディアテークが掲げるフィロソフィー(理念)は以下の3項目から成り立つ。
1.せんだいメディアテークは最先端のサービス(精神)を提供する。
メディアテークにとっての「最先端」とは、「提供する側」と「提供される側」といった立場を常に反転させていきながら、メディアテークを成長させていこうとする精神です。
2.せんだいメディアテークは端末(ターミナル)ではなく節点(ノード)である。
メディアテークは、チャンスという枝や葉を伸ばすノードです。人々は、おだやかに異質なものに触れ、メディアテークの外へ、そして多様なものへ、その好奇心と向上心を広げていきます。
3.せんだいメディアテークはあらゆる障壁(バリア)から自由である。
メディアテークは、身体的な障壁、性差、年齢差、言語障壁などさまざまな社会的な隔たりを、「使う」という立場から調整する「場」です。
せんだいメディアテークの出発点に「建築」から立ち返る
さて、少々飛躍気味ではあるが、せんだいメディアテークの設計当初のエピソードについても触れておきたい。
当該施設の設計・デザインは建築家・伊東豊雄氏によるものだ。以下は、2020年2月に収録されたインタビュー内の伊東氏の言葉の一部引用である。
ぼくは、構造体が消えて、それこそ、スーパーフラットを目指してコンビニのような建築をと思っていました。《せんだい》にかんしても、「文化のコンビニエンス・ストア」をつくるのだといいながらつくりつづけてきたけれども、ヒエラルキーがある程度なくなってきたり、均質化も従来の自分の建築よりはある程度達成されていると思う。と、同時に、物の世界が自分でも予想もしないような強さであらわになってきている。それは否定すべき対象なのか、それとも、それはそれでいいのだと開き直るべきなのかをずっと考えてきて、今ぼくは開き直ろうと思っているわけです(笑)。
せんだいメディアテークでは開館当初から年代属性関係なく、自主事業として社会で起きた事象や東北での知的探究心とクリエイションを広げていくためのプロジェクトや委員会の運営を続けてきた施設であり、2011年の東日本大震災以降は「3がつ11にちをわすれないためにセンター (通称・わすれン!)」という市民参加型のプラットフォームも開設され、2024年現在も運営・活動が継続されている。
先ほど引用した特集(インタビュー)では施設設計・デザインを担った伊東氏自身も公共建築ではホスト/ゲスト的な構造、つまりプログラムの裏表が明瞭なため本当の意味でフラットに、裏表をなくすことはできない懸念も示しているが[1] 、冒頭で引用した理念のひとつ”せんだいメディアテークは最先端のサービス(精神)を提供する〜メディアテークにとっての「最先端」とは、「提供する側」と「提供される側」といった立場を常に反転させていきながら、メディアテークを成長させていこうとする精神“はそういった観点においてはアウトラインをなぞり続けていると感じ取れる。
「文化のコンビニ」ではなく「揺るぎない百科事典」
公益性の担保がかえって強いバリアを形成していること
開館から24年経過しようとしている現在、社会と結節していない文化など今やどこにもない。身体の所在地を問わずに、テクノロジー発展から受信/発信できる体験の手段が豊かになったためだ。2007年にニコニコ動画のサービスが開始されると素人でも映像作品を広く発信できるようになる潮流が生まれたし、2008年にはiphone(第二世代)が発売された。自身の言葉を自由に記録・集約・発信し、社会と接点を持ち課題に向き合い続けることができる。
再度、伊東氏の発言(2000年当時)の発言をもう一度引用する。2000年代に”物の世界“は私たちの想像を遥かに超え、強度を増した。
と、同時に、物の世界が自分でも予想もしないような強さであらわになってきている。それは否定すべき対象なのか、それとも、それはそれでいいのだと開き直るべきなのかをずっと考えてきて、今ぼくは開き直ろうと思っているわけです(笑)。
仙台都心部で近年見られるアートワークや仙台の芸術・文化発信媒体で表象的に扱われる人・モノ・コトを手繰っていくと大抵せんだいメディアテークに紐付く。結局は宮城並びに仙台の芸術・文化の参照元=メディアテークであり、ノードではなく大きなシンボルとなっている。
施設運営の指定管理者が2007年から公益財団法人仙台市市民文化事業団 となっている点もその要素のひとつとして列挙したい。[2] 仙台市市民文化事業団は公的助成金での活動支援や地域で芸術・文化に携わる人や文化の発信等を事業とする。公益財団法人が運営する公共施設やメディアは社会的価値の裏付けとなり、宮城・仙台の芸術文化の表象は文化事業団が管理するメディアテークと、公営の宮城県美術館(青葉山)に集約される構造となる。せんだいメディアテーク開館前、特に1977年以降に見られたパブリックアート・ブーム(いわゆる仙台では「彫刻のあるまちづくり事業」「仙台方式」)においては宮城県美術館についても同様のことがいえたのではないだろうか。
参考:仙台市市民文化事業団によるポータルサイト
つまり、その裏を返せば仙台市市民文化事業団に認められないアーティストや団体は地域の象徴になりえない。この地域でコンテンポラリーを本気でやっていきたいと思った時、せんだいメディアテークのコミュニティの輪に入るか、仙台市市民文化事業団の助成金で採択されなくてはならない。公共に資するものが何かを明言するとき「社会と接続しているかどうか」では判断できない時代に足を突っ込んでいる上、その入り口は不明瞭であり、表現の問題以前に社会に阿るテクニックに依存するもので、ひとくちにバリアフリーな場所とはいえないのではないだろうか。
ダイレクトに「権威的」なプログラムとどう向き合っていくのか
冒頭で述べた新現美術協会の展覧会(第74回新現美術協会展)を拝見した際に見られた傾向としてはフォーマリズムの崇拝とメディウムを用いた「奥行き」である。スーパーフラット表現が食傷気味であることは数年前からそこかしこで提起されてきたこともあり、あの手この手でフラット(二次元性・平面性)を破壊する気概が見受けられたのはテクノロジーの発展途上かつ短いスパンであらゆる表現を手探ってきた時代をラディカルに生き抜いてきたベテラン世代の衰えぬ気概と勢いの風を感じられた。
その反面、「新」を謳う割にはスーパー・リアリズム風の絵画が「会員賞」であったり、推薦作家の枠が少なかったり、結局はラディカルに生き抜いてきた会員世代による権威のコミュニティ定例会となっているようにも受け取れた。これはあくまで一例であるが、「提供する側」「提供される側」について場所のレンタルではなくソフト面から覗いてみると、その立場の反転がクローズドの方面に作用しているのではないだろうか。その力学の先にせんだいメディアテークの成長はあるのか疑問を覚えた。
※もちろん、活動を中止せよという提言ではないことをご留意いただきたい。
ファンは一周回ってアンチでもある
以上の点から、開館(設計構想)当初の「文化のコンビニ」的なフラットさや「節点(ノード)/バリアをなくす」という理念の側面は既に抜け落ちてきていると判断した。ノードではなく権威的なシンボルに見えてしまうこと、現代において何を以て社会との接続とするのか。今後も動向を見守りつつ、疑念を持ち続けていきたい。
以上、高校3年生から10年以上、メディアテークに通い続けている一般市民より。
参考文献
[1]美術手帖vol.787 【特集】21世紀建築、スーパーフラット ,美術出版社,2000
[2]武蔵野美術大学 造形学部通信教育課程 芸術文化学科 文化支援コース 上村武男 ,せんだいメディアテークはどのように成功しなかったか 設立の経緯から現在の活動までを検証する,2007→リンク
・第74回新現美術協会展 パンフレットならびに出品目録,新現美術協会,2024
・佐藤知久、甲斐賢治、北野央,コミュニティ・アーカイブをつくろう!,晶文社,2018