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与えられたおもちゃに飽きたなら
世の中はエンタメに溢れています。
スマホ、ゲーム、映画、音楽、youtube、スポーツ、お酒、居酒屋、バー、カラオケ、、、
あなたを楽しませてくれるものがたくさん。
忙しいときの息抜きには癒しであり、自分1人でも楽しめるのである意味最高の友達です。
でもコロナにより自由な時間が増えてきたら、無限に湧いてくるかのようなこのエンタメでもなんだか少し飽きてきませんか?
世の中から与えられるおもちゃに飽きたなら作ってみませんか?
何も高いクオリティーのものを作る必要はありません。
絵でも写真でも映像でも、音楽でも書道でも記事でも、料理でも日記でも自分の知識や思い出をまとめた作業でも構いません。
受け身の状態を抜け、何らかをクリエイトするのです。
始めは何だってうまくいかず、楽しくないかもしれません。
作って出来上がったものに何の意味のないかもしれません。
でも「自分なり」に考えて、工夫してものを作ったとき、クオリティーちは別にあなたの中に何かしらの感情が生まれます。
それは達成感や自画自賛のときもあれば、自分の非力さや凡庸さを痛感するようなときもあります。
どんなにスキルのあるクリエイターだって、実はみんなこのプロセスを通っています。
でも「その感覚」に少しでも触れさえすれば、今まで受け身として、お客として楽しみ消費していたエンタメが、ちょっぴり「クリエイター」の視線で捉えられるようになります。
すると例え同じ映画や音楽でもちょっと違った風に見れます。また違う角度で楽しめます。
相手の立場を少しでも経験し、想像し、その上で敬意を表すことが僕は「リスペクト」かなと思います。
日本語でいうと「尊敬」ですが、すごい人に対して憧れて敬まうようなニュアンスのこの「尊敬」と英語の「リスペクト」はちょっと違うかなと思ってます。
すごい物を作る必要はありません。
自分で「作る」ということが行為こそが重要であり貴重なのです。
『美しいものを見て 美しいと言える その心が美しい』
あいだみつをさんの言葉です。
あなたの心次第で、同じ物でも景色でも、美しくもなれば味気なくもなります。
与えられたものに飽きたら、あなたも作ってみませんか?
何かを始めるという行為が種になり、いつか美しい花を咲かせるかもしれません。
そしてそれは誰にとっても美しい必要はないのです。
今日はそんな話でした^^