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ポスト・アブストラクトへ:女性作家エヴァ・ヘス

エヴァ・ヘス (or エヴァ・ヘッセン/Eva Hesse, 1936-1970/US-絵画・彫刻)

現代アートの女性作家。1960年代後半のニューヨークで、ミニマリズム(Minimalism/最小限主義)、また、ポスト・ミニマリズムの傾向をもつ立体作品で脚光を浴びていた。そして、抽象表現主義的(Abstract Expressionism/NY-50-60s/いわゆるアクション・ペインティング)な作品から、それを超えた(ポスト)作品を制作していた。

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Eva Hesse

略歴 - Eva Hesse
1936年、ドイツ・ハンブルクにユダヤ人の両親(父は弁護士)に生まれる。2歳の時には、オランダの孤児院(カトリック)に一時的に姉と共に預けられている。1939年には、最後の難民船で家族は、アメリカ(ニューヨーク)に、ナチス・ドイツから亡命している。ただ、母親は、そのニューヨークに馴染めず、自ら亡くなっている。逆境の多い人生の道だ。

1940年代半ば頃、ニューヨークの路上でエヴァ・ヘス(右)と彼女の妹のヘレン。写真提供:ウィリアム・ヘッセ。

1940年代半ば頃、ニューヨークでエヴァ・ヘスの姉妹

1952-53年、プラット・インスティテュート(Pratt Institute of Design)中退、また、クーパー・ユニオン ((The Cooper Union for the Advancement of Science and Art)で学び、1957-59年、イェール大学(Yale University)の絵画彫刻スクールでヨゼフ・アルバースに絵画を学んでいる。(BFA/美術-学士)

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師であるヨゼフ・アルバースとエヴァ・ヘス

1964-1965年、夫のトム・ドイル(彫刻家)と共に、ドイツで制作する。(絵画から、彫刻へ)
有機的・繊細で柔らかい形態を特徴とする抽象彫刻が生み出された時期だ。
1965年、ニューヨークに戻り、トム・ドイルと離婚する。
それ以降、立体作品を意欲的に制作した、ガラス繊維強化プラスチック(Fiber Reinforced Plastics)などを素材にしたミニマリズム作品であり、それらは、有機的な印象を受けるのだ。そこには、紐状の形態、ラテックス (latex/乳濁液-保存性が困難)等、多様な立体などを発表した。
そのニューヨークでは、彫刻家のソル・ルウィットには、過大な影響を受けている。
1970年、没(脳腫瘍)、34歳だった。

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Eva Hesse

病床で構想された遺作は、包帯で巻かれた大きなミミズ(よく言われる表現だ)のような立体群であった・・・
それをも含めて、「アートを未だ存在しないところへも拡張する」その理念はグレートだ。
しかし、あまりに夭折だ。
テート・モダンは、2002-2003年までのエヴァ・ヘスの作品の回顧展を行っている。

(追記)ただ、ルーシー・リパード(批評家)は、エヴァ・ヘスのこの部分には、興味を示さなかった・・それは、エヴァ・ヘスが、フェミニズムアート運動には、参加していないこともあったのかも知れないと言われる。
また、エヴァ・ヘスの腫瘍は、アートワークで多様した化合物である樹脂への曝露によって引き起こされたという推測は、なんの証明もされていないにも関わらず、もう、何十年も続いている。エヴァ・ヘスを惜しむ声かも知れないが・・
この短いコラムで、34年間の波乱の人生を、そして、その周辺までは、推測を入れても書ける筈もないが、グレートな人生であり、作品だ・・・

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以下参考までに


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