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フォトレタッチという方法論:ソビエトの写真から消えた人々(イメージと文化)

フォトレタッチという方法論:ソビエトの写真から消えた人々

フォトレタッチという方法論:ソビエトの写真から消えた人々(スターリンのプロパガンダを考える-イメージと文化)
ソビエト社会主義共和国連邦の独裁者と言われる、ヨシフ・スターリン( Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин,1878 - 1953/ソビエト連邦の政治家)の側近にも、政治的なライバルの多くは、彼らは、命を奪われただけでなく、地上からそのすべての痕跡を消し去られた。

ソビエトの写真から消えた人々-3人

過去には、この同志たちは固く団結している

過去には、この同志たちは固く団結しているように写真からは見える。  1926年の撮影のものは、スターリンらのソ連共産党の幹部が写っている。 それは、左からニコライ・アンティポフ、セルゲイ・キーロフ、ニコライ・シュヴェルニク。彼らは一人ずつ、スターリンを除く全員が写真から姿を消していった。

もう1枚の例は、存在の痕跡までもが..

もう1枚の例は、ニコライ・エジョフはスターリンの側近だったが、1939年逮捕され、1940年に処刑された。
そして、記録された写真からも、存在の痕跡までもが消されている。

ニコライ・エジョフはスターリンの側近だったが、1939年逮捕され、1940年に処刑された

ロシアンライカ

(註)そのショットを撮ったカメラは、工業都市キエフで作られた、ライカ(ドイツ)を模したモデル(ロシアンライカ)が、当初は、中心核となり構成されていった。大戦後、キエフ(カメラの名称)の一眼レフなど、高級機には、その栄誉ある地名が当てがわれていた。
それらは、戦後、ドイツからの技術の移行でもあるが、製造過程における品質管理は、良好とは言えないものだった。             

ADOBE Photoshop 

ADOBE Photoshop E(英語版) は、実際の発売が1990年だが、その背景には、フォトレタッチ(写真加工)による加工方法へのロジックの長い歴史がある。

日本でも、明治の頃から、撮影時に、つぶってしまった目を開けるなどの技術を面相筆でネガフィルムに加工できて、当時は一人前の写真師だった、そんな時代が長く続いた。                         

そして、Computerの発生と普及でフォトレタッチと言う方法論は定着した。時間の経緯で、Computerの処理速度のアップにより、動画にも適用できるようになった。(Adobe After Effects+AVID..)            

現在は、即時にフェイクニュースも簡単に出来る時代だ・・・

次回は、(イメージと文化)「1989年の東欧革命から30年以上経ち」、そして、「レーニン像は打ち倒され、どこへ消えた・・」に続きます。

#表象文化論 #ソビエト連邦 #学際 #キエフ #イメージと文化

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