アタオコのど派手な棺(アウトサイダーアート)
・アタオコのど派手な棺(ひつぎ)-アウトサイダーアート/アールブリュット
アタオコ(Ataa Oko Add,1919-2012/ガーナ- 棺の建築造形家とデザイン・画家)アウトサイダー・アーティスト
パーソナライズ化された棺のデザインや、個性ある絵画等、アール・ブリュットのアーティストだ。
ここで感じるのは、ガーナの葬式の驚くべき原色の世界とAtaaOkoのデザインだ。
原色が美しく見事なまでのパーソナライズされた棺だ、おそらく、ここに入るのは、生涯の最期に一度だろう、そう考えるとなおさら、アタオコの偉業と、例えば、ヒンズー社会にあるような多文化が混じり込んだような世界観のようなものを感じるのだ。
アタオコの棺(cc)
by Ataa Oko Add(cc)
略歴 - Ataa Oko Add
1919年頃、海岸沿いの町La(グレーター・アクラ州/ガーナ)生まれ。
13歳から漁師、その後、ココア農園で働いていた。
1930年代から、アクラ(ガーナの首都)で、パランキン(駕籠)の棺を製作する先駆者となり、1945年頃から、比喩的な棺を製作した、例えば、派手なワニ状棺を作成している。
また、1951年から、ワークショップ(Atelier Kane Kwei)も開催している。
Ataa Oko Add-1960 (cc)
そのアタオコの人生の最後の10年間、彼は絵画を描き始めた。その間も、奇抜な棺を製作ししている。
2002年、レギュラ・チュミ(Regula Tschumi,スイスの民俗学者)は、アタオコのグラフィック(絵画)の評価は高かった。
その絵画(グラフィック作品)の制作は、なんと84歳で始めたのだ。
レギュラ・チュミは、パーソナライズされた棺に関する情報を探していた。そして、棺の建築造形家に、これらの以前のパーソナライズされた棺を描くように頼みこんだ。
そして、レギュラ・チュミの要望に応えて、アタオコのグラフィック作品が誕生したという次第だ。
その最期の10年間、常に民族学者の支援を受けて、アタオコは2012年に亡くなるまでグラフィック作品を続けていた。
このアーティスト・アタオコによって約2,500の図面が作成され、多くの図面は古い比喩的な棺やパランキン(駕籠)を表しているが、そこには、アーティスト・アタオコの夢や、ガーナの宗教儀式のロジックがある。
アタオコは、奇妙な棺の建築家、そして、ガーナのファンタジー棺と賞賛された。
・2006年と2010年、Ataa Okoの棺とドローイングは、ベルン美術館「SixFeet Under」に展示され、その後、2010/2011、また、2017/2018アールブリュット・コレクション(ローザンヌ)で展示されている。
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