(今日の一枚)沢田教一とベトナム戦争 - Vietnam War/World Press Photo of the Year-1965
ベトナム戦争 - Vietnam War 世界報道写真大賞1965(World Press Photo of the Year-1965)
Vietnam War(安全への逃避):母親と子供たちは、米国の爆撃から逃れるために、南ベトナムのビンディンにあるロクトゥオンの川を歩いていた・・
Photo by Kyōichi Sawada-UPI通信(沢田教一,1936- 1970/日本国-フォトジャーナリスト)
沢田教一:1966年ピューリッツァー賞写真部門受賞、そして、World Press Photo of the Year 1965 and 1966(第1歩兵師団の米兵が死んだベトコンを引きずっているフォト)、そして、アメリカ海外記者クラブ賞と精力的に活躍した。
(註)ベトコン:ベトナム南部の民族解放戦線
残念なことは、沢田教一氏は、1970年10月28日に取材中に亡くなっている、34歳だった。
沢田教一氏とUPIプノンペン支部長は、取材から、プノンペンに戻った時、暗殺された。それは、計画的に処刑スタイルで殺害されたと言うことだ。
訴える写真だが、その撮影の裏側には、過大な犠牲がある・・・・・
(cc)沢田教一 - 1965
沢田教一は、青森県立青森高校卒業後、写真店でアルバイトをして、その後、ロバート・キャパ、ブレッソンに影響されて、上京、UPI通信、産経新聞写真部に採用される。志は高く持ちたい。最初は、中古のライカM2、そして、M3 M4を報道に使う時代だった。
県立青森高校の同級には、寺山修司がいたと言う、才能ある人物は夭折なんだろう・・
そこだけ言えば、私は長生きしそうだが・・
(註) Press Photo of the Year(1955- )は、オランダ(アムステルダム)の財団であるワールドプレスフォトが主催するワールドプレスフォトアワード(World Press Photo Award)が開催している。
フォトジャーナリズムで権威のある賞だ。それは、写真を単独で観るという視点ではなく、ジャーナリズム的に非常に重要な問題として、提起している。イメージと文化に極を置いているという事だろう。
1枚の写真が伝えるものは、あまりに大きい・・・
(追記)このコラムのテーマである「イメージと文化」を考える時、この「Vietnam War(安全への逃避)」は、避けては通れない報道写真と感じます。ただ、沢田氏のWorld Press Photo of the Year-1966のフォトグラフは、今の時点では外しました。また、World Press Photo of the Yearもすべてを、テーマに沿って、パブリック・ドメインの写真は、ランダムに触れたいのですが、死の写真の多さから削除いたします。訴えたいがために、命がけでの取材だけに残念ですが・・
以下のコラムは、ご参考までに。
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