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『流星コーリング』読書感想文

最近ひしひしと感じているのですが、本の感想を共有できる機会って正直全然ありませんよね。

この世には、たくさんの本の種類があり、テーマがあり、ジャンルがあり、筆者がいます。

本から始まった樹形図に終わりはないように思えます。

だから、自分の周りの人が自分と同じタイミングで同じ本を熱意を持って読むことなんて青天の霹靂です。

だから、タイミングは違えど、感想の共有をするために読書感想文を、夏休みの小学生さながら書いてみることにします。

夏休みの小学生と決定的に違うのはそこに『主体性』があることですね。

御託は置いといて、『流星コーリング』の感想を既に読み終えた人に向けて、書いていきます。


僕はこの本のオチに感動した。

点と点が繋がる感じ。

同時にとてつもない切なさとりょうの詩織に対する思いの深さに胸がやられた。

涼介が鼻から詩織を人口流星の観測を誘わなかったり、5人ではなく『4人で集まりたかった』と話していたりの違和感がきれいに解消された。

まさか、詩織は事故ですでに亡くなっているとは。

まさか、物語の中盤からの詩織はりょうの想像上の実体のない詩織だったとは。

りょうの『運命とは小さな偶然の重なりである』という考えが、詩織の事故に対して、『自分のせい』という考えを生み出してしまっていることが本当につらい。

だけど、最後の想像上の詩織の言葉がりょうを慰めたのは感動した。

りょうの『シーソーのようにどっちかに大きく振り切ってしまえばもう片方に力が加わってもシーソーは動かない。

心が悲しみに溢れているなら、小さい幸せがあったところで悲しみには敵わない。だから、心は悲しみから動かない。』という考え方に対して詩織が

『シーソーではなくブランコみたいなものだ。深く後ろに下がれば、大きく前に振れる。大きな悲しみに向き合えたら、大きな幸せにも向き合える。』という考え方をりょうにおしえる。

美しい考え方だなと感じた。

想像上の詩織のセリフだからりょうはその考え方に気づいてはいたんだろうな。

だけれど、悲しみに向き合うことは、詩織の死を認めることだからつらくてできなかったんだろうな。

今回のLOOPで周りのみんなも悲しみを抱えていてそれを乗り越えた、または乗り越えようとしていたことをしったことがきっかけでこの考え方にむきあえたんだろうな。

タイトルの流星コーリングが『流星からお送りします』という意味で、生きていたころの詩織の『死んだら星になって見守るよ!』という旨のセリフと繋がったのは鳥肌ものだった。切なさもあるけれど

『蛍と月の真ん中で』もすごくいい話だったけれど、自然と絡んだ人間の成長の物語が個人的にすきだな。

こころから、いい気持ちで、感動できる。

自然ってすごいな。

成長ってすごいな。

人の心を大きく動かしてくれる。

内容を忘れた頃にもう一度読みたいな。

流星コーリングの続きの話が漫画であるらしいからネットで買ってみた!

楽しみやな

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