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【創作】ドビュッシーのドゥーワップ【幻影堂書店にて】




※これまでの『幻影堂書店にて』


 
 
光一が書店の中でノアと一緒に配送されてきた本を本棚に片付けていると、雨音が強くなったように感じた。
 
すると、ノアは
 
「また新しいものが来たみたいだ」
 
店の奥に引き返すと、ぼろぼろの麻の袋に包まれたレコードを持ってきた。
 
「それは?」
 
「こんなのがあったのか。ドビュッシーが歌ったドゥーワップだって」
 
「歌った? ドビュッシーって、クラシックの作曲家だよね」
 

若い頃のクロード・ドビュッシー


「うん。しかも、ドゥーワップというのは1950年代にアメリカで流行したリズム&ブルースの一種だ。時にはアカペラで主旋律以外をスキャットのコール&レスポンスで盛り上げる、ボーカルコーラスグループの音楽だね。ちなみにドビュッシーは1862年生まれのフランスの作曲家だ」
 
「時空が歪んでいるような」
 
「それも説明がある」
 
ノアは麻袋についた薄い紙を見て、細い声で読み上げる。光一は片付け終えると、デスクの前の椅子に座った。






ドビュッシーは、万国博覧会で見たアフリカの音楽に興味を持っていた。1908年のピアノ曲集『ゴリウォーグのケークウォーク』は、初期のジャズとワーグナーの重たいオペラ『トリスタンとイゾルデ』が交錯する異様な曲である。



 
この曲『ステラマリス』(海の聖母)は、そんな彼が、街角で出会ったアフリカ系移民の幼い兄妹たちが歌っていた曲を聞いて創った曲である。彼らは、楽器なしで声だけで、濃密な音楽を創りあげていた。
 
ドビュッシーが尋ねると、彼らは祖国の儀式の時の歌の唱法で、場末のサーカス小屋から漏れ出てくるオーケストラの音楽を再現することで、このような音楽ができたという。

1950年代のドゥーワップは、「街角のシンフォニー」とも呼ばれた。その先駆けにドビュッシーは衝撃を受け、曲を自分で書き、友人たちで、彼らの音楽を再現しようとした。それが、この録音である。だから、この音楽もある種のドゥーワップと言えないだろうか。





ノアは顔を上げた。
 
「だってさ。勿論、表の世界では流通していない。聴いてみようか」
 
ぱちぱちというノイズのあとに、低いスキャットが交錯し、甘い旋律が流れてきた。それは、どこか懐かしく、優しい旋律だった。不器用な印象の低い声だが、それがかえって、メロディの甘さを引き立てている。
 
外の雨音が強くなってきた。スクラッチノイズと雨音と濃密な旋律、低音の響きが溶け合い、包んでいくように感じられる。
 
光一は、猛烈な眠気に襲われた。何か全身がしびれて動けないような感覚。ああ、これは自分は眠りに入る。と思う間もなく、目を閉じていた。




目を開けると、そこは、真っ白い霧に包まれた場所だった。遠くから先程の歌声がエコーのように響いてくる。
 
光一の目の前には、木の椅子がある。
 
そこに、黒い服を着た男がやってきて座った。それはショパンの小説を読んだ時に見たのと同じ男。未来の服を着た男だった。
 
光一はメーテルランクの書いた童話を読んだときのことを思い出した。この男は、ずっと光一が会えなかった人間ではないか。そう、この店の主人の名前は・・・。
 
「クリス。あなたが、幻影堂書店を創りあげた人ですね」
 
黒服の男は頷くと、低いびろうどのような声で優しく告げた。
 
「はじめましてではないのだけれど、今の君にとってははじめましてだね」
 
「あなたは、何者ですか。なぜあのお店と、ノアは存在するんですか。そして。。。」
 
光一は喉の奥に息が詰まるのを感じながら付け加えた。
 
「僕は何者ですか」




クリスは静かに笑って呟いた。
 
「君が何も覚えていないことは分かった」
 
遠くから響く音楽が、徐々に静まっていく。クリスは宙に手をかざす。
 
「この曲はドゥーワップというジャンルと歴史を纏った曲ではない。でも、ある日偶然の出会いと閃きで、未来の音楽が出来上がる。歴史を超えて未来を見通す。人間の芸術にはそういうものも存在する」
 
「あの本屋も?」
 
「そうかもしれない。時空の狭間、表の歴史にはない、あり得たかもしれない人間の営みが集まる場所。そこには、未来と過去が現在に溶け込んでいる。

いや、幻影堂書店に限らない。私たちが作品を味わう時にはそんなことが起こっているのかもしれない」
 
クリスは微笑むと、立ち上がり、霧の奥に消えていく。
 
「今日は顔を合わせられてよかった。また会おう。違う場所、違う時間で」




光一が目を開けると、そこは幻影堂書店のソファの上だった。
 
「よかった、目を覚まさないかと思った」
 
ノアが上から心配そうに覗き込む。光一は、さっき店で音楽を聴いていた時から時間が繋がっているのに気付いた。
 
そんな経験は初めてだった。いつもは、作品を体験すると、いつの間にか眠りにつくように映像が消え、気付くと、前回とは違う時間の店とノアの元に来ていた。
 
更に、今回は霧の中のクリスの姿をはっきりと覚えていた。それはもしかすると、この店の外の世界、あるいは「表の世界」だろうか。
 
「それ」
 
ノアが指さすと、光一は右手が何かを掴んでいることに気づいた。それは、金色のしおりであり、赤や緑の細工でヒトデの模様が描かれていた。
 
「さっき君が光ったから、大丈夫かなって思ってみたら、それがあった。あのドゥーワップ曲からでてきたものだね」
 
光一は、どこかほっとしたノアの顔を見ながら、店主に会ったことを話そうと思った。だが、そう思った瞬間、また眠気が襲い、今度はいつものように、この時を飛んで店舗に入ってくることから自分はやり直すだろう、ということが朧げに感じられるのだった。







(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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