#2020年秋の美術・芸術!コンテスト-中間のご報告-アートの定義とは?を考えてみた
#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト-中間のご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、ご紹介とコメントとしての評を入れさせていただき掲載させて頂きます。まずは、ご応募ありがとうございます。また、これから、応募ご希望の方も、個々の多様な大切ですね、、ご自分の視点で、気軽にご応募くださいませ。
・アートの定義とは?を考えてみた
Chiharuさま 応募ありがとうございます。
(評)
アートと見る側の視点(極)について、よくまとめられている。
それは、率直に申し上げるとデザインという表象エリアでの実践から、出てくる言葉だと感じる。
最初に、筆者のChiharuさまは、Owned Mediaとしてのブログ、そして、このnoteでもそうだが、「自分らしく、美しく生きること」のテーマでの個性の尊重と展開に視点がある方だ。それは、ある意味、デザイン学的(ウィリアム・モリス的)な視点だろう。
項目の順に・・
1)作品を観ること
美術館での個々の作品を観ている時間が長い、その理由として、筆者は、作品からの「オーラに触れ、魂が揺さぶられるような感覚に陥り、まさに全身で"体感"する」と記述している。
そして「誰が創ったのかということよりも、"何が創られているのか"に興味がある。」と言う。
それは、表象に対する実践経験が、あってこそ、感性を刺激し、その部分を語れるからだ。
アートの作者の視点(極)とご自身の視点(極)の同時性、感性の一致した時に生まれる感覚であり言葉だろう。
例えばだ、尾形光琳の紅白梅図屏風(二曲一双 紙本金地着色 江戸時代-18世紀前半)から、概ね300年近く経って、、現在、描いていて、同様な画風となり、ある筆致の時点で、ふと、このラインはこうして(筆使い)描いていると感じるの時に、はじめて、光琳の「極」に、少し触れることが出来る。(ここで、私的な事例を挙げて恐縮ですが)
そして、「すごい人だからすごいものが生まれる、という発想がない」とつづく。
そうなのだ、例えば、著名な画家ほど、失敗作が多いのだ、そして、それ(作品)を作者は、残存させない。
油彩では、従来からコストの面で、その絵の上に描くことはスタンダードだ、しかしだ、今は、そこを解析できるデバイスが出来てしまった・・・・それは、アウトサイダー・アートについても言えるだろう、「作品」に作者の生い立ちと言う「閾線」は必要のない事だ。筆者の視点のように、それは、作品が語っているからだ。
2)アートとは?
「アートの定義はあやふやで、こうだと確立されているものではないらしい。だから各自が思うように定めれば良いのだ」
表象の解釈(狭義での)のアートのエリアとなる、この表象文化のロジックのエリアは、広義にはスポーツまで入る訳だ。多くの有識者が、アートの定義(解釈)や、美術史を論じるが・・・それは、極論を申し上げると個の解釈(極)で良いのだろう。(そのほとんどの有識者には、現場での実践経験が少ない、、美術の教科書にしてもそうだ、そこでの解答はあるが、社会では答えのある問題は皆無だ。)
この感性の同一性については、写真家のロバート・フランクや多くの作家たちも、その作品で解説している。
そして、その美術史は後から語られる。
それは、その時々に、作者の視点(極)が、多様化すぎて、そして、作家の内面も激震している訳だ、そして、その寂寞(じゃくまく)の先の結果として、作品が生まれるからだ。
そこへの筆者は、簡潔に踏み込んでいる、それは、やはり実践から学んだ事だと感じるだ。
3)Art Life
創造美の世界に於ける、感性の同一性、そのあたりの視点を端的に分かりやすく、まとめてある項目だ。
「アートは肌で感じ、心で感じ、理屈では到底説明のつかない気持ちの部分に訴えかけられるものだ」それは、魂で訴えるもの。想像すること。自らの気持ちを反映するもの。と結ぶ。
表象(アート)に於ける作者の視点(極)と、観る側の視点(極)に於ける感性の同一性のシーンを実に分かりやすく描かれている。それは、実践を積んで、生まれた自らの視点であり言葉であろう。そして、それは、教科書にはない、社会での実践からのアートの本質を突いているのだ。
(追記)筆者のChiharu氏の、Owned Mediaであるブログは"Senhare Art Life”は、日常に於けるそのあたりの視点が、気負いなく楽しく拝読、出来るサイトです。ありがとうございました。
(今後のお知らせ)現時点での、次回以降のコンテストのご紹介予定は、ほぼ、時系列にご紹介、そして、コメント(評)を入れさせていただきます。
・セザンヌの本はセザンヌ・カードで! Le yusée さま
・【目印を見つけるノート】179. ラファエロとマルガリータのラブストーリィ おがたさわ さま
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このコンテスト #2020年秋の美術・芸術 は、コンテストの形式として、3名の入選はございますが、ある意味、ドクメンタ(カッセル/ドイツ-一人のディレクターによるキュレーション)の展示会ように賞はございません。
そして、主催者は、企画構成に才知ある秋氏のデレクションと、小生(artoday)のコメント(評)で構成されております。
それは、「そもそも美術エッセイは発表の場すらない」という視点や、小生(artoday)の、もっと、身近に気軽に、美術・芸術の裾野の広がりを願っての事でもございます。
どうぞ、気軽に日常のことで、思いつかれた事を応募なさって下さいませ。