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終わらない日常を生き続ける-ジャームッシュの映画の魅力
【木曜日は映画の日】
見ていて確かに面白いのだけど、いざその魅力を説明しようとすると意外に困る映画というのがあります。
ジム・ジャームッシュの映画は、私にとってそんな映画の一つであり、改めてユニークな在りようの映画作家に思えます。
ジム・ジャームッシュは、1953年、アメリカオハイオ州生まれ。大学でジャーナリズムや文学を学んだ後、ニューヨーク大学で映画を専攻。同大学の教師だった映画監督ニコラス・レイの講義も受けます。
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脚本も書いて見せていたものの、あまり起伏のないその脚本は『理由なき反抗』で有名なハリウッド黄金期の監督で、メソッドシステムの演出に染まった彼には、評価されなかったとのこと。それでもレイ晩年の奇妙な自主製作映画の製作に参加しています。
卒業制作として佳作『パーマネント・バケーション』を撮ると、レイのドキュメンタリーを撮っていたヴィム・ヴェンダースからフィルムを貰い『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を製作。
ジョン・ル―リーを始めとする無名の俳優だけで創られたこのオフビートな青春映画は、たちまち注目を集め、カンヌ国際映画祭で新人賞を受賞。
その後も、ニューヨークのインディペンデントな立場から3,4年に一本、マイペースに製作を続けています。2005年の『ブロークン・フラワーズ』では、カンヌ国際映画祭でグランプリ(最高賞パルムドールの次席にあたる)を獲っています。
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ジャームッシュの映画と言えば、「オフビート」が代名詞。細かい些細な会話をひたすら続け、そこからおかしみが漏れてくる。処女長編『ストレンジャー・ザン・パラダイス』には、ジャームッシュの特徴が全て詰まっています。
男二人、女一人の、ちょっととげとげしく、時には笑い合いつつも距離がある、微妙に三角関係にならない会話。デートや観光、賭け事等やることなすこと上手くいかず、盛り上がらず、すれ違ったままの関係。そんな彼らを励ますでも嘲るでもなくただ異様に響く、ブルースの怪人、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスのビザールな唸り声のサントラ。
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ウディ・アレンやタランティーノといった台詞の多い監督たちのような派手な分かりやすいドラマを作ることなく、ひたすらにおしゃべりで過ぎていく。それを、絵画的に切り取った美しい構図で奇を衒わずに繋ぎ合わせる。ある意味、アレンやタランティーノより遥かに獰猛で過激な作りの作品です。
そう言えば、昔読んだジャームッシュのインタビューの中にあった「ああそうさ、詩が好きだ。チクショウ、詩が大好きなんだ(笑)」という彼の言葉が印象に残っています。
あの妙に生々しく延々と続く、どこか無時間な感覚の台詞は、ドラマのための会話というより、ある種の口語詩といえるのかもしれません。『パターソン』のバス運転士でアマチュア詩人の主人公は、そうした在りようを体現しているように思えます。
そんなドラマがない無時間な会話を見ていると、奇妙な感慨を覚えることがあります。
この登場人物たちはみんな、成長することも年をとることもなく、ずっとこんな感じの会話をして時を過ごすのではないか。
何と言うか、登場人物がゾンビのような感じです。
ゾンビとは、要は何かの原因で人間とは違う思考を持ち、人間と違うスピードで歩いて話し、人間のように成長せず半生半死のまま、永遠にこの世をふらついている存在でしょう。
ゾンビにとって「終わらない日常」とは比喩ではなく、文字通りの意味です。ジャームッシュの主人公たちも、死ぬこともできずに、永遠に続く日々を、ただ詩のような会話でやり過ごすように見えてきます。
分かりやすいのが傑作『デッドマン』でしょう。
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ジョニー・デップ演じるウィリアム・ブレイク(あの有名な詩人と同姓同名で、重要な伏線になります)は、西部開拓時代の会計士。ふとしたことから恋愛のいざこざに巻き込まれ、銃弾を受けたまま、逃げ続けることになります。
普通なら死んで動かないところを、彼はゾンビのようにふらふらと歩き、偶然もあって、西部劇の砂漠とは程遠い、湿った荒野を彷徨う。『ダウン・バイ・ロー』の脱獄囚たちが通る、殆ど神秘の光景に達したルイジアナの湿地帯の如く、それは異界への旅でありつつ、不思議と彼らが元居た場所への帰還の旅のようにも見えてきます。
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『ブロークン・フラワーズ』で、自分の元カノから会ったことのない息子についての手紙が来ても、どの元恋人か思い出せずに、一人一人会いに行く年老いたドンファンも、そんな感触。
或いは『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』の何百年も生きる吸血鬼たち。そして何より2019年の最新作のタイトルは『デッド・ドント・ダイ(The Dead Don`t Die)』!
「ゾンビは死なない」というタイトルそのままに、ジャームッシュ作品の主人公たちは、人間と違うゾンビ(あるいは亡霊)になっているのに、そのことに気づかずに、泣くことも笑うこともできずにさまよっている、特異な存在に見えます。
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そんなジャームッシュの「ゾンビ性」はどこから来たのか。もしかすると、彼が愛して『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の競走馬の中にタイトルを引用した、小津安二郎の映画からかもしれません。
私は小津の映画は、世界最強のゾンビ映画だと思っています。
みんな現実にはあり得ない一定のトーンとスピードで喋り、微笑み、年老いることなんてないように朗らかに過ごす。あれがゾンビでなくて何でしょうか。妙に幾何学的なあの家屋は、うわべだけ日本っぽい質感で隠した、ゾンビの巣窟以外の何物でもない。
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まあ冗談はさておき、日本語が分からなくても、小津の作品を見れば、他の日本映画とはちょっとズレているというのが、その画面や会話のトーンから感じられると思うのです。そうしたズレが、ジャームッシュの感性と共振しているように思えます。
そういえば、ジャームッシュは若い時から美しい銀髪でしたが、これは先天的な遺伝によるもので、十代半ばには髪が全て真っ白になっていたとのこと。
そうしたことも併せて、他人と似たようで違うことを意識せざるを得ない、どこか「普通」から浮いたジャームッシュの映画の気質が生まれてきたのかもしれません。
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そんなジャームッシュの映画を観ると、私はいつでも元気を貰えます。
うまくいかなくても、人とずれても、ドラマチックな罪と罰の葛藤に身を委ねなくても、誰かに許しを乞わなくても、私たちは生きていける。どこかの哲学者が言ったように「生きている間は死なない」のですから。
あるいはうろ覚えですが、昔テレビで見た、ゾンビの家族のコント番組での「死んだように生きるより、生きているように死んだ方がましだ!」という言葉のように。ジャームッシュの映画は端的に、この地上で生きる面白さと喜びを、クールに表現した映画のように感じます。
2024年には71歳になり、おそらくジャームッシュ本人はゾンビではないため、いつの日か活動に終わりが来るとは思いますが、最後の時まで老成したりせずに、大げさではないけど生きる力に満ちた、永遠に若い映画を撮り続けてほしいと思っています。
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今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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