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【創作】ハムレットの父親【幻影堂書店にて】


※これまでの『幻影堂書店にて』





 
 
 
光一が書店に来て、発送のための本のラベリングを手伝っていると、奥に本を取りに行ったノアが、本と一緒に一枚の白い紙を持ってきた。
 
「君にお願いがある。君宛のメッセージが付いた覚書だ」
 
光一が紙を受け取って読むと、そこには何冊かの納品した本やレコード盤の記録や送付先情報の記載の下に次のような文章があった。
 

光一氏がいる時に、古本で以前送った『ハムレットの父』を読んで欲しいと思っています。彼の力があれば恐らくは、前の持ち主が挟んだまま取り忘れたペーパーナイフが出てくるはずです。


署名はマルスとなっている。あの白い竜の姿を光一は思い出し、訝った。
 
「どういう仕組みなんだろう」
 
「それは良く分からないけどね、この前ジミヘンの未発表曲も送ってきてくれたし、たまに贈り物もくれる業者だから大丈夫だよ」
 
マルスは、ノアとは「周波数帯」が違い、会うことはできない。

そして、クレオパトラの恋文を持ってきたとき、ノアを「店主にとって大切な誰かの記憶を持って作られた「偽物の器、機械人形」」と呼び、どこか嫌っていた。
 
ノアには伝えにくいこうした事柄を打ち消すかのように、光一はノアに尋ねた。
 
「それで、その本はあるのかな」
 
ノアは頷くと手を宙にかざす。そこに、臙脂色の表紙の本が収まった。
 
「この本だ。シェイクスピア作『ハムレットの父』晩年の共作らしいけどね」




「『ハムレット』は有名な作品だけど、その父親ということは前日譚ということか。確か、死んだ父親の幽霊が出てくるんじゃなかったっけ」
 
「そう、デンマークの王子ハムレットは、父の弟にして、今の王であり、母とも再婚したデンマーク王クローディアスが、実は父を毒殺したことを知り、復讐に乗り出す。その父、先代のハムレット王の物語だ。勿論表の世界では流通していない。読んで御覧」


墓地のハムレット


デンマーク王ハムレットは、弟のクローディアスと組んで、領土拡大の戦争を仕掛け、連戦連勝を飾っている。戦場から王の城に戻る途中に立ち寄った農村で美しい娘フローレンスと出会う。
 
彼女は戦争の惨禍から逃げる最中、農夫の夫を失い、幼い愛娘も行方知れずになっていた。謀略や情報収集のうまいクローディアスによって、どうやらその娘らしき女の子が、今攻め込んでいる王の都にいることが分かる。
 
一気に敵国の都に攻め込み、平定するハムレット王。様々な民衆と触れ合い、ようやくフローレンスの娘を探し出す。
 
母親の元に連れて行くと、最初はぎこちなかったものの、徐々にお互いの記憶を取り戻して、再会を喜んで抱き合う。その姿や戦争で疲弊した民の姿を見て、二度と戦争を起こさないよう強く心に誓うハムレット王。
 
一方、弟のクローディアスは、平定した王国の王女ガートルードに一目ぼれする。しかし、兄が両国の平和のために、敵国のその王女と結婚すると宣言し、激しく反対する。

自らの主張を通し、ガートルードと結婚するハムレット王。その式の姿を見ながら、暗い嫉妬の感情を抱くクローディアスの姿で幕は閉じる。




「ハムレットは当時から大ヒット作品だったから、その続編として、前日譚を描くのは、理にかなっているね。シェイクスピアは専業作家ではなく、座付きの劇作家であり、彼の所属するグローブ座で、実際に役者として立ったこともある。ちなみに、『ハムレット』の父親の亡霊も演じた記録も残っているのも面白いところだ」
 
「この作品の主役というわけだね。面白い戯曲だった。この後、結局クローディアスは、ハムレット王を殺すことになるわけだね」
 
「そう、そして、ガートルードと結婚する。それが、『ハムレット』の開幕だね。そこに、元々横恋慕していたという前日譚を付け加えることで、兄嫁と結婚する設定を補完しているね」
 
「ハムレット王が平和のためにどうしても結婚が必要だ、というのが、民衆や戦争によって離れ離れになった親子で伝わってきたよ。でも、しみじみとした親子の再会っていうのは、ちょっと意外に感じたな」
 
「でも、後期のシェイクスピアには、親子の再会は重要なテーマになっているよ。

『ペリクリーズ』では、赤ん坊の時に父親と別れた女性が父親と再会する。『シンベリン』では、王の前に長い間行方不明だった息子が現れる。『冬物語』では誤解によって離散した王の家族が、偶然によって再会する。
 

『シンベリン』の一場面


どれも、家族の再会と和解、再生がテーマだ。どこか人生の秋を思わせるしみじみとした劇だね。そんな再会に、中期の傑作の歴史劇を思わせる、良き王の冒険と、兄弟間での嫉妬が組み合わさった、なかなか盛りだくさんな面白い劇だね」
 
「じゃあ、なぜこれを発表しなかったんだろう」


シェイクスピアの肖像


「色々考えられるけど、実はこの作品は最晩年の作品で、その彼のプライベートな出来事が影響しているかもしれない。
 
晩年、次女が古くからの友人の息子と結婚することになった。しかし、その息子が結婚前に関係していた女性が、彼の子を妊娠し、しかも、出産で母子ともに亡くなってしまうという騒動が起きているんだ。
 
当然シェイクスピアは心を痛めたろうし、自分の遺産が娘婿に渡らないようにしている。ある意味自分が書いてきた親子の再会のまさに裏返しのような出来事に、もしかすると、かなり大きな衝撃を受けたのかもしれない。

それに『ハムレット』の「名作ぶり」と比べれば、続編というのはどうしても劣るとみなされがちだ。そんなこんなで発表しなかったのかもね」
 
「なるほど。作品は実人生と微妙な形でリンクするわけだね」
 
「そう、必ずしも作品通りのことが人生に起こるわけでもない。ただ、何かしら関係していると言えるのかもね」




二人が話し終わると、本が光り、中から白い象牙模様のついたペーパーナイフが出てきて、机の上に置かれた。
 
「よかった。これが元の持ち主のものだね。マルスさんに送っておこう」




ノアが嬉しそうにペーパーナイフをとる横で、光一は複雑な表情でノアを見つめていた。
 
光一が作品を読んでいる時に浮かんだ、フローレンスの顔。それはノアそっくりだった。
 
その時、光一が持っていたマルスの覚書の文字が何か動くのを感じた。
 
ノアに見えないように、光一はその文面を見る。
 

あの人形のもう一つの名前が分かったかい?
覚えておいてくれ


そして、文字は消えて、元の文面に戻った。

マルスの太い声音を思い出しながら、農家で娘と再会したフローレンスの朗らかな笑顔と、今のノアのどこか堅い表情が、光一の頭の中で交錯するのだった。







(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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