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インドの写真家-Manju Ray女史の最小限の教育機関-Streetから

Manju Ray女史(写真家)の撮影した、最小限の教育機関-Street

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このStreetは、(c) Manju Ray氏の撮影した、最小限の教育機関です。

Manju Rayサイト ←リンクしています。(Manju Ray/インドの女性アーティスト/写真家・画家)

この写真から感じるところは、教育機関は、社会の練習の場であることであり、誰しもに重要な学びの場だ。
最下位の学生が、そこから、抜け出しても、誰かが、、最下位にならなければならない。
重要なのは、そこでの評価ではなく、どう実社会で生きていくか、、その判断の練習をすることだろう。・・結果は即時にはでないが、それは逆境の時に、こそのものだ・・
「なんでもいいのだ、生きていれば、人は、産まれる時や場所を選ぶ事は出来ないからだ。」
その普通が、誰しもが、大切だし、また、相当の大変さ、なのだから。

(追記)
本来の教育のあり方
日本に於ける、小学校・中学校・高等学校教育の問題には、必ず解答はある。
しかし、社会の問題には、解答のある問題は1つもない。
壮絶な勢いでのパラダイムシフトする、21世紀型スキルに於いて、
自分で考え・まとめる能力は必須だろう。2020年代の現在形で、新しい職域が、次から次に登場する。
(このところのわたくしも、そうですが、リモートで出来るものは、そうすると言うことも、そうでしょうね)
そして、2020年代は、その1つ前のスパンである2010年代とは、あまりに異なるという事だ。
その2020年代は、例えば、時間の順序や流れる速度も立地条件で異なる事はすでに証明され、もう、0か1か、デジタルという概念(Being Digital)、そして、GAFAと言う言葉も過去形となり・・、
しかし、今は違う、量子の世界は、0でもあり、1でもある状態が現れる世界だ。2020年代に必須である、「FUTURES LITERACY」(未来のリテラシー)に視点をあわせて考えてみたい項目だ。

ここで、即、ループ量子重力理論を持ち出すことでもなく、この進化形は、「イメージと文化」と言う視点で考えるべきかも知れない。
そして、それは、最終的には、自分の言葉での解決かも知れない。「現実は目に映る姿とは異なる」からだ。

(ポイント)-カルロ・ロヴェッリ
人間は、時間的視点の中で生きざるをえない。
それは、人という存在は、時間的視点、作られたものだからだ。
マインドは、時間の中で生じる現象だ。
ただ、我々は、人為的な先入観で、捉えていることが多い。

子供の頃に学ぶ、本来あるべき教育は、高度な物は、ほぼ必要はなく、大切なことは、自らの言葉(視点)かも知れない。

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