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お気に入りの財布を洗濯してしまった

「洗濯に財布入っちゃってる..」
妻の声を聞いてしばらくは現実逃避をしていた。

ちょうど1年半前になる去年の四月に趣味のレザークラフトで作った財布。

普段見返すこともない写真。完成した時はパリッとしていたな。

一度、過保護にしすぎて艶が引けてしまって、そこから最近やっと良い感じにエイジングしはじめてきたな。と愛着が湧いてきたタイミングで洗濯機に入れてしまった。

冒頭の写真が洗濯してしまった後に対面した時のもの。
あれ、意外と大丈夫だったのかな?と洗ってしまったあとのインプレッション。
ジーンズのポケットにピッタリのサイズだったためか形が大きく変わってしまったり壊れてしまったりしている箇所はなかった。

手に取るとやはり表面はズタズタだった。
油分は抜け、艶は引け、布地を強く擦り付けたような痕がたくさんついてしまっていた。
繊細な自分にとってはとても心苦しく許し難い状態になってしまっていた。

洗ってしまう直前の写真はない。最近の写真はなかった。当たり前のように毎日手にしていた。

財布を洗ってしまったのは初めて。最近何をするにも調子が出ないのだがこの一件で改めて痛烈にそう感じさせられた。


今日は湯船に浸かってモノについて考えていた。
個人的に良く考えるテーマではある。
自分は気に入ったものを長く使いたい性格であると思う。

車はできるだけ長く乗りたいし、服や靴などのファッションアイテム、家具や手仕事の道具、アコースティックギターも愛着を持って同じものを使い続けたいと思って選んできた。文房具は長く愛用している万年筆がある。あげればキリがない。

とにかく何かモノを迎えいれる時に別れのことは考えたくない性なのだ。みんなそうだとは思う。
新しいモノを取っ替え引っ替えしたいとは思わない。新しいものに興味を持ちにくいというのもある。現実問題今までそういうことができる身分ではなかったというのもある。

iPhoneも購入してある程度長い期間使っていたモデルは愛着があったように思う。今は2年間の利用後に返却するプランを選んでいる。途端にiPhoneに愛着などはなくなってしまった。そういう付き合い方が正解なのかもしれないとも思う。

逆にいうと長く付き合うつもりのないモノにはとことんこだわりがもてない。

ある程度身の回りのものに愛着があって大事にするのって楽しいと思う。けれどそういうモノってどんどん減っていくんだろうなと考えることが多い。

自分の場合は壊れてしまうことや消耗することを過度に恐れてしまうということが起きることもあり、それはそれで楽しめていないな。と思うモノ付き合いもある。

デジタルカメラも難しいと思う。以前は性能面で買い替えの必要が生じることを心配したりしたが、今はバッテリーが入手困難になることや何より本体の故障など、何かしらの心配をする。同じモノを無理に長く使おうとするとそういうことになる。

ちょうど良い付き合い方ができる器用さが自分にはない。

結論、そんなに執着してはいけないし、そんなに先のことを考えても仕方ないと今は思ってる。というか思わないといけないなと。

話がだいぶそれてしまったが、今日のように急に洗濯機に財布を入れてしまったりすることもある。
この前はカメラを落としてしまった。その話はまた別のnoteにするかもしれないししないかもしれない。

財布は、しばらく使おうと思う。
すぐにドライしながらオイルも入れた。少し処置してあげれば壊れているところもないので使用上問題はない。
何より手当てをしている時に財布が、まだ生かして欲しい。と細い声で訴えかけているように感じたから。

手作りの財布。ちょうど良い材料が今は手元にないし、作り直す余力も今の自分にはなさそうだからというのもあるが、長く付き合うつもりで作ったんだと思い返したら、ころっと新しいのを用意するのではなく、もう少し使ってあげたいと思えた。

この財布のズタズタな痕を味と思える日に出会えると良いのだが。

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