【創作】ジミ・ヘンドリックスの「火の鳥」【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
光一が店のドアを開けると、物凄い大きな音の塊が耳に飛び込んできた。
店の奥では、ノアが紅茶を啜りながら、蓄音機の上に回るレコードを眺めている。
「とんでもない音楽だな。これは新入荷したもの?」
「そうだよ。マルスという業者が送ってきてくれたものでね。君によろしく、って書いてあったんだけど、君に紹介したことがあったかな?」
「ああ、あの白い竜のような姿の」
「そうなの? 実は私は会ったことがないんだ。本やレコードを送ってくれるだけでね」
光一は、「クレオパトラの恋文」を、マルスが持ってきたときのことを思い出した。突然ノアが消えて慌てたが、ノアとは「別のチューニング」だから同居できないと言ったその言葉を説明するのは難しい。
君がちょっと出かけている間に偶然会った、と話したものの、耳を聾する大音響により、殆ど声が聞こえない。ノアが笑って、レコードから針を話すと音は止み、静寂が訪れた。光一は尋ねる。
「それは何の曲? メロディはあったけど、エレキギターの演奏? なのかな」
「そう、これはロックミュージシャン、ジミ・ヘンドリックスの、いわゆるブートレッグ、つまり正式なものでない海賊盤だ。彼がストラヴィンスキーの『火の鳥』を演奏したもの」
「『火の鳥』って、クラシック音楽だよね」
「そう、ジミはブルース系のアーティストだから、ちょっと珍しい音源だね。勿論表の世界では流通していない」
ジミ・ヘンドリックスは、1942年生まれ。バックミュージシャンとして数々のセッションをこなしたのち、1966年にトリオバンド「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成。アルバム『アーユー・エクスペリエンスト?』でデビュー。
エレキギターの可能性を極限まで追求した多彩な音色のハードな演奏や、歯でギターを弾いたり、ギターに火を付けたりといったパフォーマンスで、人気を博した。1970年に、睡眠中の嘔吐による窒息で、27歳で死去している。
「この、ぐわんぐわんいうギターは、彼の特徴なんだろうね」
「うん、後で彼の名作『エレクトリック・レディランド』を聞かせてあげるよ。丁度同じ時期のセッションとされている。エフェクターの多彩かつ破壊的な響きが美しい作品だ。
で、『火の鳥』は、ロックグループ「イエス」が、コンサートの前奏に使ったりして、ロック的にカバーされる場合もあるクラシックの名曲。
でも、ロック音楽において、プログレ・ロックという、シンフォニックな音楽を志向するグループがクラシック系をカバーすることはあっても、こんな原曲が壊れてしまったかのような、変わったハードなカバーはなかなかない。
1910年にストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽で、興行師ディアギレフが率いる「バレエ・リュス」のための音楽。色彩感豊かな響きが特徴だね」
ノアは、再びレコードをかけた。今度は少し音量を下げたので、先程より音の輪郭が分かるようになった。エレキギターの音色が、ある時は澄んで、ある時は濁ってノイズをたてながら、のたうち回るように、変化していく。その隙間から、美しいメロディがこぼれていく。これが、原曲のメロディなのだろうかと思った。
「なぜ、彼はこれをカバーしようと思ったんだろう。うまく言えないけど、すごくぎくしゃくして無理している演奏にも思える」
「それがね、このブートレッグのクレジットにヒントがあるように思える。というのも、このセッションのプロデューサーが、クインシー・ジョーンズだったと書いてあるんだ。
1980年代に、マイケル・ジャクソンのメガヒット作『スリラー』をプロデュースして、自身でもディスコ調の『愛のコリーダ』がヒット。『ウィー・アー・ザ・ワールド』もプロデュースした人だね」
「ますます遠ざかっているように思えるんだけど」
「ところが、彼は60年代、ジャズやソウル、映画音楽の現場でもプロデューサーとして活躍していた。その関係でジミとも出会ったとここの説明文に書いてある。そして彼はナディア・ブーランジェの弟子でもあった」
「その人は?」
「彼女は1920年代に活躍したフランスの「六人組」の一人。ストラヴィンスキーを受け継いだ、色彩感豊かなオーケストレーションが特徴の作曲家だ。
彼女は教育者としても大変優秀だった。クインシーは実際、ナディアからストラヴィンスキーのスコアを教わって、アレンジを勉強したと言っている。このセッションにはそんな背景があるんじゃないかな」
「なるほど。つまり、ジミのギターを聞いたクインシーが、『火の鳥』をギターで弾けないか、と提案してみた、といったところか」
「そう思う。あの色とりどりのスコアを、君のギターで再現できないか、と。ジミは、パフォーマンスとして、アメリカ国歌『星条旗よ永遠なれ』をエレキギター1本でハードに演奏することもあった。割と何でも対応できたということじゃないかな」
「そう考えると、音楽っていうのは不思議だね。何が影響するか分からない」
「本当にそうだね。一つの曲をとっても、それを創る作曲家、作詞家、アレンジャー、皆にそれぞれの背景の違いがある。いや、一人の人間が音楽を作る場合でも、その人の中には様々な音楽が流れていて、多くの偶然で、それらが混ざって、固有の音楽が生まれる。
それと、この音楽を聴いていて思うのはね、そうした中から、全く別の世界が生まれることだ」
「どういうこと?」
ノアは何も答えずに、蓄音機のボタンを何個か押した。今までとはうって違う、穏やかな旋律が流れ出す。メロディはさっきの『火の鳥』のアレンジと分かった。
その途端、光一の中に、一つの映像が表れた。そこは酒場で、ストラヴィンスキーがいて、ピアノを弾いている。光一は、女性と一緒に踊る。
それは、ノアだった。
光一は、ノアの方を向いた。ノアは悲しげに笑っている。
「君も思い出したのか。この映像を」
「うん。音楽は、ある瞬間、現在と全く違う風景を創り出す。それが真実かは分からないけど、確かに私もその映像を、この音楽から受け取った。
多分、様々な偶然によって、地層に残されたような化石のように、私たちのあの時を思い出させる響きが生まれた。あの時に流れていた音楽が、多くの人を伝って、全く別の時代のミュージシャンの手によって甦り、私たちの中に再び入り込む。
それ以上は思い出せないけど。でも、音楽にはそんな力があるんだ」
「僕も、今はそれ以上思い出せない」
「でも、それでいい。こうしたあったはずの、あり得たかもしれない記憶を集めることが、私たちにとっていつか重要になる」
ノアがそう言うと、蓄音機の音が途切れ、針がすっと上がった。
(続)
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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