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長い音楽の愉しみ -バッハ『マタイ受難曲』の魅力
【金曜日の音楽の日の代替です】
私は短い小説や音楽作品も好きですが、長大な作品も、独特の味があって好きです。
バッハの畢生の大作『マタイ受難曲』は、そんな「長さ」を味合うに適した名作です。
受難曲とは、聖書の場面に基づいて、ソロ歌手と合唱、オーケストラによって演劇抜きで歌われる、オラトリオ劇の一種。その中でも、キリストが捕まって処刑されるまでの最も劇的な場面にフォーカスしたものです。
ふわふわと弦楽器の漂うような、そこはかとない哀しみに満ちたゆったりとした弦楽に、コーラスが乗って、全編が始まります。
語り手である「福音史家」を中心に、イエスや、彼を取り巻く様々な人々の掛け合い、アリアがこだまして、全68曲、3時間にもわたるドラマが進行していきます。
この曲は、キリストの死の過程を追った作品なこともあって、襟を正して聴かないと、みたいに思われがちですが、決してそんなことはないと個人的には思っています。
例えば、第39曲『私を憐れんでください』は、ソロヴァイオリンが従える弦楽と共にアルトが歌う長大なアリアですが、哀愁に満ちた旋律に弦が柔らかく絡み、重たくはなく、緩やかに身体に染み渡っていきます。
このアリアのように、器楽ソロと合唱、ソリストのアリアが流麗に溶け合っているのも特徴で、第42曲『我に返せ、キリストを』ではそんなしなやかさが見事に発揮される。
そして、キリストの死の瞬間。劇的さよりも静寂と簡素な緊張感に満ちた、凝縮された表現であり、そんな静寂に達したのは、クラシック音楽でも稀ではないかと感じます。
それが過ぎた後の、さざなみのように寄せては、微かに表現を変えていく合唱の、抑制された繊細さ。
全編通して、緊迫した表現だけでなく、こうしたコーラスや、どこか安らぎを覚える鄙びた管弦楽のソロも混じるため、決して重苦しいだけの作品ではないと感じます。
『マタイ受難曲』は、1727年に聖トーマス教会で初演。当時バッハは42歳で、その4年前には同教会のカントル(音楽長)に就任。地位が安定し、気力も充実していた時期の傑作であり、そんな時にしかない巨大なエネルギーに満ちています。
それから長いこと忘れられていたのですが、1829年にメンデルスゾーンによって復活上演が行われて注目を集めると、バッハの作品自体が見直され、バッハの歴史的な再評価に繋がりました。そうした意味でも重要な作品です。
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この作品はバッハの最高傑作に挙げられることも多いわけですが、個人的には他の器楽曲や、協奏曲の方をよく聞いたりします。
どうして最高傑作と呼ばれるかと言えば、シンプルに「長い」からでしょう。これは皮肉でもなんでもなく、長く巨大な作品は、それだけで特性を持つものです。
長大な作品というのは、基本的に短い部分をつぎはぎしてできたものであり、それをまとめるのに大きな物語を必要とします。
『戦争と平和』でのナポレオン戦争と同様の役割をここではキリストの受難劇が担う。
そして、物語の背骨によって繊細な細部が長く持続することで、自然と作品世界に豊かさが備わるのです。
この曲の歌詞の元になったのは、ルターによる聖書のドイツ語訳ですが、興味深いのは、台本作者はピカンダーという、風刺詩やユーモア詩を書いていた詩人だということです。
バッハとは家族ぐるみで付き合いがあり、パロディや替え歌も多く作っていた人。つまり、バッハが最初から「劇」として、音楽が流れやすい言葉を求めていたことがわかります。その意味でオペラ的な志向も備えている。
音楽評論家の岡田暁生と片山杜秀は対談『ごまかさないクラシック』の中で、『マタイ受難曲』とワーグナーの全9時間の大作オペラ『ニーベルングの指環』を比較していますが、これは面白い見方です。
どちらも長大で、世界の始まりのような曖昧模糊の空気から始まる。前者のキリスト、後者のジークフリートのように、神秘に触れた英雄の死を凄惨に描く、宗教的な恍惚と法悦に満ちた作品。
そうした面を思うと、この作品によってロマン主義の時代にバッハが復権したのもわかります。
それを体感できるのが、ウィレム・メンゲンベルク指揮による1950年の録音です。
数のパワーで分厚い音響をもって絶叫する合唱隊に、とろっとろに蕩けて歌うオーケストラ。
ソリストは殆どプッチーニのオペラのように色っぽく、しなを作る。平板でメロドラマチックに厚化粧された異様な世界。所々メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』のように響く箇所があり、妙な納得感があるのですが、流石にバッハの本質とは言い難いです。
でも19世紀の人達が、バッハの何に共鳴して熱狂したかが分かる面白い録音です。メンゲンベルクはかなり古いタイプの名指揮者で、そうした伝統から出てきた人でもありました。
『マタイ受難曲』の長大さが、バッハの他作品と違う濃密なロマンを醸成し、ロマン派に連なるドラマチックな表現の契機になったと言えるかもしれません。
流石にメンゲンベルクの録音を薦めることはできませんが、『マタイ受難曲』で古くから名盤とされていたのは、カール・リヒターが1959年に録音した全曲盤でしょう。
たった10年後ですが、リヒターは新即物主義という原典重視の考えに影響を受けた人。とにかく削ぎ落された鋭利な響きが全編にこだまします。
モダン楽器なのが信じられないくらいモノトーンに抑制された弦楽で、コーラスやソリストも大げさに表情をつけたりしない。
ざくざくリズムを刻んで進むリヒターの指揮から厳粛な空気が伝わる。当時の人達が夢中になったのも分かる、今聴いても素晴らしい名盤です。
私が好きなのは、グスタフ・レオンハルトによる1990年のハルモニア・ムンディ盤。
少人数でバッハの時代の古楽器を使った、典雅で、ステンドグラスのように鮮やかで澄んだ響きです。
テクスチュアもきめ細かで、しなやか。バロックにあって近代では消えていった、魔のような時の妖しさも感じられます。
長大な音楽だからこそ、様々な演奏を聴き比べて、歴史や人々の思いも強く伝わってくる。それもまた音楽の愉しみのように思えるのです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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