ヴェネツィア・ビエンナーレ(Venice Biennale)と多文化主義
ヴェネツィア・ビエンナーレと多文化主義を考察する。
ヴェネツィア・ビエンナーレ:1895年以降、ヴェネツィア(イタリア)で開催されている現代アートの国際美術展覧会。
(NPO)ヴェネツィア・ビエンナーレ財団(イタリア政府後援)が主催し、1年おきの奇数年に、6月頃-11月頃まで開催されている。
ここで、考えなければならない問題は、多々あるかも知れない。
多文化主義とARTの多様化と、その価値とは?と言うことだろう。
その価値、そこが資本主義社会の問題の焦点かも知れない。国際的なアートマーケットの存在は大きいと言うことだろう。
それは、従来型の評論家の存在を不要にしたと言っても過言では無いかも知れない。
日本的に言えば、今、現在(2020年)は、もう、テレビの時代ではないのだが、歌番組で、選ばれた歌手のうまい下手は、だれが聞いてもわかるだろう、しかしだ、ヴェネツィア・ビエンナーレの作品群は、どうだろう? 率直にいって誰もわかる筈も無いのだ。
そこで、視点を向けたい先にあるものは、現代の「*メディチ家」と言うバックグラウンドだ。そのバックグラウンド(財力での支援)で、ヴェネツィア・ビエンナーレは、成立すると言うことだ。具体的には、*アートレヴュー誌(ArtReview-London 1948-)からの「Power100」(ArtReview-London)に見ることができる。そこへ、名門と言われる現代ミュージアムが追従する。
ビエンナーレの迷走と近年言われる事象が起きたことがある。それは、1960年代からだ。
国家の文化の競争や美術市場での値上がりを狙った駆け引きの舞台であるビエンナーレに、大国主義や商業主義の祭典であると、多方面から抗議の声が上がったのだ。そして、その間、ドイツのドクメンタが躍進した事も確かだった。
それ以降、ヴェネツィア・ビエンナーレも、国家重視から、アーティスト(作家という極)を重視への方向へ模索している。当時は、ビエンナーレのあり方に反発する東側諸国がボイコット等々・・・
そして、2001年あたりから、中華人民共和国を中心にアジア圏、東欧の作家を大規模に紹介した。新しく、このアートシーンに登場した国の「知られざる現代美術作品」を紹介したことは大きな反響を呼んだ。しかし、2000年代以降は、彼らが世界各地の美術展や美術市場を席巻した。どうだろう?、結局、同じことではないだろうか?
しかしだ、このヴェネツィア・ビエンナーレの文化に成した功績は、現実的な意味で大きいだろう。
現代アートには、多様な考え方がある、そして、結論というものは無いのだ。ただ、広義でそれを見る時、「イメージと文化」というものは、時間軸と共に、そのパラダイムはシフトしていく、その現実的な表象が、そして視覚に入り込んでくる。
「表象に於ける感性の同一性」と言う基本事項も展示され、観客という極の視覚に入り込んではじめての事だからだ。
(註)
*現代の「メディチ家」(Casa de' Medici):ルネッサンス期にイタリア・ファレンツェに於いて、その財力で芸術家を支援した。
*アートレヴュー誌(ArtReview-London 1948-)からの「Power100」:それは、現代アートに影響力のもつ人々のランキングだ。
その中には、現代のメディチ家たち(よく言えば、財力での支援)や、現代ミュージアム(MoMA/TATE/ポンピドゥセンター等)のスタッフは、当然のように入るのだ。その賞を取る、そして、収蔵される、それは、作家にも、ミュージアムにも、閲覧者にも、そのアート作品が、お墨付きとなるのだろう・・
(追記)コラムとして、現代のアートに於ける、局面をドクメンタ(カッセル、ドイツ)、そして、このヴェネツィア・ビエンナーレ(Venice Biennale)と記述してきた、アート・バーゼル(スイス)についても、その内容と、、結論の出ない話かも知れないが、この後、どこかの時点で記述したいと存じます。