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ヴェネツィア・ビエンナーレ(Venice Biennale)は公平な展示会だ

ヴェネツィア・ビエンナーレ(Biennale di Venezia, Venice Biennale)とは何か。
1895年以降、ヴェネツィア(イタリア)で開催されている現代アートの国際美術展覧会。
(NPO)ヴェネツィア・ビエンナーレ財団(イタリア政府後援)が主催し、1年おきの奇数年に、6月頃-11月頃まで開催されている。

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Fig. (c)Venice Biennale

そのヴェネツィア・ビエンナーレには美術部門(Esposizione internazionale d'arte di Venezia)だけでなく、映画部門・建築部門・音楽部門・演劇部門・舞踊部門が存在する。また、ヴェネツィア国際映画祭と国際演劇祭(毎年開催)、美術と同じ会場で偶数年に開催されている国際建築展覧会・ヴェネツィア建築ビエンナーレ、フェニーチェ劇場で行われる国際音楽祭(ヴェネツィア国際現代音楽祭)、国際舞踊祭(コンテンポラリー・ダンス国際フェスティヴァル)もヴェネツィア・ビエンナーレの一部だ。

この展覧会は、万国博覧会や近代オリンピックのように国が出展単位となっており、参加各国はヴェネツィア市内のメイン会場となる公園やその周囲にパビリオンを構えて各国で選ばれたアーティストの展示を競う。
グローバルに、その国の威信をかけて展示を行い賞を得ると言う形態だ。アート界のオリンピックとかワールドカップなどと説明される、このヴェネツィア・ビエンナーレは、それらとは違う。そこには、IOCやFIFA(FIFA World Cup)のような、ある意味グレーな部分がないのだ。それは、誘致/放送権等や、欧州の貴族たちの利権による役員の人選等がないと言う事だ。
その近い存在には、ドクメンタ(documenta/カッセル,ドイツ/5年に1回)やアート・バーゼル(Art Basel/スイス)がある。

どれも、現代アートの中心格を成す展示会だ、そして、その公平さはある意味ゆるがない。
ただ、アートの価値をどう見るか、と言う疑問点も残る、しかしだ、そのバックグラウンドである、現代の*メディチ家(よく言えば、財力での支援)からの資金提供がなけれが、例えば、強大なアート・プロジェクトの金銭面は、どう対処すれば良いか?複合的に入り組んだ問題があるのだ。
そして、その詳細は、*アートレヴュー誌(ArtReview-London 1948-)からの「Power100」(ArtReview-London)の時系列に見ることができる。
ただ、近年、リベラルなテーマや、政治色のある作品も選出されている、それでも、バックグラウンド(財力での支援)は機能しているのだ。このヴェネツィア・ビエンナーレでは、その公平と言う視点は不可避な事なのだ。

「いくら優れたアート作品でも、人の目に触れなければ、ない事と同じになってしまうだろう。」-デュシャン

(註)
*現代の「メディチ家」(Casa de' Medici):ルネッサンス期にイタリア・ファレンツェに於いて、その財力で芸術家を支援した。
*アートレヴュー誌(ArtReview-London 1948-)からの「Power100」:それは、現代アートに影響力のもつ人々のランキングだ。
その中には、現代のメディチ家たち(よく言えば、財力での支援)や、現代ミュージアム(MoMA/TATE/ポンピドゥセンター等)のスタッフは、当然のように入るのだ。その賞を取る、そして、収蔵される、それは、作家にも、ミュージアムにも、閲覧者にも、そのアート作品が、お墨付きとなるのだろう・・

(追記)
まずは、コンテストの応募作品の評を優先してご紹介して参ります。
それらのコンテストの応募作品をお読みになる際の参考事項として、今、世界の現代アートを牽引んしている重要な位置付けの展示会のご紹介をしております。
現代のアートに於ける局面を端的に、前回のドクメンタ(カッセル、ドイツ)、そして、もう少し、ヴェネツィア・ビエンナーレ(Venice Biennale)と多文化主義という視点を掘り下げてから、アート・バーゼル(スイス)についても、その内容と、、結論の出ない話かも知れないですが、この後、どこかの時点で記述したいと存じます。その間もコンテストの応募次第で、このコラムはランダムになります。


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