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【創作】ダ・ヴィンチの吸血鬼【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
「それは、何かの本かい?」
「いや、これは絵画だ。カストルプさんからの預かりものでね。この前のコーヒーメーカーを貰った時に、預かったものでもあるんだ。対価として、この絵の封印を解いてほしいという話でね」
「封印?」
大きな包みを抱えたノアに、光一は紅茶のカップを置いて尋ねた。
ノアは頷くと、その包みを宙に置くように手を放す。包みは浮かんだままゆっくり回転すると、ゆっくりと外側の紐がほどけて、中から額縁に収まった絵が現れた。
すると文字が浮かんだ
「ダ・ヴィンチの吸血鬼?」
「そう、変てこなタイトルだけど、封印を外せば意味が分かると言っていた」
光一は絵を見た。そこには、青い衣をまとった女性と、赤い衣をまとった天使の姿が描かれている。
「これは、でも吸血鬼ではないような」
「そうだね、表の世界でも有名な絵だよ。ダ・ヴィンチの『受胎告知』だ。それの複製だろうね。
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ウフィツィ美術館蔵
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年、トスカーナの「ヴィンチ」村に生まれて、フィレンツェに移って、当時の名匠ヴェロッキオに14歳で弟子入りしている。1472年には独立している。この『受胎告知』はその頃の作品だ。
まだ中世の感触を残しつつ、左右対称な独特の遠近法と、優美な人物の顔立ちは、後年の作品を思わせるね」
光一は絵画の裏を見つめた。そこには見知らぬ言語で「貞淑は庭園の笑みより来る」という言葉が記されている。ノアは訝し気に尋ねる。
「どうしたの?」
「何かのロックがかかっている気がするんだ」
光一がノアの顔を見ると、ノアの青い右眼が光っている。『受胎告知』の聖母の青い衣と同じ色をしているような気がした。その青い部分の絵に手をかざす。
すると、何かかちゃりと音がして外れた感触があった。そして、絵画は、またぐるぐると回り、別の作品になった。
「この作品は?」
「『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』だ。これも初期の作品とされている。フィレンツェの貴族の娘の肖像だね。巻き毛の表現が美しいね」
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ワシントン・ナショナルギャラリー蔵
「これもどこか堅いけど、優美な絵だね。裏面の言葉は「知は謙虚の首飾りを必要とする」だ」
「それは何だい?」
「わからない。よく分からない言葉で書いてあるけど、読めるんだ」
光一はそう言ってノアの顔を見つめる。そのすうっと通った鼻筋が仄かに光っているように感じる。絵の女性の鼻に手をかざすと、またしても絵は回り、二人の女性と子供の絵になった。
ノアは小首を傾げながら、言葉を紡ぐ。
「なるほど、そうやってロックを外して、作品が変わっていくのか。これは、『聖アンナと聖母子』。1503年にあの『モナリザ』を描いた後の1510年作品。ダ・ヴィンチの中では後期の作品になるね。
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ルーブル美術館蔵
より優雅で柔軟な人物のポーズ。どこか性を超越した、中性的で敬虔な人物の微笑み、背景の柔らかい処理等、『モナリザ』を経た、ダ・ヴィンチ独自の世界が広がっている。これも後ろに何か書いてあるかい?」
「「家庭の幸福は財よりも汝の力となる」だ。家庭の幸福だろうか、これは。何か作品と離れているような」
「謎めいているね。私には意味が分からない」
ノアのそんな言葉を聞くのは初めてだった。ノアの赤い左眼が、女性が纏う赤いローブと同じ色をして光っている。光一がそこに手をかざすと、絵画は回転し、今度は黒い背景の男性の絵が現れた。裏には「美徳の嘘を創れ」という文言がある。ノアは言葉を続ける。
「これは、『洗礼者聖ヨハネ』。これも、1513年と後期の作品だ。
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ルーブル美術館蔵
モデルは、レオナルドの弟子だったサライと言われている。ここにあるように素晴らしい美男子だけど、盗癖もある、あまり性格のいい弟子ではなかったようだ。でも『モナリザ』と共に、この絵を最後までダ・ヴィンチは手元に残しているね。
生涯独身だったダ・ヴィンチにとっては愛する人の一人だったのかもしれない」
「このポーズといい、微笑みといい、どんどん謎めいた感じになっていくんだね」
「そうだね。ダ・ヴィンチは、ルネサンスの最盛期の人だけど、その美術の中心だったフィレンツェからは離れて放浪している人だ。絵画だけでなく、飛行機だとか、新型の兵器だとか、様々なアイデアを持っていた発明家でもあり、絵画だけで捉えられる人でもない。
アイデアマンで、作品を完成させずに、すぐに新しいものに移ってしまうというところがある。そして、絵画だけ追っていくと、初期の中世風味を残すルネサンス絵画から、どこか人物が溶けだして、風景や性も柔らかく曖昧になっていくような、他の画家にはない味が出てくる。
その意味では、ある意味ルネサンスを超えた破格の才能の持ち主だった。そういう特異さが目立つ人だから、後世からも謎めいた天才として、崇められたのかもしれないね」
光一は頷いて、ノアの全身を見た。ゴスロリ服の手首のフリルが揺れるその先、ノアの右手の人差し指の先が光っている。絵の男性がかざした指先に光一は手をかざした。
すると、今度はすべての錠前が外れたような感覚があった。絵が回転すると光に包まれる。
そして現れたのは、今まで見たことがない絵だった。
背景は黒く、赤いローブを纏い、聖母のように美しい女性が、黒と白の中世風の衣装を着た男性を抱きとめている。
金髪の女性は髪をまとめていて、卵型の美しい肌が輝くようだった。
そして、彼女は虚ろな表情で、目線は宙を彷徨っている。口元は半開きで、祈りとも恍惚ともとれる表情になっています。それが、この女性の聖なる部分と俗なる部分を併せて表すかのようだった。
「不思議な絵だ。これは知っている?」
「いや、初めて観た。恐らくは表の世界では流通していない。これこそ『ダ・ヴィンチの吸血鬼』ではないかな。
ほら、男の血を今吸ったようにも見えるだろう。男性と女性とでトライアングルの構図もある。『モナ・リザ』が、慈愛と調和に満ちているけれど、こちらは、ダークな闇の『モナ・リザ』と言えるかもしれない。美しいね」
光一が裏を観てみると、「聖霊の力を汝の口に注げ」という言葉と共に、『ダ・ヴィンチの吸血鬼』というメモがあった。それは確かにこの作品のタイトルのように思える。
「でも、これはいわゆる吸血鬼の絵ではないように思えるんだけど」
「そうだね。おそらく、タイトルは後から解釈してつけられたものだろう。それも、多分18世紀以降、ドラキュラだとかの伝説が人口に広く膾炙した後だろうね。そもそも、ダ・ヴィンチの時代にはそんな存在知られていなかったわけだし。
おそらくは何らかの形で、例えば当時の貴族が手に入れて、こうやって題名と、何かの家訓のような言葉を残したんじゃないかな」
「しかし、カストルプさんは、なぜこんな作品を持っているんだろう」
「それは分からないな。でも、恐らくはこの絵を巡る、何らかのドラマがあるんだろう」
ノアはそう言って、キャンバスの絵を光一から受け取ると、デスクでカストルプ宛の覚書を書きながら続けた。
「それは、カストルプさんも関わったものなのかもしれない。もしかするとカストルプさんも、何かを失って、求め続けているから、この書店に来ているのかもしれないね」
(続)
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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