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私が変わる冒険 -映画『エム・バタフライ』の美しさ


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
変わった、ビザールな作品、という前情報で体験してみると、実際の作品は非常にまっとうだったということは結構あったりします。
 
グロテスクな映画で有名なデヴィッド・クローネンバーグ監督の1993年の映画『エム・バタフライ』は、何ともけったいなストーリーであると同時に、そのこけおどしのない端正な作りが心に残る秀作です。





フランスの外交官ルネ・ガリマールは、北京の大使館に赴任してきます。ある夜会で、『蝶々夫人』を見事に演じる京劇の女優、ソン・リリンに出会います。
 
知性と美しさと気位の高さを兼ね備えたソンに、ルネは惹かれていきます。やがて、二人は恋仲になっていくのですが、ソンには、ルネには言えない秘密がありました。。。


『エム・バタフライ』




ソンを演じるのは、『ラスト・エンペラー』で愛新覚羅溥儀を演じたジョン・ローン。元々京劇を演じていたこともあり、劇中の京劇シーンの美しさは素晴らしい。

そんなわけで、秘密というか、オチについては、言わずもがなと思います。


『エム・バタフライ』
ソン・リリン(ジョン・ローン)


それにしても、二人の間に「子供ができる」からくりは、まあ分かるとして、この状況にルネが「気付かなかった」ことが、そんなことある? というか。しかも、これが実際の事件を基にしているのが、信じられないところではあります。
 
まあ現実は、単に同性愛関係であったことを暴露されたくないから、そのように言ったようにも感じますが、そこに思い切り想像力を羽ばたかせた作品(原作はブロードウェイの戯曲)と言えるでしょう。


実際の事件でのモデルになった2人の
裁判の風景


クローネンバーグの作品は、一言でいうと「変容」の映画です。
 
主人公が、外部の状況の影響を受け、文字通り肉体的にグロテスクに変容していく。その過程を捉え、ドラマも変化していきます。
 
実験によって主人公が蠅と融合して蠅男になる『ザ・フライ』や、カーセックスをしたまま事故に遭うことでしかエクスタシーを感じられなくなった人々が人体を改造する『クラッシュ』は、その典型でしょう。

 

『ザ・フライ』


その構造は『ヴィデオ・ドローム』の猟奇ヴィデオや、『イグジステンズ』のVRゲームといった、飛び道具的なグロテスクな装置があると分かりやすいです。
 
もっとシンプルな場合でも『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』でダイナーの店主が、堅気とは思えない身のこなしで強盗を射殺したことで、彼の過去と因縁が蘇って、彼自身が変容する、というように、非常に一貫しています。


『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』




それは、『エム・バタフライ』でも同じことです。
 
エキゾチックな他者であるソンにより、ルネはどんどん精力的に変容して出世し、外交政策にも積極的にかかわります。蠅との融合によって、恋人への性的な満足を手に入れたと実感する『ザ・フライ』の主人公のように。
 
そして、それは『ザ・フライ』と同様の結果を招く。

『エム・バタフライ』のラストは、その驚異的な変容の終着点であり、つまりは自分を変えてくれたものとの「融合」でもあります。醜悪であり大変美しいシーンでもあり、ルネを演じたジェレミー・アイアンズの一世一代の演技です。


『エム・バタフライ』




この作品の魅力の一つは、そのジェレミー・アイアンズの存在感でしょう。


『エム・バタフライ』
ルネ(ジェレミー・アイアンズ)

 
ジェントルでハンサムな容貌で、堅物さと神経質さを持ちつつ、中年男の色気がある。
 
非常に知性的で、嫌味にならない程度の傲慢さも備えていますが、出世するような威厳はあまりない。優男風の美しい瞳には、どこかある種の純粋さもあります。それがこの役柄にはまっています。
 
アイアンズは『エム・バタフライ』以外にも、下院議員が息子の恋人との情事に溺れる『ダメージ』や、『ロリータ』で少女に執着して破滅するハンバート・ハンバート等、まさに「恋によって堕ちていく知的エリート」という役どころの時に、輝きを見せる気がします。
 

『ダメージ』チラシ


人間は、何かに夢中になって堕ちていく時にこそ、最も強烈な輝きを放つ、というのをこれ程体現している存在は珍しい。私の偏愛する俳優の一人です。


2013年の『リスボンに誘われて』でも
美しく年老いつつ、とある女性によって
人生を変える役どころの
ジェレミー・アイアンズ




『エム・バタフライ』は、エキゾチカ、オリエンタリズムについて洞察する映画でもあります。作中でソン自身が『蝶々夫人』について、こんな会話をします。
 


【ソン】
お気に入りの夢物語じゃなくて? 
従順な東洋の女と残酷な白人の男
 
【ルネ】
そうは思わない
 
【ソン】
こう考えてみて。チアリーダーの金髪娘が、日本の小男のビジネスマンに恋をする。
結婚後、男は妻を残し帰国して3年。
ケネディ家の求婚さえ断り、
彼女は夫を待つ。
やがて夫の再婚を知った彼女は自殺する。
 
救いようもなくバカな女だと思うでしょう?
 
でも、東洋の娘が西洋の男のために死ぬと、美しいわけね。
 
【ルネ】
そうだ、分かるけど。。。
 
【ソン】
美しいのは物語でなくて音楽なのよ


まさにここでは、オリエンタリズムと権力と性差の傾斜によって、物語の力学が生まれていることが示唆されます。
 
そして『エム・バタフライ』は、その性差を何重にもひっくり返すことによって、異様な熱気と臭気を含んだ、どこにも存在しないエキゾチカを生み出しています。
 
それは、タイトルクレジットの不思議なCGによるペラペラのオリエンタリズムとも言えるし、クイアな世界観とも言える。受け止め方が多様に開かれた秀作だと言えるでしょう。


2017年にブロードウェイで再演された
『エム・バタフライ』




クローネンバーグは、グロテスク映像のカルト的な作家と思われがちですが、実はかなりまっとうなドラマを作る実力派だと思っています。
 
その中でも、『エム・バタフライ』や『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』、フロイトとユングを巡る緊迫したドラマ『危険なメソッド』のような、加工された映像のない、正統派なドラマ作品が、個人的には好きです。
 

『危険なメソッド』


そこには、変容していく主人公という軸があり、その変容が、今観ている世界の風景をも変え、どこにもない場所へと観客を導く。
 
まさにエキゾチックな冒険映画であり、その中でこそ、苦痛や快楽、世界の醜さ、美しさを味わうことができる。
 
そんな冒険を受け止められる二人の優れた俳優によって開かれた『エム・バタフライ』は、クローネンバーグの映画の中でも美しい作品の一つです。是非一度体験していただければと思います。
 



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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